歌舞伎座二部を観劇。大入りと迄は行っていない様だったが、かなりの入り。やはり三津五郎の追善と、松嶋屋の史上最高齢での『連獅子』がお客を呼び寄せたのだろうか。これ位入れば、役者もやりがいがあろうと云うもの。まぁ入りが悪くてもしっかりいい芝居はしてくれているけれどもそこは人間。入りがいいに越した事はないだろう。
幕開きは『寿曽我対面』。音羽屋の祐経、巳之助の五郎、時蔵の十郎、雀右衛門の大磯の虎、松緑の朝比奈、團蔵の景時、梅枝の少将、権十郎の小藤太、彦三郎の三郎、坂東亀蔵の景高、萬太郎の四郎、左團次の新左衛門と云う配役。正に劇団総出で亡き三津五郎を追善している形。今年一つの芝居で、ここまで劇団が揃う事はなかったのではないか。当然の様に素晴らしい追善狂言となった。
四年前に劇団でこの狂言がかかった時と同様、幕が開いて浅葱幕が切り落とされると、既に音羽屋の祐経が高座に座しているショートバージョン。これは三部制の為と云うより、音羽屋がこちらの方を好んでいるのだろう。音羽屋の祐経はニンではないと思うが、これ位の名人になると関係ない。その大きさ、位取り、たっぷりとした科白廻し、座頭役者の貫禄が歌舞伎座の大舞台を覆いつくす。初役の巳之助に対して、どこからでもかかってらっしゃいと云わんばかりだ。
対する巳之助初役の五郎がまだ素晴らしい。以前は役に対して力みかえる部分があったのだが、近年立て続けに猿之助や松緑に鍛えられ、今はもうそんな事はない。踊りが身体にある優なので、角々の極まりもキッパリしており、荒事の豪快さに不足もなく、初役とは思えない見事な五郎。泉下の三津五郎もさぞ喜んでいるに違いない。時蔵の十郎は中学生の時に初役で演じて以来、何度となく勤めている持ち役。和事の柔らかさ、その気品、兄らしい位取り、申し分のない出来だ。
脇では雀右衛門の虎が立女形らしい流石の貫禄。梅枝の少将は若々しい美しさで虎といい対照をなしており、この虎と少将の釣り合いが実に見事。意外な事に初役だと云う松緑の朝比奈は、この優独特の科白廻しの癖が多少気にはなるが、この役らしい古格さと、愛嬌を兼ね備えたいい朝比奈。こう云う荒唐無稽な役では見事な上手さを発揮する松緑。五郎を持ち役にしている優だが、今後は朝比奈を演じる機会も増えていくだろう。総じて各役手揃いで、見事な「対面」。亡き三津五郎への熱い想いに溢れた素晴らしい追善狂言であった。
打ち出しは『連獅子』。松嶋屋の親獅子、千之助の仔獅子、門之助の専念、又五郎の日門と云う配役。松嶋屋が史上最高齢で親獅子を勤める歴史的な狂言。最初にこの配役が発表された時には、今の松嶋屋に親獅子とは・・・と、また松竹が大幹部に無理をさせると思ったのだが、何と松嶋屋の希望だった様だ。三十五年前に先代勘三郎と当時勘九郎だった十八世との『連獅子』を観て、自分もいずれこの年齢になったらやってみたいと思っていたと云う。そして仔獅子は子供ではなく孫と云う、めったいに観れない座組。これがまた素晴らしい『連獅子』だった。
松嶋屋が今月の「演劇界」で「若いうちは仔獅子の親か兄弟がわからぬくらい力一杯踊っていたが、獅子は百獣の長、雄ライオンがゆったりしているように、決して子と一緒に跳ねる必要はない」と語っていたが、正にその通りの親獅子。松嶋屋の親獅子の周りだけ、時間がゆっくり流れているかの様なのだ。松嶋屋は「単に動けなくなった言い訳ですが」と冗談にしていたが、どうしてどうしてそんモノではない。勇壮さもあり乍ら、泰然自若としているのだ。毛振りをし乍ら泰然自若と云うのもおかしな表現だが、観た方ならわかって貰えると思う。松嶋屋が云う通り、親が子に張り合って忙しく毛振りする必要はないのだ。実に大きく、唯一無二の親獅子だった。
対する千之助の仔獅子が、本当にぴちぴち跳ねる様な元気一杯の仔獅子。それが親獅子と見事な対照をなしている。それでいて松嶋屋の孫らしく、ハメを外す事なく端正で気品もある。これはかなり松嶋屋に鍛え上げられたのだろうと思われる。仔獅子を舞台上手の方に蹴落としたり、最後の毛振りを石橋にするなど、澤瀉屋型と重なる部分が多かった松嶋屋の『連獅子』。門之助・又五郎による結構な間狂言の「宗論」も含めて、実に見事な『連獅子』であった。
今月残るは歌舞伎座三部。幸四郎・猿之助による「超高速忠臣蔵」。果たしてどうなりますか。感想は観劇後、また別項にて。