fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

歌舞伎座 秀山祭九月大歌舞伎 第一部 播磨屋・萬屋・中村屋の『白鷺城異聞』、幸四郎・松緑の「寺子屋」

三年ぶりに歌舞伎座に秀山祭が帰って来た。しかしそれが秀山祭の創始者播磨屋の一周忌追善興行とは・・・無念としか云い様がない。天国の播磨屋に届けとばかり、親類・一門が勢揃いして力一杯の追善興行。役者も見物衆も、瞼の裏に在りし日の播磨屋を思い浮かべているのではないだろうか。その一部を観劇。入りは七分と云ったところだったろう。濃厚な親類筋である幸四郎松緑の「寺子屋」が非常な熱演。云う迄もなく播磨屋十八番の狂言でその記憶がまだ生々しいが、令和の「寺子屋」として実に見事な出来であった。

 

幕開きは『白鷺城異聞』。亡き播磨屋が「姫路城創作歌舞伎」として姫路城三の丸広場で初演した新作歌舞伎。歌舞伎座では初めての上演で、筆者は勿論初めて観る狂言。竹本と長唄の掛け合い舞踊劇で、歌六の武蔵が巌流島の様子を物語るところは竹本、梅枝と米吉の連れ舞いは長唄でと、新作乍らしっかり作り込まれているのが嬉しい。歌六の武蔵、又五郎の忠刻、錦之助の惣左衛門、勘九郎の秀頼の霊、七之助刑部姫、梅枝の白鷺、米吉の名月、歌女之丞の明石、萬太郎の三木之助、時蔵千姫と云う配役。播磨屋の親戚筋である萬屋系と、初代吉右衛門の弟勘三郎の孫である中村屋兄弟が揃った追善狂言だ。

 

宮本武蔵の妖怪退治伝説と、姫路城の刑部姫伝説を合わせた筋立て。豊臣家滅亡により未亡人となった千姫を嫁とした本田忠刻だったが、千姫が物の怪の祟りで体調が勝れない。物の怪の真偽を確かめようと、天下一の剣客宮本武蔵を城に招いて酒宴を催す忠刻。すると怪しい影が現れ、千姫が苦しみだす。忠刻は伝家の宝刀神刀を武蔵に託し、妖怪退治を依頼する。武蔵と息子の三木之助が天守閣に登ると、刑部姫が現れ自分の棲家である姫路城をうばった本多家に七生までも祟ると云い放ち、武蔵達に襲い掛かる。続いて豊臣秀頼の亡霊も現れ、徳川家と再嫁した千姫への恨みを晴らすと武蔵に打ちかかる。大立ち回りとなるが、神刀の威徳により刑部姫と秀頼の霊は姿を消すと云うのが大筋である。

 

歌六扮する武蔵は、やはりニンではない。する事に間違いはないし、技術は確かではある。しかし武蔵の武張ったところ、力感が出てこない。これほどの名人をもってしても、ニンでないと云う事は如何ともしがたいのだろう。その一方で中村屋兄弟が出て来ると、芝居がぐっと華やかになる。やはりこの二人には華がある。技術を超えた何かが備わっているのだろう。この辺り、やはり長年名脇役として過ごしてきた歌六と、主役になるべく生まれついた中村屋兄弟の違いなのかもしれない。

 

その他脇では時蔵千姫は流石の貫禄。還暦をとうに過ぎている時蔵だが、赤姫を演じて違和感を感じさせないところは芸だろう。梅枝と米吉の若手花形が見せる二人舞も実に美しく、嫋やかな所作で惹きつけられる。加えて最後の大立ち回りで、眷属に扮する彌八・彌風を始めとした大部屋役者達のトンボもキレッキレで、実に見応えがあった。初演を観ていないが、今後も歌舞伎座での再演を期待したい狂言だ。

 

打ち出しは「寺子屋」。松王丸・源蔵とも生前の播磨屋が得意にしており、今回は甥である幸四郎と、従甥の松緑が二役を日替わりで勤めると云う豪華な配役。後継の男子に恵まれなかった播磨屋にとっては、何よりの追善供養だろう。その他の配役は児太郎の戸浪、種之助の玄蕃、彌十郎の吾作、又五郎の涎くり、東蔵圓生の前、魁春の千代、そして又五郎の孫であり、歌昇の子である種太郎と秀乃助がそれぞれ秀才と小太郎で初舞台を踏んだ。播磨屋の追善公演のしかも「寺子屋」で初舞台とは、二人共恵まれている。この舞台の事を大きくなっても忘れないでいて欲しいものだ。

 

筋書によると、「寺子屋」と聞いた松緑は源蔵一役と思っていたところ幸四郎からぜひダブルキャストでと云われ、引き受けたと云う。音羽屋系の役者が松王丸を勤める際には銀鼠の衣装が通常だが、今回は播磨屋の追善と云う事で菊五郎に許しを得て雪持ちの衣装にしたらしい。播磨屋への敬慕の念が感じられるいい話しだ。そしてその芝居も、実力伯仲の幸四郎松緑が天国の播磨屋へ届けとばかりに舞台上で火花を散らす見事な出来であった。

 

筆者はダブルキャストを両日共観劇したが、いずれ甲乙つけがたい名演だった。松緑の松王は駕籠から出て来たところ、顔の小ささと線の細さは体格故に是非もないが、以前は義太夫狂言の味を損なう事もままあった癖のある科白廻しが取れてきており、替わって義太夫味が加わり進境著しいところを見せてくれる。玄蕃とのやり取りは目を閉じて体調が勝れない(偽装だが)のを暗示している。これは当代では高麗屋がとっている行き方で、もしかしたら初演時に高麗屋の教えを乞うたのかもしれない。幸四郎の松王はここでは目を開けており、こちらは播磨屋だけではないが誰でもする行き方である。

 

松緑の松王が他の役者と最も違っている部分は首実検のところ。首を検めて首桶を閉じ、誰でも云う「でかした源蔵、よく討ったな~」の「でかした」を云わず、手も上げない。ここは歌舞伎調と云うよりリアルな行き方で、この型は今後も続けて行って欲しい独特なものだ。その点では幸四郎の松王はオーソドックス。しかし深々とした義太夫味と太々しい描線は松緑を上回る。大落としは二人共嘆きの深さを見せてまず文句のない出来。それぞれ見所の多い立派な松王丸だった。

 

一方もう一役の源蔵も二人共見事なものだったが、こちらは幸四郎に一日の長があった様に思う。よりニンであると云うところろも預かって大きいが、出の思案にふけり乍ら花道を歩いて来るところの、大きな物を背負わされている感じが松緑より出ている。「せまじきものは~」の科白廻しも低音を生かした科白廻しが実に効果的。首実検の場で、もし松王が贋首と気づいたら斬って捨てようと云う気組みも良い。松緑源蔵は松王と違いこちらはオーソドックス。小太郎の最期を物語る際の「にっこりと笑ろうて」の慚愧の念に溢れる科白廻しが素晴らしい。

 

加えて今回の「寺子屋」の素晴らしさは実に見事な魁春の千代によるところも大である。この優の義太夫狂言はいつもそうだが、実に古格な味わいがある。若い二人の松王を相手にしてもその行き方を変えず、それでいて違和感がないのは流石の芸。覚悟して送り込んだ我が子の死を嘆くところも、身体を小さく使ってそのまま消え入りそうに見える程で、母親としての嘆きの深さを感じさせ、涙なしでは観れない愁嘆場になっている。筆者は観劇した二回ともここで不覚にも涙してしまった。

 

その他脇では又五郎の涎くりがご馳走で、吾作の彌十郎共々、後段の陰鬱な場の前のチャリ場を見事に演じてくれていた。東蔵圓生の前は当然の事乍ら流石の位取り。初役の種之助の玄蕃と児太郎の戸浪はそれぞれ持てる力を出した好演であったが、周りが周りだけに、力みが目立った。これは回数を重ねればこなれてくるだろう。初舞台の播磨屋の御曹司二人は実に子柄が良く、将来が楽しみである。見物衆もこの二人には温かい拍手を送っていた。

 

役者も揃い、充実した狂言が揃った秀山祭第一部。後輩や親類の頑張りに、天国の播磨屋も喜んでいるに違いない。その他の部は観劇後また別項にて。

 

 

歌舞伎座 秀山祭九月大歌舞伎(写真)

九月大歌舞伎、観劇して来ました。ポスターです。

 

一部絵看板です。

 

同じく二部・三部です。

 

高麗屋の松浦候ポスターです。風情がありますな。

 

播磨屋御曹司の初舞台。大役を立派に勤めていました。

 

今月は播磨屋一周忌追善興行。ただただご冥福をお祈りするのみです。

 

三年ぶりの秀山祭。一門、親類総出での追善興行。天の播磨屋に届く事を祈ります。感想はまた別項にて。

 

八月納涼歌舞伎 第三部 幸四郎・猿之助・染五郎・團子の『弥次喜多流離譚』

歌舞伎座第三部を千秋楽に観劇。今月から入場制限が撤廃されたが、一部・二部は大入りと迄は行っていなかった。しかし流石幸四郎猿之助と揃う人気狂言。大入り満員の客席だった。やはり満席となると拍手の厚みが違う。あぁこの感じ何年ぶりだろうと、独り勝手に感慨に耽りながら観劇していた。すっかり夏の歌舞伎座の風物詩となった「弥次喜多」、見物衆も大いに沸いていて熱気に溢れた公演となった。

 

配役は幸四郎の弥次郎兵衛、猿之助の喜多八、染五郎が梵太郎・オリビア、團子が政之助・お夏の二役、新悟の総長シー子、廣太郎のジャック、隼人の綾人、青虎の虎奴、寿猿の知喜、錦吾のジョニー・テープ、笑三郎の奈々夫人、笑也の天照大神片岡亀蔵の掛之丞、猿弥の次右衛門、門之助のザブエル、高麗蔵のつる紫と云う配役。中では現役最年長役者寿猿が矍鑠として元気な舞台姿を見せ、ゴンドラによる宙乗り迄披露。この優が舞台に出てくれているだけで、浮き浮きした気分になる。今月は久しぶりに由次郎の元気な舞台姿も見れたし、ベテラン健在は頼もしい限りだ。

 

内容としてはいつも通り肩の凝らない喜劇で、筋立てを楽しむものではない。鬼界ケ島を彷彿とさせる孤島(竹本の詞章も「俊寛」をもじっている)に漂着した弥次喜多が、長崎に辿り着く。そこで知り合ったオリビアが江戸の役者綾人会いたいと云うので道連れとなって歌舞伎座を目指す。道中お夏と云う娘と知り合い、お夏も綾人に会いたいと云うので一緒に江戸へと向かう。道中色々あって染五郎・團子の暴走族の総長とドタバタもあり、その過程で寿猿のゴンドラ宙乗りがある。そして疫病の流行により倒産の危機に瀕する歌舞伎座弥次喜多パワーで救い、四人揃っての宙乗りで幕となると云うのが大筋。コロナの現状を諷して、疫病で歌舞伎座が倒産寸前となっている自虐設定は中々エスプリが効いている。

 

今回の弥次喜多が今までと大きく違うのは、幸四郎猿之助狂言回し的な役割に回り、実質の主役は染五郎と團子になっている事だ。特に團子は本格的な女形にも挑戦しており、意外な適応性を発揮している。染五郎女形を演じてはいるが、外人娘の設定なので、あまり歌舞伎の女形的でなく、どちらかかと云うとより宝塚的である。しかし美貌は比類ない。それにしても染五郎は顔が小さい。歌舞伎役者としては必ずしも利点とはならないが、モデルの様なスタイルの良さだ。この二人の踊り比べが見所の一つ。歌舞伎舞踊ではないのだが、筆者が観たのが千秋楽だったと云う事もあり、イキもピッタリで実にキレッキレの踊りを見せてくれる。若いから当然だが身体も良く動き、腰も充分落ちていて踊りとしては実に立派なもの。以前二人で『三社祭』を披露してくれた事があったが、またこの二人の連れ舞いを観てみたいものだ。

 

全体として群舞のシーンが多いのだがこちらも日本舞踊的ではなく、テイストとしては洋舞である。その意味で歌舞伎として鑑賞すると云う態度にはならない。しかしそこは歌舞伎界屈指のエンターテイナー幸四郎猿之助である。芝居としては大いに盛り上げてくれる。何度も共演しているから当然乍らイキも合い、掛け合いの間の良さも抜群。中で筆者的に最も印象に残ったのはシー子を演じている新悟。手下を率いての踊りの若手花形とは思えない貫禄、そして劇中でただ一人舞台を独占して一人舞を見せてくれる。時間にして僅か五分程度なのだが、とにかく舞台で役者が一人で踊るシーンはここのみ。それだけ幸四郎猿之助が新悟の腕を買っていると云う事だろう。その期待に充分応える見事な舞踊だった。この狂言の助演女優(?)賞ものだったと思う。

 

最期は笑三郎・笑也が登場して流石の貫禄を見せ、幸四郎猿之助染五郎・團子四人揃っての宙乗りで幕となる。千秋楽だったので終幕後も拍手が鳴りやまず、歌舞伎座では珍しいカーテンコールとなった。宙乗りから急ぎ戻った四人が花道から登場、幸四郎猿之助が見物衆にお礼と裏方さんへの感謝を述べて終演となった。筆者的な価値観としては歌舞伎とは云えないが、芝居としては実に面白く来年もまた新しい弥次喜多に会いたいものだ。作る方は大変だろうけれど。

 

九月は久方ぶりに歌舞伎座に「秀山祭」が帰って来る。播磨屋がこの世にいないと云うのは痛恨事だが、立派な追善興行になる事を期待したい。

南座 坂東玉三郎 特別公演 大和屋・愛之助の『東海道四谷怪談』、『元禄花見踊』

前月に続き京都遠征。南座の大和屋特別公演を観劇した。前月観劇した時は移動中に集中豪雨に見舞われ、傘をさすのも意味はなく全身びしょ濡れになった。今回はそんな事もなく無事観劇。大入り満員ではなかったが、かなりいい入りだった。歌舞伎座は役者も興行日も休演が続出して厳しい環境だったが、幸いにも南座はそんな事態にならず、つつがなく千秋楽迄興行出来た様だ。改めてスタッフの方々のご努力に感謝申し上げたい。

 

幕開きは『東海道四谷怪談』。大和屋のお岩、愛之助伊右衛門喜多村緑郎の小平、河合雪之丞のお弓、吉太朗のお梅、歌女之丞のおまき、松之助の宅悦と云う配役。去年歌舞伎座で大和屋・松嶋屋のコンビとしては三十八年ぶりに上演した狂言。その際と歌女之丞と松之助のみそのままで、他は新しい配役。これがまた去年の公演に劣らぬ見事な出来であった。

 

今回は伊右衛門浪宅の場から元の浪宅の場迄の上演。去年上演された隠亡堀はなし。「戸板返し」や「提灯抜け」と云った歌舞伎ならではのケレン的な要素はなく、よりプリミティブな芝居としての純度が高くなっている。筋書で(関西では番附だが)大和屋は「自然でなければいけない」「写実に勤める」と繰り返し語っていたが、正にその通りの行き方だった。伊藤家から血の道の薬と偽って渡された毒薬を飲む所作も実に丁寧でリアル。その丁寧さが、毒薬を妙薬と信じて飲むお岩の哀れさを、真相を知っているこちらにひしひしと感じさせるのだ。

 

そしてクライマックスの「髪梳き」にしても、宅悦とのやり取りにしても、大袈裟になる事はなく、抑制されている。同じく筋書で「大袈裟にたっぷり見せるのもやり方だと思うが、私はそうでない見せ方をしたい」と語っていた通りの芝居と云える。去年の歌舞伎座の時よりも抑制されていて、この狂言のコアな部分がより鮮明になっていると云えるかもしれない。これは一つにハコの大きさによるところも大だと思う。南座歌舞伎座の六割程度の大きさなので、大きく演じなくても客席後方に迄声も所作も伝わりやすい。歌舞伎座ではこうは行かないだろう。江戸時代の小屋は大きかったはずがないので、その意味では初演もこんな雰囲気だったのではないだろうかと、ふと思った。

 

伊右衛門愛之助もまた素晴らしい。科白廻しは松嶋屋マナー。色悪がニンと云うのも愛之助に失礼かもしれないが、役柄と芸風がマッチしている。むずかる赤ん坊の声に辟易しながら傘の張替えをしているところの科白廻しで、伊右衛門と云う男の無責任で堪え性のない性格をしっかり表現している。伊藤家で婿にしたい旨を伝えられた時に一旦断る辺りはこの男の僅かな良心が垣間見えるが、たってと押されるとあっさり承諾。どうしようもない男なのだが、お梅に惚れられるだけの色気があり、これぞ正に色悪と云う見事な芝居だった。

 

最期はお岩の怨念に導かれる様に喜兵衛とお梅を殺戮して幕。後味の悪さ満点だが、凄みのある幕切れがよりお岩の無念の思いを感じさせ、舞台を支配している。既に大和屋は舞台にいないのだか、見事な芝居の余韻が幕切れの舞台に漂っているかの様で、素晴らしい「四谷怪談」となっていた。脇では歌舞伎座では今一つに感じた松之助の宅悦が、ベテラン役者にこう云う云い方は失礼かもしれないが、自在さが出て来て芝居がこなれており、格段に良くなった。喜多村緑郎の小平も、歌舞伎座での橋之助とは年季が違うところを見せてくれており、これまた見事なものだった。

 

打ち出しは『元禄花見踊』。大和屋と雪之丞、吉弥の元禄の女、愛之助と緑郎の元禄の男と云う配役。出演者うち揃っての総踊りで、華やかな事この上ない。前幕の後味の悪さを爽やかに拭ってくれる見事な狂言立て。舞台で踊るのは久しぶりであろう緑郎が柄の大きさを生かして愛之助に拮抗しており、新派もいいがこの優の歌舞伎もまた観たいものだと改めて思わせてくれた。

 

夏の風物詩怪談と華やかな舞踊の二本立て。見所たっぷりで実に充実した大和屋の南座特別公演だった。十月の御園座公演も今から楽しみだ。

南座 坂東玉三郎 特別公演(写真)

南座大和屋公演に行って来ました。

 

ポスターです。

 

これも興味深いのですが、十月は御園座もあるので流石に財政が破綻しそう・・・。

 

二ヶ月連続で京都遠征して来ました。感想はまた改めて綴ります。



八月納涼歌舞伎 第一部 幸四郎・勘九郎の『安政奇聞佃夜嵐』、猿之助・團子の『浮世風呂』

歌舞伎座二部を観劇。入りは一部とほぼほぼ同じくらいだったろうか。まん延防止法などが出されていた時期にはかなり寒い入りの時もあったが、最近はそう云う事はなくなった。入りが悪くても素晴らしい舞台に幾つか立ち会えたが、やはり入りはいいに越した事はない。何と云っても歌舞伎と云う芝居は、舞台と客席が一体となって作り上げるものだと思うので。しかしまたぞろ拡大しているコロナが歌舞伎座を直撃している。感染する役者が相次ぎ、各部とも中止日が出ている状況だ。そんな中だが幸い筆者が観た日は無事上演された。コロナ以降の歌舞伎座を、中心になって支えて来たと云っても差し支えない幸四郎猿之助が揃った第二部。二演目とも実に結構な出来であった。

 

幕開きは『安政奇聞佃夜嵐』。三十五年ぶりの上演で、筆者は初めて観る狂言。希代の興行師十二世守田勘彌の原作で、六代目菊五郎と初代吉右衛門が初演した出し物らしい。今回は二人の曾孫である幸四郎勘九郎での上演。泉下の六代目と大播磨も喜んでいるのではないだろうか。しかもその出来も、流石名人二人直系の役者だけの事はあると思わせる見事なものだった。幸四郎の貞次郎、勘九郎の玄蔵、米吉のおさよ、隼人の清次、猿弥の亀次郎、玉太郎の半次郎、由次郎の与兵衛、萬次郎のお米、彌十郎の義兵衛と云う配役。中では由次郎の元気な姿が久しぶりに観れたのが嬉しかった。

 

寄場である佃島から島抜けした悪党の貞次郎と玄蔵が、奪った金を山分けにしてそれぞれ別々の道を行く。貞次郎は親の仇を討ちたいと故郷の甲府に向かう。甲府にも島抜けした罪人の知らせが届いており、笛吹川の渡し守義兵衛に罪人召し取り迄舟を出さない様にとお達しがある。そこに貞次郎がやって来て、舟を出して欲しいと頼む。しかし義兵衛はそれを拒む。そこへ清次が現れて貞次郎を殺そうとする。義兵衛と力を合わせて清次を倒す貞次郎。その清次の今わの際の言葉で、貞次郎の父を殺したのが玄蔵である事が判明する。義兵衛には娘のおさよと病に苦しむ孫のお民がいる。医者を探して外出していたおさよが戻り、貞次郎が夫である事が判る。娘への情に絆され、義兵衛は舟を出して貞次郎を落とす。そして武田の埋蔵金を運びだそうとしている玄蔵の所に貞次郎が現れ斬り合うが、捕手によって二人共御用になると云う筋だ。

 

かなりご都合主義的な筋立てだが、まぁ歌舞伎ではよくある事。しかし何より幸四郎勘九郎、二人の芝居の上手さが光る。世話の味がしっかり出せており、ことに序幕「佃島寄場飯焚場」における幸四郎は悪党らしさが科白に滲んで凄みがあり、実に見事。一転見せ場の一つである「島抜け」の場面では幸四郎勘九郎の二人が持つ愛嬌に思わずニヤリとさせられる滑稽味があり、これまた結構。この味をたくまずして自然に出せているのがいい。

 

当初はどちらかと云うと勘九郎の玄蔵の方が弟分的であり、水を怖がるなど頼りなく三枚目的な人物像である。しかし大詰になると一転、貞次郎以上の悪党ぶりでその変り目を鮮やかに見せている勘九郎の力量は、感嘆の他はない。幸四郎は逆に序幕では悪党の凄みを効かせているが、女房・子供への情味に溢れ、人間らしい面が濃厚に表れて来る後段の芝居にコクがあり、近年の充実ぶりを改めて見せつけてくれている。殊に「義兵衛住居場」の、竹本に乗った彌十郎扮する義兵衛との『佐倉義民伝』を想起させる舟出しの芝居は二人共大熱演で、ここがこの芝居最大の見せ場だった。

 

脇では「御船蔵前の飯屋」における萬次郎が絶品とも云うべき素晴らしさ。この優はたとえ短い出番でも、その芝居にしっかり自分の爪痕を遺せる役者。いかにも飯屋の女房と云った風情があり、世話の味がたまらなくいい。本物の蕎麦をたぐる幸四郎勘九郎とのやり取りはイキも合い、見事としか云い様がない。今の歌舞伎界において、実に貴重な存在だと思う。こう云う脇がいいので芝居の隅々にまで血が通う事になるのだ。前述の通り彌十郎も素晴らしく、全員初役とは思えない見事な出来の狂言となっていた。

 

打ち出しは『浮世風呂』。澤瀉十種の内で、代々の猿之助がほぼ独占的に演じている舞踊だ。猿之助の三吉、團子のなめくじと云う配役。猿之助が五年程前に種之助のなめくじを相手に演じた時も見事だったが、今回もその時以上の素晴らしさ。何よりこの舞踊は猿之助のニンに合っている。きっちり踊る幸四郎松緑と違い、自然に自分流に崩して踊る猿之助の舞踊はこの三吉にぴったりと嵌る。実に軽く、柔らかなその踊りは観ているこちらが浮き浮きして踊り出したくなるくらいだ。

 

團子もあまり経験のない女形だが、なめくじ的な柔らかさを出せている。三吉に塩をふりかけられてすっぽんで消えて行く趣向も面白い。二十分程の短い舞踊だが、打ち出し狂言として実に味が良い。やはり舞踊で〆る狂言立ては筆者の好みに合う。殊に幸四郎松緑菊之助、そして猿之助と云った花形世代は華もあり、身体も充分に動くので、舞踊に於いては正に見ごろの年代を迎えていると云っていいだろう。これからもこの優達の舞踊は大注目だと思う。

 

今月は残る三部と大和屋がお岩様を演じる南座を観劇予定。どうか無事幕が上がります様に。

 

八月納涼歌舞伎 第一部 成駒屋兄弟の『新選組』、中村屋兄弟の『闇梅百物語』

八月納涼歌舞伎を観劇。今月から座席制限が撤廃された。まだ大向うや飲食は禁止だが、また一歩通常興行に近づいた。ただまたコロナにより一部の公演が明日迄中止となってしまった。状況はまだまだ予断を許さない。チケットを押さえている身としては、果たして上演されるのか、ひやひやものである。幸いにも筆者は一部を観劇出来た。入りは二階席に空席はあったものの、一階と三階はかなり埋まっていた。

 

幕開きは新作歌舞伎『新選組』。我が国が世界に誇る天才漫画家、手塚治虫原作の歌舞伎化である。筆者は手塚治虫は好きだが、この作品は読んだことがなかった。観劇した今もまだ未読である。亡き立川談志師が「ダヴィンチ、ビカソと並ぶ天才」と迄称賛した手塚治虫だが、劇を観た限り手塚作品の中では傑作と云える物ではないと思われる。父を殺された深草丘十郎が仇討を志して新選組に入隊し、その復讐譚を中心とした幕末青春物語である。その丘十郎に歌之助、その友人で同じく新選組隊士鎌切大作に福之助、この二人が主人公である。勘九郎近藤勇七之助土方歳三橋之助の南無之介、虎之介の沖田総司片岡亀蔵の半蔵、鶴松のお八重、彌十郎芹沢鴨扇雀坂本龍馬と云う配役。成駒屋兄弟が歌舞伎座で初めての主役に抜擢された。

 

丘十郎は父を庄内半蔵に殺され、その仇討を誓う。その場に居合わせた近藤勇新選組入隊を勧められ、鎌切大作と共に新規隊員に採用される。新選組隊員として腕を磨いた丘十郎は見事父の仇を討つ。しかし討たれた半蔵にも娘の八重がおり、仇と狙われる身となった丘十郎は仇討は仇討の無限ループを生むだけである事に気づき、虚しさを感じる。やがて無二の親友となった大作が長州の間者である事が発覚して隊命により討たねばならなくなると云うのが大筋。

 

歌之助・福之助とも科白廻しは現代調で、これは敢えてそうしたのだろう。現代人にも身近に感じさせる現代青年像を構築しようとした意図だと思う。初めて歌舞伎を観る人には入りやすい演出だと思うが、毎月の様に芝居を観ている身としては、やはり物足りない思いが残る。人殺しは人殺しを生む無常観が一つのテーマなのだが、この科白廻しではその哀感は出てこない。しかし展開はスピーディーで、「展開が早すぎる」「しかしこれもありなのだ」などと云う丘十郎と近藤勇のやり取りもあり、客席は沸いていた。

 

書割は手塚漫画の絵を使っており、劇中音楽にアトムのテーマが出てきたり、科白の中に「おむかえでごんす」や「アッチョンブリケ」と云った手塚作品お馴染みの言葉が出て来る。途中ブラックジャック迄登場するなどサービス精神旺盛な演出。歌舞伎調に寄せようとはしていないので、そこを批判されても困ると云うのが演出側の気持ちだとは思う。その分彌十郎扇雀の芝居の重厚感は際立っており、芝居好きを満足させるものだった。歌之助・福之助共若いので、立ち回りは身体もよく動き、きびきびとしていて清々しい。若手花形を起用して新しい芝居を作ると云う意図が充分感じられて、こういう試みは令和に生きる興行としては必要だと思う。

 

打ち出しは『闇梅百物語』。常磐津・清元・長唄の掛け合いによる舞踊劇。勘九郎が骸骨と読売、七之助が白梅と雪女郎の二役、種之助の傘一本足、虎之介の河童、鶴松の籬姫、千之助の新造、橋之助の狸、そして勘太郎と長三郎が小骸骨と読売をぶっ返りで勤めて大奮闘。これが若手花形うち揃っての全力投球で面白い出し物となった。

 

この舞踊は本来一人の役者が早替りで勤める事が基本だった様だが、この座組ではやはり役を振り分けた今回の行き方が良いだろう。三年前に幸四郎扇雀彌十郎と云った座組で観たが、その時より面白く観れた。妖怪変化が出て来て踊ると云う趣向なので、若手の軽い踊りの方が役に合致していると思う。

 

殊に種之助の傘一本足、虎之介の河童、橋之助の狸による「葛西領源兵衛堀の場」は面白い。河童と狸が傘一本足の行司で相撲を取ると云う荒唐無稽な内容と、童心を感じさせる若手花形らしい遊び心のある踊りが実にマッチしており、楽しく観れる。続く「廓田圃の場」はこの座組では年嵩である七之助の雪女郎が流石貫禄のある舞踊を見せてくれる。第一場で演じた白梅ときっちり演じ分けており、この優の女形舞踊は実に見事だ。ここがこの狂言最大の見せ場。勘九郎勘太郎・長三郎の親子も骸骨と読売でイキの合った舞踊を見せてくれており、夏らしく実に楽しめる舞踊劇となっていた。いい打ち出し狂言だったと思う。

 

残る部は観劇後にまた改めて綴る事にするが、何とか無事上演される事を祈りたい。