fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

四月大歌舞伎 夜の部 孝玉の『於染久松色読販』・『神田祭』、菊之助・愛之助・芝翫・孝太郎・松緑の『四季』

四月大歌舞伎夜の部を観劇。孝玉に芝翫菊之助愛之助松緑と揃う大一座。二階席後方に若干の空席はあったものの、満員に近い入り。凄い座組のわりには孝玉以外はそれぞれ短い出番の舞踊のみと、些か役には物足りなさがあった感。しかも上演時間が休憩入れて約三時間と短く、終演は七時半であった。こんなに早く終わる夜の部は、ちょっと記憶にない。まぁ別に芝居は時間ではないが。今の見物衆は、遅い終演は敬遠する傾向になっているのだろうか。

 

幕開きは『於染久松色読販』。大南北の傑作狂言。孝玉コンビがスタートした演目であると、筋書で松嶋屋が述べていた。二人にとって記念すべき芝居であろう。一時、先代團十郎に浮気(?)していた大和屋だが、團十郎亡き後は再び元の亭主松嶋屋とよりを戻した(?)共演が続ている。この二人の芝居は何度でも観たいものだ。配役は大和屋のお六、松嶋屋の喜兵衛、福助の亀吉、橘太郎の久作、彦三郎の太郎七、錦之助の清兵衛。中では橘太郎が初役の様だ。

 

あぁ、それにしても何と素晴らしいお六と喜兵衛であったろう。「柳島妙見の場」から「橋本座敷」をカットせず、「向島道行」まできっちりやれば二時間半はかかる芝居を、お六と喜兵衛の物語にフォーカスして一時間に絞り込んでいる。冒頭に出て来た刀の折り紙の話しがうやむやに終わるなど、初めてこの狂言を観た方には?の部分も多いかもしれない。筆者は本来、こう云うカットは好まない。しかし今年傘寿と七十四歳の二人なのだ。長い芝居での一ケ月興行は体力的にも厳しいだろうし、二人の芝居を今後も観続けたいのならば、致し方なかろうかと思う。そのカットを補って余りある素晴らしい芝居が観れたのだから、贅沢は云うまい。

 

お六は悪婆と云われてはいるが、動機が忠義の為なので本来的な悪人ではない。しかし今回上演された「瓦町油屋の場」では、悪態をついて金を強請取ろうとするので、愛嬌がなければならないと大和屋が筋書で述べている。正にその通りのお六で、悪態をついているものの、何とも云えない愛嬌が漂う。そして最初へりくだって店に入って来たお六が、嫁菜売は自分の弟で九助に打たれた疵で死んだと云いがかりをつけるところで、ガラリと口調を変える辺りの上手さは、本当に見事なもの。

 

死体を乗せた駕籠を店に運び込み、喜兵衛と二人でいんねんをつける。この場の大和屋と松嶋屋のやり取り、科白廻しは絶品である。煙草を所望したお六の「火がないんだよぉ、火が」の辺りの崩れた艶っぽさは、筆舌に尽くし難い。この場は松嶋屋も、黙阿弥調とは違う見事な南北調を聞かせてくれる。妙な例えだが、調子よく謡いあげる黙阿弥調が正調フォービートなら、南北調は変拍子と云った感じか。科白が字余り系で、リズムに外れていそうで、外れない絶妙な匙加減が必要だと思うのだが、この二人の名人にかかると難しさを感じさせず、陶酔の世界に誘われる。いつまでも聴いていたいと思ってしまうのだ。

 

最後は悪事が露見して駕籠を担いで店を逃げ出すのだが、この場も愛嬌たっぷりで、実に歌舞伎らしい味わいがある。これだけの芸を見せられると、芝居の筋などどうでもよいと思えてしまうのだから、芸と云うものは恐ろしい。脇では橘太郎が相変わらずの名人芸を見せてくれているし、錦之助も若々しい作り乍ら大店の旦那と云う風情があり、こちらも見事。話よりも役者の芸を観ると云う、如何にも歌舞伎らしい狂言であった。

 

中幕は『神田祭』。去年御園座でも観たが、やはりこの二人は素晴らしいの一言。先ほどとは打って変わった芸者姿の大和屋が揚幕から花道を出て来るのを観ただけで、思わず涙ぐみそうになった。そして松嶋屋の所作は実に鯔背で、上方系の役者とは思えない程。元々松嶋屋の芸風はこってりしておらず、上方系であり乍らさっぱりした江戸前の風情がある。これも妙な例えだが、落語で云うと亡き桂米朝がそうであった。同じ名人でも、如何にも上方落語と云った味わいのあった六代目笑福亭松鶴に比べて、あっさりした芸風であった米朝がより全国的な人気を博し得たのも、この芸風に寄るところが大きい。松嶋屋にも同じ事が云えると思う。

 

花道でお互いの服装を整えあって極まったところは、日本一の美男・美女。見物衆からの盛大な拍手を受け乍ら揚幕を入る二人を見送って、この二人と同時代を生きている仕合せをしみじみと感じていた。こんな事を感じさせてくれる役者はそう数はいない(ラマンチャ最終公演での高麗屋を観ていた時にも同じ感慨を持ったが)。お二人にはくれぐれも体調には留意して頂き、例え長い芝居でなくともその素晴らしい芸をいつまでも披露し続けて欲しいと、切に願うばかりである。

 

打ち出しは『四季』。「紙雛」「魂まつり」「砧」「木枯」と云うそれぞれ十分程度の舞踊を併せたもの。役者は菊之助愛之助芝翫橋之助・歌之助・児太郎・孝太郎・松緑坂東亀蔵・福之助・鷹之資に加え、亀三郎と眞秀と云う音羽屋の御曹司が揃った豪華舞踊。菊之助愛之助の気品、芝翫の大きさ、孝太郎の哀感、松緑の貫禄とそれぞれに見どころがあった。中でも孝太郎の一人舞踊は、戦場から還らない夫を想う真情に溢れ、目に残る出来であった。

 

しかし菊之助愛之助松緑は当月他の芝居にも出ているが、芝翫は昼夜でこの「魂まつり」の亭主役一役のみ。芝翫程の役者を使ってこれは些か寂しい限り。来月は出演の予定がなく、六月も『山姥』の三田の仕だと云うから、芝翫の本領発揮とは行きそうにない。また近い内に芝翫の見事な丸本芝居を観てみたいものだ。話しはそれたが、この夜の部は孝玉の二人に尽きる。まだ未見の方には、必見の舞台であると申し上げておきたい。