fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

京都南座 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎 昼の部 成駒家親子の『蝶々夫人』、孝太郎・隼人・錦之助の『三人吉三巴白浪』、壱太郎の『大津絵道成寺』、中車・扇雀の『ぢいさんばあさん』

筆者年末恒例の南座顔見世観劇。一年で一番楽しみにしている興行と云っても差し支えない。やはり筆者的にはこれを観ない事には歳は越せない。三階席の両脇に若干空席はあったものの、満員に近い入り。ただ直前の舞台稽古中に愛之助が怪我をしてしまい、休演となったのが痛恨の極み。手術は無事成功した様で、ブログも更新しているし、大事には至らなかった様なのは一安心。しかし怪我は顔であったと云う。顔は役者の命、後に残らない事を只管祈っている。

 

そして歌舞伎とは全く関係がないが、その愛之助もブログで追悼コメントを出していた中山美穂さん、通称ミポリンの訃報が伝えられた。五十四歳の若さであった。こちらも痛恨の極みとしか云い様がない。病気がちであったと云う報も聞いていなかったし、全く突然の知らせであった。世代が近く共演経験もあった愛之助も深い哀悼の意を表していたが、思いは(勿論お会いした事すらないが)筆者も同じである。特別のファンと云う訳ではなかったが、ドラマは何本も観ていたし、歌もヒット曲はほぼ全て知っている。謹んでご冥福をお祈り致します。

 

閑話休題

 

幕開きは『蝶々夫人』。何とあのプッチーニ傑作オペラの歌舞伎化である。今何故『蝶々夫人』?と思わないでもないが、これには驚かされた。確かに日本が舞台ではあるが、オペラの歌舞伎化はかなり珍しい事だ。配役は壱太郎のお蝶、錦之助の酉蔵、笑三郎のお杉、千次郎の甚左衛門、鴈治郎のお駒。新作なので、当然の事乍ら全員初役である。中では珍しい鴈治郎女形が目を引く。立役で女形の壱太郎と共演した事は何度もあるだろうが、女形での共演は初めてではないだろうか。

 

原作のオペラの役柄を、歌舞伎らしい役に置き換えている。ヤマドリ侯爵は酉蔵、ゴローが甚左衛門、男であったシャープレス領事がお駒となっている。あまりにも有名なオペラなので説明は不要かとも思うが、あらすじはざっくり以下の通り。没落貴族の娘で芸者になっているお蝶は、日本に赴任している海軍士官ピンカートンと愛し合い、子までなす仲となる。しかしピンカートンは本国に召還される。その際にピンカートンは迎えに来ると約束して帰還した。三年後にピンカートンは戻って来たが、アメリカで結婚した妻を伴っていた。全てを悟ったお蝶は、子供をピンカートンの妻ケイトに託し、自刃すると云う物語である。

 

序盤のピンカートンとの仕合せな物語はカット。後ろ姿のピンカートンを囲んだ芸者の総踊りで幕が開く。舞台が替わって「蝶々夫人内の場」となる。下女お杉と壱太郎の二人芝居で、ピンカートンを想い続けるお蝶の姿が描かれる。そこに叔父の甚左衛門が現れ、縁談をもちかける。その縁談の相手が錦之助演じる酉蔵である。二枚目役者らしからぬコミカルな作りで、錦之助には少し気の毒な役。狂言としては所謂「散切り物」に該当する作りとなっている。

 

そこへピンカートンの帰還を告げる礼砲が鳴る。驚喜するお蝶。そこにお駒が現れて酉蔵を追い出す。そしてお駒はピンカートンにアメリカ人の妻がおり、子供の事を思うならピンカートンに託して別れる様に諭す。泣き崩れるお蝶。そして再度舞台が替り、一人放心した様に現れるお蝶。最後は崖の上から身を投げて命を絶つと云う狂言である。二時間半あるオペラを一時間弱に上手くまとめてある印象。鴈治郎は慣れない女形をやらせても流石に上手い。しかし狂言としては完全に壱太郎の物語である。

 

芸者になっていたとは云え、元は士族の出であると云う凛としたところを感じさせる壱太郎お蝶。そんなお蝶が愛するピンカートンが戻って来たと喜んだのも束の間、妻がいると聞かされて一転絶望の淵に落とされる。その感情のふり幅の大きな役を、きっちり演じているのは流石である。最後落胆のあまり気がふれたようになる様をイトに乗った踊りで見事に表現しており、最後崖から身を投げる悲劇的な最期が哀れさを一入感じさせる。竹本に何と葵太夫が付き合っており、力の入った新作狂言であったと思う。

 

続いて『三人吉三巴白浪』。先月歌舞伎座で観たばかりの狂言。その際は左近・歌昇坂東亀蔵と云う組み合わせであったが、今回は孝太郎のお嬢、隼人のお坊、錦之助の和尚と云う配役である。孝太郎のお嬢と隼人のお坊と云う組み合わせは、三年前のこの顔見世で観ている。その際は今一つの印象であったが、今回は前回を上回る出来。基本的にお嬢は孝太郎のニンではないと思うが、そこを技術でカバー。女と男の替り目もきっぱりしており、見物衆のウケも良かった。隼人のお坊はニンでもあり、色気も充分。二人のやり取りも実に良いリズムで、観ていて心地よい。錦之助の和尚もいい兄ぃ株の貫禄を出しており、三人役者が揃った結構な「三人吉三」であった。

 

三っ目の狂言は『大津絵道成寺』。これが愛之助が演じるハズであった一つ目の狂言。その愛之助が演じる予定であった五役踊り分けは、壱太郎が代演する事となった。配役は壱太郎が藤娘・鷹匠・座頭・船頭・鬼の五役、鷹之資の弁慶、虎之介の犬、巳之助の五郎。しかし偶然と云うのは恐ろしいもので、「道成寺」物の踊り分けを壱太郎は先月立川歌舞伎で経験しているのだ。その時はまさか愛之助がこんな事になるとは誰も思っていなかったので、これは本当に偶然の出来事である。しかし結果的に先月の経験が見事に生きた。

 

立川では白拍子・座頭・村娘・船頭・夜鷹・雷・巫女・花売り・九尾の狐の九役を踊り分けた壱太郎。五役なぞ簡単なもの、と云う訳では無論ないだろうが、座頭などは役も被っており、女形舞踊が先月より少なくなっているものの、急の代役とは思えない立派な踊り分け。中では流石に藤娘が一番見事であったが、他の四役もきっちり踊り分けていた。ここ二ヶ月の壱太郎の経験は、この優に大きな自信をもたらした事と思う。若い乍ら既にしっかりした技術を持ち合わせている壱太郎だが、この経験を元に、更に大きな役者になって貰いたいと思う。

 

打ち出しは『ぢいさんばあさん』。森鴎外の短編小説を、昭和の黙阿弥と云われる宇野信夫が脚色した狂言。令和になってから以降でも、本公演でかかるのは今回で三回目と云う人気狂言。配役は中車の伊織、扇雀のるん、萬太郎の久右衛門、壱太郎のきく、虎之介の久弥、寿治郎の長太夫、巳之助の甚右衛門、それに伊織の同輩役で青虎・笑三郎・隼人・猿四郎が付き合っている。中車伊織は九年ぶりの様だが、何度か演じている役である。中で巳之助と虎之介は初役の様だ。

 

筆者は鴎外もこの狂言も大好きで、いつも泣いてしまうのだが、しかし今回は泣くまでは行かなかった。伊織を何度か演じている中車だが、筆者が見るところ基本ニンではない。そこを芝居の上手さでこなしているといった感じなのだ。この役は二枚目の役である。その意味で松嶋屋の伊織は最高であった。勘九郎にも泣かされたものだ。しかし中車は先の二人には及ばない印象。ニンでない役なので、どうしても作り込んだ感じになってしまう。その点扇雀は自然に演じていて、好感がもてる。だがやはり泣かされる迄にはならなかった。

 

この芝居で一番の出来は、甚右衛門の巳之助である。初役にも関わらず、アクの強い友人役をしっかり演じて間然とするところのない出来。伊織と甚右衛門は同輩と云う設定なのだが、巳之助は中車より実年齢は大分若い。しかしその年齢差を感じさせない芝居になっており、とても初役とは思えない見事な甚右衛門。若い乍ら踊りには定評のある巳之助だが、今回は芝居においても改めてその実力を見せつけてくれた、と云ったところであったろうか。

 

今回の顔見世は昼夜とも丸本はなく、こてこての上方狂言もないのは些か寂しい。しかも愛之助の休演と云う緊急事態の中、若手が奮闘していた印象の顔見世昼の部であった。夜の部の感想は、また改めて綴りたい。