fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

南座 坂東玉三郎 特別公演 大和屋・愛之助の『東海道四谷怪談』、『元禄花見踊』

前月に続き京都遠征。南座の大和屋特別公演を観劇した。前月観劇した時は移動中に集中豪雨に見舞われ、傘をさすのも意味はなく全身びしょ濡れになった。今回はそんな事もなく無事観劇。大入り満員ではなかったが、かなりいい入りだった。歌舞伎座は役者も興行日も休演が続出して厳しい環境だったが、幸いにも南座はそんな事態にならず、つつがなく千秋楽迄興行出来た様だ。改めてスタッフの方々のご努力に感謝申し上げたい。

 

幕開きは『東海道四谷怪談』。大和屋のお岩、愛之助伊右衛門喜多村緑郎の小平、河合雪之丞のお弓、吉太朗のお梅、歌女之丞のおまき、松之助の宅悦と云う配役。去年歌舞伎座で大和屋・松嶋屋のコンビとしては三十八年ぶりに上演した狂言。その際と歌女之丞と松之助のみそのままで、他は新しい配役。これがまた去年の公演に劣らぬ見事な出来であった。

 

今回は伊右衛門浪宅の場から元の浪宅の場迄の上演。去年上演された隠亡堀はなし。「戸板返し」や「提灯抜け」と云った歌舞伎ならではのケレン的な要素はなく、よりプリミティブな芝居としての純度が高くなっている。筋書で(関西では番附だが)大和屋は「自然でなければいけない」「写実に勤める」と繰り返し語っていたが、正にその通りの行き方だった。伊藤家から血の道の薬と偽って渡された毒薬を飲む所作も実に丁寧でリアル。その丁寧さが、毒薬を妙薬と信じて飲むお岩の哀れさを、真相を知っているこちらにひしひしと感じさせるのだ。

 

そしてクライマックスの「髪梳き」にしても、宅悦とのやり取りにしても、大袈裟になる事はなく、抑制されている。同じく筋書で「大袈裟にたっぷり見せるのもやり方だと思うが、私はそうでない見せ方をしたい」と語っていた通りの芝居と云える。去年の歌舞伎座の時よりも抑制されていて、この狂言のコアな部分がより鮮明になっていると云えるかもしれない。これは一つにハコの大きさによるところも大だと思う。南座歌舞伎座の六割程度の大きさなので、大きく演じなくても客席後方に迄声も所作も伝わりやすい。歌舞伎座ではこうは行かないだろう。江戸時代の小屋は大きかったはずがないので、その意味では初演もこんな雰囲気だったのではないだろうかと、ふと思った。

 

伊右衛門愛之助もまた素晴らしい。科白廻しは松嶋屋マナー。色悪がニンと云うのも愛之助に失礼かもしれないが、役柄と芸風がマッチしている。むずかる赤ん坊の声に辟易しながら傘の張替えをしているところの科白廻しで、伊右衛門と云う男の無責任で堪え性のない性格をしっかり表現している。伊藤家で婿にしたい旨を伝えられた時に一旦断る辺りはこの男の僅かな良心が垣間見えるが、たってと押されるとあっさり承諾。どうしようもない男なのだが、お梅に惚れられるだけの色気があり、これぞ正に色悪と云う見事な芝居だった。

 

最期はお岩の怨念に導かれる様に喜兵衛とお梅を殺戮して幕。後味の悪さ満点だが、凄みのある幕切れがよりお岩の無念の思いを感じさせ、舞台を支配している。既に大和屋は舞台にいないのだか、見事な芝居の余韻が幕切れの舞台に漂っているかの様で、素晴らしい「四谷怪談」となっていた。脇では歌舞伎座では今一つに感じた松之助の宅悦が、ベテラン役者にこう云う云い方は失礼かもしれないが、自在さが出て来て芝居がこなれており、格段に良くなった。喜多村緑郎の小平も、歌舞伎座での橋之助とは年季が違うところを見せてくれており、これまた見事なものだった。

 

打ち出しは『元禄花見踊』。大和屋と雪之丞、吉弥の元禄の女、愛之助と緑郎の元禄の男と云う配役。出演者うち揃っての総踊りで、華やかな事この上ない。前幕の後味の悪さを爽やかに拭ってくれる見事な狂言立て。舞台で踊るのは久しぶりであろう緑郎が柄の大きさを生かして愛之助に拮抗しており、新派もいいがこの優の歌舞伎もまた観たいものだと改めて思わせてくれた。

 

夏の風物詩怪談と華やかな舞踊の二本立て。見所たっぷりで実に充実した大和屋の南座特別公演だった。十月の御園座公演も今から楽しみだ。