二月歌舞伎座昼の部を観劇。松嶋屋に松緑と揃ったせいか(それぞれ出は短いが)筆者が観劇した日は夜の部よりも更に入りが良く、ほぼ満員の盛況。二月の興行としては昼夜共大成功だったと云えるのではないか。世間的には日本勢が大活躍であった冬のオリンピック一色の様相だったが、そんな中でも沢山の人が歌舞伎座に足を運んだのは、本当に凄い事だ。夜の部同様、中村屋兄弟大奮闘の公演である。
幕開きは『お江戸みやげ』。直木賞作家である川口松太郎の作で、十七世勘三郎・十四世勘弥のコンビで初演された狂言。「猿若祭」なので、やはり中村屋に所縁のある芝居を持って来たと云うところであろうか。配役は鴈治郎のお辻、芝翫のおゆう、巳之助の栄紫、種之助のお紺、歌之助の角兵衛獅子、梅花のお長、寿治郎の正市、歌女之丞の紋吉、亀蔵の六三郎、孝太郎の文字辰。鴈治郎はおゆうを、芝翫はお辻を演じた事があるが、この配役は初めて。殊にお辻は先代芝翫が当り役としていたもの。中村屋の親類である芝翫にとっても思い入れのある狂言であろう。五年前に掛かった時は芝翫・勘九郎の組み合わせで結構な出来であったが、今回もまた見事なものだった。
筆者は予てから、当代の役者の中では東の芝翫・西の鴈治郎と考えている。今最も芸が円熟し、脂ののっているのがこの二人であると思う。上方和事に本領を発揮する鴈治郎と、時代物にその真価がある芝翫。芸風は全く異なるが、それぞれ本当に見応えのある芝居を見せてくれる。共演は多くない二人だが、久々にがっぷり組み合った狂言の上演となった。本当は古典での共演が観たいところではあったが、贅沢は云うまい。結城から呉服の行商に江戸に出て来たしまり屋のお辻と大らかなおゆうと云う、演じる二人の芸風同様これまた対照的な組み合わせの二人をめぐる物語だ。
お賽銭すらケチるお辻が役者の栄紫に一目惚れし、初めて芝居を観た謂わば一見客である自分に会ってくれた上に優しい言葉をかけてくれた事に感激する。そしてその栄紫と愛し合うお紺を一緒にする為に、売上金の全てを投げ出してしまう。御礼に差し上げる何物もないがせめてと栄紫が自分の片袖をお辻に渡し、花道を入る。それを見送ったお辻が「これがあたしの江戸みやげだ」と呟いて幕となると云うのが大筋だが、都会慣れしない田舎者のお辻を、鴈治郎が実に見事に演じている。
おゆう演じる芝翫とのイキもぴったりで、対照的な性格である二人の人物像がくっきりと演じ分けされており、見事と云うしかない。お互いそれぞれ相手の役を演じた経験があるのも大きいのだろう、二人の人物像が実に微笑ましい。最初はおゆうが金は遣う為に稼ぐのだと云うスタンスなのだが、最後は逆転しておゆうが驚く程の気風の良さで、初めて会った栄紫の為に大金を差し出してしまうお辻。「見返りがその片袖かい」としんみり声をかけるおゆうに、「これがあたしの江戸みやげだ」と返す涙交じりの鴈治郎お辻の科白がしみじみと心に残る。力量の拮抗した二人の芝居が見事な上に、巳之助や種之助といった初役の若手も健闘しており、孝太郎・梅花のベテランも結構な芝居で脇をしっかり固めて、各役手揃いの素晴らしい狂言であったと思う。
続いては『鳶奴』。初演こそ七世團十郎が踊った長唄舞踊だが、近年では若手の手ほどき的な舞踊と云う印象がある。実際筆者が前回観た時踊ったのは新之助であった。それを今回は花形きっての舞踊の名手松緑が本公演では初めて踊る。しかし当然かもしれないが、これがまた実に結構な舞踊であったのだ。きっちりした所作はこの優の持ち味だが、そこに奴らしい軽みがあり、江戸の風情が漂って見事な踊り。十分程度の短い舞踊なのだが、その中に松緑の踊りの技術がしっかりと詰まっている。例えは妙だが、三代目金馬の「金明竹」や、五代目志ん生の「道灌」といった大真打が口演する前座噺を想起させる様な、素晴らしい舞踊であった。
休憩を挟んで『弥栄芝居賑』。通称「芝居前」と云われる興行の成功を祝う作品である。芝居小屋の木戸前の云う体裁で、座元夫婦や贔屓の旦那や茶屋の女将が揃う中、男伊達と女伊達が花道で勢揃いのつらねが眼目。配役は勘九郎の座元、七之助の女房、歌昇・萬太郎・成駒屋三兄弟の男伊達、新吾・種之助・男寅・莟玉・玉太郎の女伊達と若手花形が揃い、松嶋屋の新左衛門、孝太郎の女将吾妻、芝翫の幸吉、福助の女房お栄、扇雀の茶屋女将お浩。まぁ芝居と呼べる狂言ではなく、出演役者を勢揃いさせた贅沢な舞台だ。
本来男伊達と女伊達のつらねは両花道が相応しいのだが、今回は仮花道はなし。若手花形のイキのいい科白が心地よい。中村屋兄弟が座元夫婦と云う設定なので、関係者各位に頭を下げて芝居小屋を盛り上げてくれている礼を云う。最後に呉服屋の夫婦に扮した松嶋屋親子が登場すると、見物衆は大喜び。松嶋屋が亡き勘三郎との交流を語り「私の目の黒いうちに十九代目の襲名が見たい」とやって、客席からは大喝采が送られていた。本当にそろそろ新しい勘三郎の誕生を期待したいところなのだが、勘九郎は「それはまだ先の話しでございます」と返したので、見物衆からは大きな笑いと「中村屋!」と云う大向うがかかっていた。
打ち出しは『積恋雪関扉』。天明歌舞伎と呼ばれる常磐津舞踊の大曲である。大名題でないと中々こなせない大作舞踊劇であり、平成の時代は高麗屋と亡き播磨屋の上演回数が多く、その至芸を競い合っていたものであった。今回の配役は勘九郎の関兵衛実は黒主、七之助の小町姫/墨染実は桜の精、菊五郎の宗貞。勘九郎は十五年ぶり二度目、七之助は小町の経験はあるが、墨染は初役。菊五郎の宗貞も同じく初役である。しかし菊五郎はこれでこの狂言の三役はコンプリートの様だ。この三役を全て演じられる役者は希少であろう。勘九郎は初演の際に播磨屋の教えを受けたと云う。
筆者が前回この狂言を観たのは四年前の博多座で、芝翫・当時梅枝の時蔵・当時時蔵の萬壽・萬太郎の組み合わせであった。その時は芝翫も初役であった様であるが、これが実に結構な出来であった。ニンに適っているのも大きかったが、描線が太く実に古格な味わいのある見事な関兵衛であった。その点で勘九郎は関兵衛は兎も角、黒主はニンではない。そしてやはり良いのは関兵衛である。この優らしい愛嬌味があり、所作にも味わいがある。〽生野薄鈍情なしの歌詞に合わせる当て振りでも、見事な技巧を見せてくれる。この辺りは、踊り上手な勘九郎の本領発揮と云ったところ。
しかし黒主になると天明歌舞伎らしい古格な味わいが不足しており、芝翫の様な描線の太さにも欠けている。ぶっ返ったところも大きさがないので、スケールの小さい黒主になってしまっている印象であった。ここは技術だけでは勤まらない難しさがあるのであろう。勘九郎を観ている間、筆者はどうしても芝翫の黒主を思い出してしまっていた。七之助も良いのはやはり小町姫である。実に美しく色気もあり、観ていて惚れ惚れする程である。墨染も口説に艶があり、これも結構な出来なのだが、桜の精になるとやや現代的でこちらも天明歌舞伎らしい古風な味わいが薄い上に、薄羽かげろうの様な、この世の者とは思えない幽玄さにも欠けている。
菊五郎初役の宗貞には気品があり、見事な位取りで素晴らしい貴公子ぶりを見せてくれており、抜け出た様な美しさと相まって流石とも云うべき宗貞。よって全体の出来としては上の巻とも云うべき前半が圧倒的に優れている。対して下の巻は現状の中村屋兄弟にとっては手に余った印象であった。これは回数を重ねて行くしかないであろう。中村屋兄弟なら、いつの日か上下揃った素晴らしい「関の扉」を見せてくれるものと信じている。最後に少し苦言を述べる形になってしまったが、思いもよらない鶴松の休演があったものの、昼夜に亘る中村屋兄弟の大奮闘天晴れな二月大歌舞伎であった。












