fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

令和4年初春歌舞伎公演 菊五郎劇団による『通し狂言 南総里見八犬伝』

一月恒例の劇団による国立劇場公演『通し狂言 南総里見八犬伝』を観劇。コロナが厳しい状況にも関わらず、満員の盛況。歌舞伎座では感染者も出て中止や休演者が出ているが、今のところ国立では出ていないのは幸いだ。何とか千秋楽迄無事完走を祈りたい。勿論今月だけではなく、来月以降も芝居はあるのだけれど。

 

音羽屋の道筋、菊之助の信乃、左近の親兵衛、梅枝の浜路、萬太郎の大角、坂東亀蔵の荘助、彦三郎の小文吾、楽善の成氏、時蔵の毛野、片岡亀蔵の蟇六、権十郎の大記、左團次の定正、團蔵の宮六、橘太郎の五倍二、萬次郎の亀笹、松緑が現八と左母二郎の二役を兼ねると云う配役。正に劇団勢揃いだ。

 

幕が開くと「八犬伝」の発端部分、里見家の窮状と伏姫と八房の死、八犬士の誕生迄を、菊之助によるナレーションで説明する。兼ねる役者菊之助なので、義実や伏姫の声を自在に語り分け、実に分かりやすい。大長編を正味二時間半にまとめる為には、いい工夫だと思う。しかし馬琴も長い芝居を書いたものだ。近代以降日本文学には大長編が少なくなって行くが、それ以前は「源氏物語」の様な長編があった。長編を書くのは筆力よりも体力と云う話しを聞いた事がある。昔の日本人の方が近現代人より体力があったのだろうか。

 

音羽屋がインタビューで、若い役者を活躍させようと配慮していったら、自分の出番が削られてしまったと語っていたが、確かに音羽屋の出は少ない。しかし「円塚山」などで見せる貫禄は流石座頭。辺りを払うと云った体で、積み上げてきたものが違う。出番は多くなくてもしっかり存在感を示すところ、やはり当代唯一の文化勲章受章者は歳はとっても、腕に歳はとらせない。

 

有名な作品なので細かい筋は省略するが、親には孝、主人には忠、人には礼をと云う儒教精神が基盤となっており、それを元にしたお家再興噺である。特に肚のいる芝居ではなく、見せる芝居。その意味で菊之助松緑以下花形が縦横無尽に暴れまわるのは観ていて壮観の一語。菊之助の信乃は前髪らしい若々しさと艶、形も美しく正にニン。対する松緑の左母二郎で見せる悪の太々しさ、現八の力感ある所作、性根の手強さいずれも見事で、この二人の芝居がこの狂言一番の見物である。ここ数年筆者が観た限りの新春国立は実質この二人が主役。歌舞伎座では両者ががっぷり組み合う芝居は多くないが、今後三十年は劇団を支えて行くであろう両柱石。今度は肚のいる芝居を歌舞伎座で見たいものだ。

 

兎に角、團蔵や橘太郎程の役者を一幕切りしか出さない贅沢ぶり。劇団の層の厚さを見せつけるものだが、替わって活躍する花形が皆見事。彦三郎・亀蔵の兄弟も相変わらず良く通る声、立ち回りで見せる所作、いずれも素晴らしいもの。殊に今回時間は短いが序幕「蟇六内の場」での亀蔵菊之助とのやり取りで見せる芝居は、信乃と最初に義兄弟の契りを結ぶ最も縁深い荘助の性根が、その科白廻しにしっかり感じられる。

 

出演者最年少の左近も、父松緑と共に花道で見せるの所作と引っ込みは、確実に腕を上げてきているのが見て取れる。松緑の六法も形の良さ、その力感、実に見事で、今回の狂言の中でも大きな見物の一つとなっていた。最後は八犬士の活躍で里見家の再興がなり、音羽屋を中心に八犬士全員が舞台上に極まって大団円となる。正月らしく華やかで実に歌舞伎らしい狂言。二時間半だれる事なく、しっかり楽しませて貰った。

 

来月は菊之助の「鼠小僧」や、松嶋屋が一世一代と銘打っている「大物浦」もある。新橋の海老蔵公演も休演になったりしている状況は気が気でないでないが、何とか無事芝居の幕が上がる事を祈るばかりだ。