続いて南座顔見世夜の部の感想を綴りたい。入りは昼とほぼ同じ位で、盛況であった。先にも記したが、今回の顔見世は丸本と上方狂言がない。その意味では筆者的には多少物足りなさを感じさせる狂言立てではあるのだが、夜は満を持して松嶋屋が登場する事もあり、愛之助不在の穴は大きいものの、昼の部以上に楽しめた公演であった。
幕開きは『元禄忠臣蔵』から「仙石屋敷」。「仮名手本」と並ぶ真山青果作忠臣蔵物の傑作狂言である。『元禄忠臣蔵』と云えば、「小浜御殿綱豊卿」と「大石最後の一日」が断トツに有名で、この「仙石屋敷」は九年ぶりの上演の様だ。近年は殆ど松嶋屋が独占的に演じている場だ。配役はその松嶋屋の内蔵助、鴈治郎忠左衛門、中車の安兵衛、隼人の十左衛門、鷹之資の主税、亀鶴の源吾、進之介の十次郎、高砂屋の伯耆守。大名題の二人と亀鶴以外は皆初役の様だ。進之介の芝居は殆どこの顔見世でしか観る事がないので、それも楽しみの一つである。
あまり上演がないのも道理で、芝居的に大きく盛り上がる場があまりない。内容的には真山青果らしい科白劇で、中盤の内蔵助の長科白が聴かせ処である。この場の松嶋屋と高砂屋の丁々発止のやり取りは、名人同士の名芝居で流石に魅せる。高砂屋の伯耆守に、「三百余いた家臣が、最後は僅か四十七人になったな」と云われた松嶋屋内蔵助は「それぞれ親もあれば妻もあり、子もいる。事情はそれぞれで、それが人間なのだ」と云う意味の返答をする。ここが真山らしいいい脚本で、人間の弱さを否定しない。その全てを包含する大きさを、流石松嶋屋きっちりとその科白に込めている。高砂屋がこの狂言しか出ていないの些か寂しいが、名人二人の見事な芝居であったと思う。
続いて『色彩間苅豆』、通称「かさね」。元は南北作狂言の一場面であった様だが、今の形になったのは、大正時代に六世梅幸と十五世羽左衛門が復活させた以降の事。清元舞踊劇の名作である。これは当初愛之助が与右衛門を演じる予定であったが、怪我の為萬太郎の代演となった。配役はその萬太郎与右衛門と、萬壽のかさねと云う、親子共演となった。与右衛門は、「四谷怪談」の伊右衛門と並ぶ色悪の代表的な役柄である。当代では何と云っても松嶋屋が絶品であるが、もう二十年以上演じていない。近年では幸四郎の与右衛門が素晴らしかった印象がある。
そして代役の萬太郎であるが、科白廻しはしっかりしていたし、形も良い。急な代演としては手一杯の出来であったと思う。しかし今の童顔の萬太郎にとっては、ニンとは云えない役。色悪としての艶っぽさと悪の凄みが出てこない。代演に注文をつけるのはフェアではないと思うが、現状ではこう云う評価になってしまうのも致し方なかったであろう。繰り返すが、今の萬太郎としては精一杯の事をしていたと思う。そして相方の萬壽かさねの凄さが、その印象に拍車をかけてしまった。
今回萬壽は襲名後の京都お目見えとなる。これが愛之助不在の穴を埋めると云う気迫に満ちた名演であった。揚幕から花道を駆け出たところ、与右衛門を慕う必死の想いが溢れている。舞台に廻ってのクドキも実に艶っぽく、流石立女形と云う実力を見せる。そして鎌が刺さった髑髏が流れて来て、舞台はおどろおどろした怪談調になる。与右衛門の悪事が祟り容貌が崩れたかさねの〽それそのようにのクドキが、女の妄執と凄みを感じさせる素晴らしいもの。与右衛門に鏡で崩れた容貌を見せつけられ半狂乱となる。縋りつくかさねを振りほどいて惨殺する与右衛門。かさねの哀れさを一入感じさせる場だ。
そして怨霊と化しての連理引きになるが、先の萬壽の芝居が実に熱いので、正に科白通りの「はて恐ろしき、執念じゃなぁ」を充分に実感させてくれるものとなっている。やはり女性を手荒く扱ってはいけません(苦笑)。相手が代演の息子であっても容赦しない、父萬壽の役者根性を改めて見せつけた、鬼気迫る名演であったと思う。今回の顔見世では、この萬壽が一番の見ものであった。萬壽は清元舞踊と実に相性が良く、音羽屋と組んだ「十六夜清心」も見事であったが、今回のかさねもそれに並ぶ名品であった。素晴らしい芝居であった。
続いては『曽我綉俠御所染』、通称「御所の五郎蔵」である。「三人吉三」は先月の歌舞伎座に続き二ヶ月連続であったが、こちらは立川歌舞伎に続く二ヶ月連続の観劇となった。今回の配役は隼人の五郎蔵、巳之助の土右衛門、橘三郎の吾助、吉太朗の逢州、壱太郎の皐月、孝太郎のお松。こう続くと、どうしても比較してしまう。他に狂言は幾らでもあると思うのだが(苦笑)。先月の愛之助・中車のコンビも初役であった様だが、今月の隼人・巳之助も初役。その他の役者も全て初役の様である。
先月の愛之助もニンに適って実に結構であったが、今月の隼人もおさおさ劣らない。謳うが如き科白廻し、きっぱりとした所作と色気。初役とは思えない見事さである。皐月の愛想尽かしを受けて、じりじりと怒りの表情になって行く辺りの芝居は愛之助に一日の長があるものの、隼人もしっかりと演じている。大詰「廓内夜更けの場」における逢州を殺めてしまった時の慙愧の念の深さ、若々しい立ち回りの所作も見事なもの。顔見世と云う大興行で若手花形が出し物をする、これは本当に大きな経験になるであろうと思う。
もう一方の初役、土右衛門の巳之助も結構な出来。今月の巳之助は『ぢいさんばあさん』の甚右衛門に続いての悪役。これがアクの強さに色気までも兼ね備えた見事な土右衛門。今月の巳之助は、二役とも実に立派な出来。壱太郎の皐月も愛想尽かしの芝居の上手さに加え、花魁らしい華やかさと、廓勤めをしてはいても枕は交わさないと云う、夫五郎蔵への心中立てと云う両面をきっちり見せてくれており、最近この優にハズレはない。この年代では、東の時蔵・西の壱太郎と云う感じになってきたと云えるのではないだろうか。最後になったがもう一つ、吉太朗の逢州も抜擢に応えて立派な出来であった。
打ち出しは『越後獅子』。長唄舞踊の名曲である。鴈治郎・萬太郎・鷹之資の角兵衛獅子である。何度も書いてきた事だが、最後を踊りで〆る狂言立ては、筆者好み。しかも明るい舞踊なので、楽しい気分で小屋をあとに出来る。ベテランと若手二人の踊り比べ。見る迄は、味で見せる鴈治郎と若手らしい勢いのある所作の萬太郎・鷹之資と云う構図だと思っていた。若手二人についてはその通りなのだが、鴈治郎がどうしてどうして、実に若々しい舞踊なのだ。
勿論踊り込んだ技術は素晴らしいものなのだが、勢いとキレのある所作は還暦を過ぎた優とは思えない若々しさ。一本歯の高下駄を履いた動きは高い技術に加えて、体力もないとこなせないものであると思う。途中下駄が片方脱げてしまうハプニングがあったのはご愛敬だが、最後の布さらしも舞台に触れない様にきっちり振る。当たり前と云えば当たり前なのだが、若手二人を向こうに廻して、見事な踊りを見せてくれていた。萬太郎・鷹之資も、若手では踊り上手として知られた優。三人イキのあった所作で、素晴らしい顔見世の締めくくりとなった。
これにて楽しい京都遠征は終了。今月の歌舞伎座は三部制。令和六年も良い芝居を観て締めくくりたいものだ。