fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

御園座 片岡仁左衛門 坂東玉三郎 錦秋特別公演 松嶋屋と大和屋の「四谷怪談」、『神田祭』

去年に引き続き、秋の名古屋遠征。食べ物も美味しくていい所ですね、名古屋は。ドラゴンズは情けなかったですが、愛知には藤井聡太がいる(笑)。十一日の対局は本当に凄い将棋だった。まぁこのブログの主題には関係ありませんが。話し変わって御園座公演。筆者が観劇した日は満員の入り。流石は松嶋屋と大和屋の公演だ。大和屋は長時間の一ケ月興行からの引退を示唆しているが、そんな事を云わず素晴らしい舞台を長く披露し続けて欲しいものだ。

 

幕開きは『東海道四谷怪談』。「浪宅」と「喜兵衛内」のみの上演。去年の愛之助との南座公演と同じである。配役は大和屋のお岩、隼人の小平、千之助のお梅、松之助の宅悦、歌女之丞のおまき、橘三郎の喜兵衛、吉弥のお弓、松島屋の伊右衛門。去年の公演と大和屋・松之助・歌女之丞以外は全て変わっており、中でも吉弥は「四谷怪談」自体に出るのが初めてだと云うから意外の感もある。

 

あぁそれにしても大和屋のお岩様、何と素晴らしいお岩様であったろうか。何度も観ているのだが、今回は更に深みが増している様に感じられる。そして松嶋屋伊右衛門もまた、変わらず見事なもの。傘寿に近い松嶋屋だが脂っ気が抜けるどころか、艶っぽさが増している様にも思える。お岩は伊右衛門を真から愛しているのではない。父の仇を討ってやると云う言葉を信じて結婚しているのだ。しかし伊右衛門はお岩欲しさに父の左門を殺害した程お岩に惚れている。松嶋屋も筋書きで「伊右衛門はとにかくお岩さんに惚れていて」と語っている。そこのすれ違いが悲劇の元になる。

 

「浪宅」の場の幕が開く。傘張りをしている伊右衛門。自らの境遇が全くパッとせず、塩谷の家臣であった事の誇りもなくなり、心ならずも子供も出来てその泣き声にうんざりしている。一方お岩もまた産後の肥立ちが悪く、一向に仇討をしてくれる様子もない(自分が犯人なのだから当然なのだが)夫に憤懣やるかたない思いを持っている。それぞれのその思いが「浪宅」の前提になっている事が、二人の芝居から説明的でなく判るのが素晴らしい。

 

伊藤家の使いとしておまきがやって来て、血の道の妙薬(実は毒薬)と金子を置いていく。お岩は喜び、伊藤家に御礼に行く様伊右衛門を促す。伊藤家は主君塩谷判官の仇高家の家来なので躊躇するも、お礼に伊藤家に向かう。残ったお岩は伊藤家からの薬を感謝しながら飲む。ここの大和屋が素晴らしく上手い。毒薬と知らずに御礼の言葉を云い乍ら飲み干す大和屋のお岩を観ていると、「あぁ飲んでしまった」と思わず口について出そうな程の真実味があるのだ。実に切ない。ここから「喜兵衛内の場」になる。伊右衛門について松嶋屋は「お岩の事を面倒くさいと思っても、どこか後ろめたさがある」と語っている通り、喜兵衛から孫のお梅を貰って欲しいと云われても一回断っている辺りにそれが表れている。「浪宅」での小平をいたぶる悪っぷりからここの小心ぶりの二面性を、松嶋屋は実に見事に演じて見せてくれる。

 

「元の浪宅の場」になる。薬を飲んで顔面が爛れたお岩を、帰宅した伊右衛門が見る。完全にお岩が嫌になった伊右衛門はもう仇討ちをする気はないと告げ、金がいると着物から蚊帳まで持っていってしまう。ここの松嶋屋伊右衛門の冷酷非情ぶりは観ていてぞっとする程。元々何かにつけてお岩の陰気なところを疎ましく思っていた伊右衛門は、完全に開き直っている。最後に残っていた良心を吹き飛ばしてしまった松嶋屋伊右衛門。凄みのある悪党ぶりだ。宅悦に不義をしかける様に命じると家を出ていく。

 

命じられるまま宅悦はお岩を口説きにかかる。しかしお岩にきっぱり拒絶されると全てを白状する。そして崩れかかった顔を鏡でお岩に見せる。ここの大和屋と松之助の二人芝居は本当に真に迫って見事なもの。初演時には喰い足りなかった松之助だが、三度目の今回は素晴らしい技巧で、当代無双と云ってもいい宅悦。そしてクライマックスの「髪梳き」。ここのメリヤスをバックにした大和屋お岩の芝居は物凄い迫力。他の役者の様にごっそり髪が抜ける訳ではない。ないのだが、その震える所作でどんな時でも美しくありたい女の心情と、妄執を感じさせる大和屋の芝居の上手さは本当に水際立っている。

 

揉み合う内に首に短刀が刺さり、お岩は絶命する。帰宅した伊右衛門はお岩の死骸を片付け、お梅を伴った喜兵衛を迎える。初夜の床入りとなるが、お岩の亡霊が現れ斬りつけるとそれはお梅、小平の亡霊と思って首を刎ねるがそれは喜兵衛と云う陰惨な幕切れとなる。ここの伊右衛門の悩乱ぶりも陰惨な場なのだが、松嶋屋の所作はいかにも歌舞伎的な美しさとリズムがあり、最後の最後まで見物衆を惹きつけて離さない。名人二人の見事な芝居を満喫させて貰った。

 

脇では先に記した松之助の宅悦がまずもって見事な出来。隼人初役の小平も、去年の緑郎に比べ色気にはやや欠けるが、盗みを働いたとは云え、全て主人の為と云う実直ぶりがしっかり出せており、初演乍ら立派な小平。歌女之丞・橘三郎・吉弥と云う手練れがしっかり芝居を〆ていて、実に素晴らしい「四谷怪談」であった。本当は「隠亡堀」迄出す予定だった様なのだが、最後は明るく締めたいと云う事でこの「浪宅」迄としたとの事。「隠亡堀」も観たかったのは本音だが、確かに劇場を後にする気分としてはここで切った方が良いのかもしれない。

 

そして打ち出しはガラッと気分が変わり『神田祭』。松嶋屋の鳶頭と大和屋の芸者がイキもぴったりで、観ているこちらも照れてしまう程の熱々ぶり。客席から「御両人!」の大向うもかかり、前幕と打って変わって実に明るくいい雰囲気。松嶋屋鳶頭の鯔背な所作、大和屋芸者の艶っぽさ。古希をとうに過ぎた二人とはとても思えない。この瞬間がいつまでも続けばいいのにと、叶わぬ事迄思ってしまう。やはりこの二人は日本の宝です。今後も永く素晴らしい芝居を見せて欲しいと、切に願う次第。

 

素晴らしい芝居に、美味しい物も食べて大満足だった秋の名古屋遠征。今月はこの後国立劇場のさよなら公演も観劇予定。「妹背山」の後半、楽しみである。