fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

九月大歌舞伎 第三部 松嶋屋・大和屋の「四谷怪談」

歌舞伎座三部を観劇。「東文章」に続く玉孝コンビの「四谷怪談」。依然続くコロナ禍での人数制限だが、大入り満員の盛況。この二人なら人数制限が解かれた後に上演した方が松竹も儲かると思うのだが、入っても半分の入りに留まる中で敢えて上演。よく意味は判らないが、思惑はあるのだろう。しかし古希を過ぎた役者が組んで歌舞伎座を満員にするのだから、凄い事だ。

 

今回は「東文章」の様に二回に分けず、「浪宅」から「隠亡堀」迄。この上演形式だと敵討ちと云う武家社会最高のモラルに対する皮肉や、それに絡む人間模様などの元々大南北が作り上げたドラマツルギーははっきり出てこない。ケレンも「戸板返し」はあるが、「提灯抜け」はない。よって役者の芸を見せる狂言に留まらざるを得ない。先年南座で観た時は「観音額堂」から「庵室」迄たっぷり観れたので、大南北特有のドロドロしたドラマを堪能出来たのだが、今の現状では致し方ないか。

 

配役は松嶋屋伊右衛門、大和屋お岩・お花の二役、松緑の権兵衛、橋之助が小平と与茂七の二役、千之助のお梅、松之助の宅悦、歌女之丞のおまき、片岡亀蔵の喜兵衛、萬次郎のお弓。萬次郎と亀蔵南座の時と同じ配役だ。主役だから当然だが、松嶋屋と大和屋の存在感が圧倒的である。

 

まず今回は何と云っても松嶋屋だ。「浪宅」の幕開き、傘を張っている姿が、落剝していても色気があり、赤子の泣く声を聞いて顔をしかめるところに悪の香りが漂う。世話物と云っても南北は生世話なので、芝居かがると云うよりリアルである。子供を産んで産後の肥立が悪いお岩を疎ましく思い、伊藤家からあった縁談の話しに乗り、金が必要だと赤子の産衣から蚊帳迄待ち出すどうしようもない男だが、松嶋屋が演じるとただの悪に留まらない色気がある。色悪と云う伊右衛門の性根をしっかり掴んでいればこそだ。

 

この悪が効いているから、こう云う仕様もない男に仇討ちをして貰わねばならないお岩の立場の哀れさが、一入に感じられる。立体的な芝居とはこう云う事を云うのだとつくづく思わされる。相貌の変ったお岩を足蹴にし、宅悦に不義を仕掛ける様脅し上げたあげく、宅悦に逃げられると小平とお岩の不義を云いたてて小平を惨殺、戸板に打ち付けて川へ流す悪党ぶり。筋書きで松嶋屋が「演じていて楽しい」と発言していたが、楽しいかどうかはともかく、その徹底した悪党ぶりは見事に一言に尽きる。

 

対する大和屋のお岩も素晴らしい。こちらも生世話を意識してリアルである。科白も合い方に乗ると云うよりリアル感を先に出している。歌舞伎芝居としては多少地味にはなるが、怪談のおどろおどろした味はより強調されて一種の凄みがある。このリアル感があるので、おまきが持って来た毒薬を、産後の肥立に効く薬だと信じて感謝しながら飲む件が哀れをそそる。

 

相貌が変わり果てた事を宅悦に指摘されても、毒薬を薬と信じているお岩は信じない。鏡を見て初めて自慢の美貌が醜くなり果てたのを知って絶望するお岩。伊藤家からの薬が毒薬と知らされたお岩は、恨み言を云う為に伊藤家に出向く事にする。女の身だしなみを整えようとして、例の「髪梳き」になる。ここがまた迫力満点。美しくありたいと云う女性の執念の様なものが漂う。演じているのが大和屋。元が美しかっただけにここの劇的効果はこの狂言を得意にしていた亡き勘三郎以上の凄みがあった。

 

最後は「隠亡堀」のだんまり。「浪宅」からの上演なので唐突感があり、ここで初めて登場する権兵衛・与茂七・お花の人間関係も今回の上演では訳が判らない。初めて観る人には?と云う感じなのではないかと思う。南北が目論んだ赤穂の忠臣義士への皮肉を込めたドラマも、芝居の後ろに隠れて見えない。その意味では今回の上演形式は残念ではあった。しかし筋を知って観ている身としては、非常に見ごたえのあるだんまり。松嶋屋と大和屋がいいのは当然として、今回は松緑の権兵衛も素晴らしい。形が良く、所作に歌舞伎の芝居心がある。お弓を殺した伊右衛門の「首が飛んでも、動いてみせらぁ」を受けての「どれ、河岸を変えようか」のイキの良さに小悪党らしさが滲む、実に結構な権兵衛。これ程の権兵衛だったら、くどい様だがやはり「観音額堂」から観たかった。橋之助の与茂七も健闘しており、近年余り見られない程こくがあり、見事なだんまりであった。

 

脇では歌女之丞と萬次郎は流石ベテランとも云うべき芝居で、狂言を盛り上げていたが、松之助の宅悦がニンでないせいもあってか今一つ冴えない出来。この人程の腕があれば、ニンでなくても何とはしそうなものだったが、そこは残念であった。千之助のお梅は可憐で哀れみがあり、やはりこの優は父孝太郎同様女形向きであると改めて思った。

 

総じて松嶋屋・大和屋の見事な芸が見れたと云う意味では満足なのだが、いつか機会があれば「観音額堂」からこの二人で観てみたいところだ。「東文章」の様に二回に分けてもいいので、いずれ遠くない時期の上演を期待したい。二ヶ月大入りになる事は請け合いますよ、松竹さん。