fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

鳳凰祭四月大歌舞伎 第二部 松嶋屋・大和屋の『与話情浮名横櫛』、松緑・左近の『連獅子』

歌舞伎座二部を観劇。二階席に少し空席があったが、一階と三階は満席。まぁ孝玉が揃えば当然だろう。しかし松嶋屋の体調不良により、この二部は三日間の中止を余儀なくされた。幸い八日から復帰したが、年齢が年齢だけに体調が心配される。播磨屋も手術明けの無理が寿命が縮める事になったのではと個人的には思っているので、松嶋屋には、くれぐれも無理はしないで貰いたいものだ。そして今月からいよいよ「大向う」が解禁された。やはりこれがない歌舞伎は味気ない。本当に喜ばしい。

 

幕開きはその松嶋屋の復帰なった『与話情浮名横櫛』。今回は歌舞伎座では十八年ぶりと云う「赤間別荘」が出た。短く大した場ではないのだが、松嶋屋が何かのインタビューで話していた通り、この場を出さずに「見染」と「源氏店」を演じると、お客が別の狂言を観ている様に感じる可能性がある。この与三郎が赤間源左衛門に切られる場があると、「見染」と「源氏店」がすんなり繋がる。今後も時間が許す限り出して欲しい場だ。

 

配役は松嶋屋の与三郎、大和屋のお富、市蔵の蝙蝠安、松之助の藤八、橘太郎の相生、吉之丞の松五郎、歌女之丞のお岸、片岡亀蔵の源左衛門、左團次が病気休演で坂東亀蔵が金五郎、権十郎が多佐衛門と配役の変更があった。松嶋屋と違い初日から休演となっている左團次。一日も早く元気になって復帰して貰いたいと願うばかりだ。しかし代役の二人の熱演もあり、芝居としては見応えたっぷりの狂言となった。

 

「見染」での松嶋屋と大和屋が素晴らしいのは云うまでもないだろう。大和屋の仇な艶っぽさは年齢を重ねて益々魅力を増している様に思える。先月上演された「吉田屋」の夕霧と並ぶ大和屋の十八番。立て続けに観れるのは、芝居好きとしては眼福これに勝るものはない。そして松嶋屋の与三郎の出の軽さは齢八十に近い大名題役者としては驚嘆すべきのもだ。この軽さが出せるから、松嶋屋は幾つになっても若旦那役に何の違和感もないのだ。お富の美しさに見とれた与三郎の「羽織落とし」も、実に自然でさり気ない見事な技巧。加えてこの場の亀蔵の金五郎が、江戸前の鯔背な味をきっちり出しており、代役とは思えない立派な鳶頭だった。

 

そして久々の「赤間別荘」では、源左衛門の別宅で逢引きする与三郎とお富の濡れ場が、絵の様な美しさとむせ返る様な艶っぽさで、とても古希を幾つも過ぎた役者同士(失礼)とは思えない。観ていて動悸が早くなってしまう様な色気たっぷりのラブシーンだった。そして片岡亀蔵の源左衛門も十年ぶりらしいが実に手強い出来。与三郎を切り刻んで「簀巻にしろぃ」のイキも絶妙。まず文句のつけ様のない場となった。

 

大詰は孝玉ががっぷり組み合う「源氏店」。勿論素晴らしい。湯上りの火照った身体から立ち上る色気が堪らない大和屋のお富はやはり当代無双。福助が元気であったなら、唯一対抗出来たのかもしれないのだが・・・。そして前段からがらっと変わってやさぐれ乍らも、蝙蝠安が掛け合いしているのを戸外で待っているところ、手持無沙汰に石ころを蹴っている姿に育ちの良さを滲ませる松嶋屋与三郎の形の良さ、こちらも当代比すべきものはない。しかし松嶋屋はまだ体調が万全ではないのだろう。「しがねぇ恋の情けが仇」から始まる長科白にいつもの様な声の張りがなく、今一つ謡い切れていない。多分ご当人が一番歯がゆい思いをしているだろう。この後徐々にでも回復して行く事を祈りたい。

 

そんな松嶋屋を盛り立てるべく、代役の権十郎多佐衛門と市蔵蝙蝠安が素晴らしい出来。権十郎の如何にも大店の番頭らしい大きさと押し出しの立派さはとても代演の初役とは思えない。そして市蔵の蝙蝠安は十二年ぶりだと云うが、何度も勤めている役だけに、手の内のもの。為所の多い役だが、所作に渋滞は一切なく、実に自然。それまで散々凄んでおき乍ら、世話になったお店の番頭多佐衛門が現れると途端に尻腰がなくなり、与三郎に帰る様に促すところも、多佐衛門の存在に気を取られている事がしっかり伝わる。小悪党らしい軽さも実に良く、松嶋屋・大和屋に負けず劣らず、こちらも当代の蝙蝠安だったと思う。

 

打ち出しは『連獅子』。配役は松緑の親獅子、左近の子獅子、坂東亀蔵の蓮念、権十郎の遍念。松緑親子が初めて演じる『連獅子』だ。これがまた目の覚める様な出来。今まで高麗屋親子、中村屋親子、松嶋屋の祖父と孫、澤瀉屋の従叔父と従甥等々様々な『連獅子』を観て来たが、その中でも最上級としか云い様のないものだ。松緑の親獅子はこの優らしいきっちりとした舞踊の中に力感と大きさを見せている。そしてこの狂言に打ち込む気組みが全身に満ち溢れており、これぞ親獅子とも云うべき見事なもの。

 

左近の子獅子もまた素晴らしい。当然初役だが、全く気後れする事もなく松緑の子らしく父の技巧にきっちり技術で追随して行く様は実に清々しい。親獅子の松緑が子獅子に全く配慮や気遣いをせず、ついてこれなければ置いていくと云わんばかりで、正に子を谷底に突き落とす親獅子そのもの。その親獅子に食らいついて行く左近は、この狂言の主題にも叶い、観ていて思わず身を乗り出している自分に気づいた。観ているこちらにも極度の集中を強いるものが、この二人の舞踊にはある。

 

そしてそんな二人に煽られたのだろう。長唄囃子連中もいつも以上に力が籠っている様に感じられ、豪快な毛振りに対抗するかの様に盛り上がりを見せる演奏は、実に聴きごたえがあった。最後の親子揃った毛振りも当然のごとく素晴らしく、幕が下りても暫く拍手が鳴りやまず、どよめきが聞こえたほどだった。まずもって見事な『連獅子』だった。またこの二人で観てみたいと思わせる素晴らしい出来であったと思う。

 

今月はこの後歌舞伎座の一部に加え、明治座も観劇予定。その感想は観劇後、また改めて綴りたい。