fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

七月大歌舞伎 夜の部 高麗屋三代揃い踏みの『裏表太閤記』(後半)

『裏表太閤記』の続き。二幕目一場「備中高松塞の場」。ここからいよいよ幸四郎が登場。しかし秀吉ではなく鈴木喜多頭重成と云う毛利方の武将の役。『義経千本桜』が題名にある義経が必ずしも主役でない様に、この狂言も「太閤記」となってはいるが、秀吉としての出番は必ずしも多くはない。そしてこの「備中高松塞の場」が、この長い芝居の中でも白眉とも云うべき場になっていた。

 

この場は史上名高い秀吉の備中高松城の水攻めの場面である。幸四郎演じる鈴木喜多頭重成は高松城の城主清水宗治の家臣で、自らの塞を守っている。幕が開くと見張りの兵がおり、その中に現役最高齢役者の寿猿がいる。他の兵に「敵は幾人いる?」と聞かれて「今年で九十四歳になった~」と答えると、見物衆から盛大な拍手。実に微笑ましい光景。寿猿にはいつまでも元気で舞台を勤めて貰いたいものだ。舞台上に重成の母浅路と関の谷が現れ、戦の行く末を案じている。演じているのは笑三郎と笑也で、年下の笑三郎が母親の役を勤めているのが、歌舞伎あるあるで面白い。そしてこの二人の芝居が義太夫味もしっかりあって実に上手い。

 

この場は本格的に竹本も入って、しっかりした義太夫狂言の作りになっている。この芝居全体としては本水の立ち回りあり、宙乗りありと派手な演出になっているのだが、この場の重厚な作りが、古典歌舞伎を愛好する者にとってのアリバイ証明の様な場になっている。そこへ重成の一子孫市が現れ、竹藪に潜む。この孫市は秀吉との和睦交渉に失敗して、勘当を受けている身。そして愈々幸四郎重成が花道から登場。この出はまるで熊谷の様で、風格充分な素晴らしい出となっている。この出だけでも、この場が良い場になると思わせてくれる。

 

筋を先に述べると、重成は主君宗治を裏切り、秀吉につくと明かす。母も女房も大反対なのだが、それを聞いた孫市が飛び出してきて、父重成を刺す。すると重成は「天晴れでかした」と云って、本性を打ち明ける。もうこの城はもたないので、和睦が最善の道だが、生中の事では秀吉は受けないと思っていたが、図らずも信長横死を知らせる密書を手に入れた。この状況なら自分の首を手土産にすれば、秀吉は和睦に応じると読み、その手柄を倅の孫市に立てさせようとしたのだと語る。ここの青々と忠義一途にいきり立った若者孫市と、重厚で思慮深い重成とが見事な対称をなす二人芝居が素晴らしい。

 

殊に筆者が感心したのは、幸四郎の音遣いだ。呂の声と甲の声を駆使した、見事な丸本の科白廻しになっている。この後の場で出て来る孫悟空の甲の声とは違い、高音なのだが芯があるのだ。幸四郎は父白鸚の様な、天性の名調子を持ち合わせていない。音域が狭く、義太夫狂言で甲の声が裏返り気味で、聞き辛さを感じさせる事がままあった。しかし今回はそこが見事に解消されているのだ。呂の声から甲の声迄見事にコントロールされており、目覚ましい進歩を見せている。丸本とその他の場との声の使い分けが実に巧みで、幸四郎の技術がまた一つ階段を上った事がはっきり判る。襲名で「歌舞伎職人を目指す」と宣言した幸四郎。圧倒的なオーラと存在感で見物衆を魅了する團十郎に対し、徹底的に技術を磨き上げる事で、歌舞伎役者としての自らを築き上げようとしている幸四郎。この二人の往き方の違いは実に興味深い。

 

これは筆者の推測なのだが、この幸四郎の音遣いの進歩の裏には、「鬼平」があるのではないかと思っている。ドラマ版も劇場版も筆者は全て観たが、その科白廻しが実に見事であったのだ。勿論歌舞伎とは違うのだが、やはり声に芯があって重量感があり、立派な時代劇の科白廻しとなっていた。この経験が、今回の舞台にも生かされたのではないかと、筆者は勝手に推量している次第。そしてこの場に出て来る笑也・笑三郎染五郎とのアンサンブルが実に見応えたっぷりで、本当に素晴らしい場となっていた。

 

場の最後には幸四郎秀吉が現れて和睦を受け入れると告げ、光秀への復讐を誓う。この早替わりがまた凄い。團十郎もそうだが、通常の早替わりは衣装は替えても顔は替えない。無論團十郎の様なその場での早替わりでは顔を直す時間はない。ここは一旦引っ込んでの早替わりなのだが、その顔を替えるスピードが凄い。普通は顔迄替える時間はないはずなのだ。しかし幸四郎は顔から何から全て替えてしまう。ここら辺りにも、技術を追求する幸四郎の姿勢が見て取れる。本当にこの人は職人気質である。そしてそれが見物衆を楽しませる事に繋がるのだと知っているのだ。

 

続く「山崎街道の場」から「 大津坂本大滝の場」迄がこの狂言の本筋のストーリーとなっており、この場で話し自体は終わっている。次の「天界紫微垣の場」は突然天界の話しとなっており、孫悟空猪八戒沙悟浄が活躍する場。話しの筋とは関係がないが、秀吉だけに猿と云う事なのだろう。これらの場の中では、「姫路海上の場」が高麗屋三代が揃う年代記物の舞台。白鸚は終始座ったままであったのが気になるが、声は相変わらず朗々としており、まずは一安心。そして「 大津坂本大滝の場」では、幸四郎・松也・染五郎三人による本水を使った大立ち回りがある。本当に滝が瀑布とも云うべき勢いで、三人ともずぶ濡れ。勢いよく客席前方に水を飛ばしまくっていた。

 

本水の大立ち回りで光秀は討たれ、めでたしめでたしで筋としては終了。そこへ中車が裃姿ですっぽんから現れ、切り口上。この後所作事となると告げて一旦幕となる。そこから孫悟空の話しになるのだが、ここは話しとしては大したものではない。しかし幸四郎・青虎・九團次が楽しんで演じているのがわかり、こちらも浮き浮きした気分になる。印象的であったのは、成田屋一門の九團次の起用。幸四郎の芝居に九團次が出ているのは、ちょっと記憶にない。しかししっかり見せ場を与えているのが幸四郎らしさ。最後は幸四郎、続いて青虎が宙乗りを披露して、満場から大喝采を浴びていた。

 

最後は大詰「大坂城大広間の場」。舞台は三転して大阪城になっており、今までの話しは、全てうたた寝をしていた秀吉の夢であったと云う話になっている。そこへ大政所・淀殿・家康が現れ、豊臣家の弥栄を祈って三番叟を踊る。ここでは大政所の雀右衛門が如何にも天下人の正妻らしい大きさで、悠揚迫らぬ舞踊を披露。対して高麗蔵の淀殿は、気位の高さと若さ故の利かん気をその所作で表現しており、この対称が面白い。そして最後は幸四郎・松也・巳之助・右近・染五郎による五人三番叟。実に豪華と云うか贅沢と云うか、大いに舞台映えのする三番叟。五人で踊りを合わせるのは決して容易くはないと思うのだが、全員のイキがピッタリで素晴らしいの一言。中では他の四人に見劣りしない染五郎の健闘が光る。祝祭感溢れる実に見事な踊りで幕となった。

 

時代物、丸本の場あり、ケレンの要素もあり、新作歌舞伎の味わいもあり、舞踊もある。なかったのは世話場くらいのもの。歌舞伎の要素がふんだんに詰め込まれた素晴らしい狂言。流石は猿翁が創り上げただけの事はある芝居であった。終演後、筆者の隣で観劇しておられた見ず知らずの老婦人が「素晴らしかったですね」と話しかけてきた。本当に筆者も心底そう思った。遠くない将来に、また再演して貰いたい見事な『裏表太閤記』であった。