fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

錦秋十月大歌舞伎 昼の部 松緑の『天竺徳兵衛韓噺』、獅童・寺島しのぶの『文七元結物語』

歌舞伎座昼の部を観劇。ニュースが流れた時から話題の寺島しのぶ歌舞伎座初出演。子役の時は出た事があるのかもしれないが、齢五十を過ぎた女優が歌舞伎座の舞台、それも本公演に出るのは事件と云えるだろう。これが大成功に終わると、全ての女形の背筋が寒くなるかもしれない(笑)。その寺島効果か、筆者が観劇した日は満員の入り。どんな理由であれ、入りがいいのは良い事である。

 

幕開きは『天竺徳兵衛韓噺』。云わずと知れた大南北の傑作狂言。主役の徳兵衛に松緑が初役で挑んだ。配役はその松緑の徳兵衛、坂東亀蔵の掃部、巳之助の桂之助、新吾の銀杏の前、吉之丞の磯平、松江の時五郎、高麗蔵の夕浪、又五郎の宗観。松緑だけでなく、何と全員初役。ベテランと云われる役者が高齢になりつつあり、芸の伝承と云う意味でも、最近は初役が増えている印象だ。江戸時代より脈々と受け継がれて来た歌舞伎芸を次代に継承して行く事は、現役役者の責務。若手や花形世代は、これからも積極的に初役に挑んで欲しいものだ。

 

今回の上演は「水門」迄。しかしこれだと宝剣「浪切丸」に纏わる話しも中途半端で、尻切れトンボの感が強い。初めて観る方には、これで終わり?となってしまうのではないかと思う。作としては如何にも大南北らしい派手な演出で、歌舞伎味に満ちており楽しめる狂言なのだが、ここで終わるとただ趣向を楽しむだけになってしまう。この狂言を出すのであれば、やはり最後の「梅津掃部邸の場」迄出して欲しいと思う。四年前に国立で芝翫が演じた時は大詰迄あり、話しとしても非常に楽しめたものだった。

 

しかし初役の松緑徳兵衛はやはり見応えがあった。豪放さでは芝翫に一歩譲るものの、この優らしからぬ愛嬌もあり、所作に如何にも踊り上手な松緑らしい美しさがある。「異国話」では琉球の話しが沖縄に変わり、ジーマーミ豆腐やゴーヤチャンプルーと云った単語も出て来る。その後マカオに飛んで踊り比べの話しとなる。私は藤間流、そして桂之助役の巳之助を見て「あちらは坂東流」とくだけたところは見物衆にも大受け。「最近私は皺を入れた年寄役ばかりだったので、今回の若い役は嬉しい」と云うに至っては客席は大喜び。松緑、人が変わったかと思わせる様な大サービスで、大いに楽しませて貰った。

 

しかし一番の見ものだったのは、最後花道での飛び六法の引っ込み。花道の長さをたっぷり使って豪快さと美しさを併せ持った実に立派な六法。流石松緑、この優の所作は見事の一言に尽きる。久しくかかっていないこの優の弁慶を観てみたいものだ。脇では又五郎の宗観実に手強い出来で、たっぷりとした大きさもあり、初役などものともせぬ見事さ。新吾も今月は三狂言に出る大奮闘。亀蔵の掃部も凛とした作りで、こちらも初役乍ら立派な掃部。筋は中途半端であったが、役者芸を存分に堪能させて貰えた狂言であった。

 

打ち出しは『文七元結物語』。通常演じられている「文七元結」ではなく、今回は山田洋次監督脚本による新演出。作の主題は変わらないが、全くの新作と云っていい。配役は獅童の長兵衛、寺島しのぶのお兼、新吾の文七、玉太郎のお久、片岡亀蔵甚八、孝太郎のお駒、彌十郎の卯兵衛。音羽屋の箱入り娘寺島しのぶが遂に歌舞伎座の舞台を踏んだ、歴史的な狂言だ。

 

通常の「文七元結」は、「長兵衛内の場」でお久がいなくなったと夫婦喧嘩から始まるのだが、今回はいきなり角海老から始まる。通常であるとお久が家の窮状を訴えて身売りに来る場はないのだが、山田演出はそこを見せる。舞台装置も歌舞伎的ではなく、敢えてだとは思うが歌舞伎臭をなくそうとしている様に思える。全体的に科白廻しも現代調であり、歌舞伎と云うより新派に近い手触りだ。しかしこの「角海老内証の場」は、孝太郎のお駒が素晴らしい。大店の女将らしい鉄火なところと、お久の話しを聞いて涙ぐむ情深さをしっかりと感じさせる。新派調の芝居の中、この優だけはきっちり「歌舞伎」している。

 

お久は長兵衛の連れ子と云う設定になっており、要するにお兼は継母となる。血が繋がらない故に、かえってお互いを気遣うと云う演出で、これは落語の亡き六代目圓生の行き方にならったものであろう。歌舞伎では高麗屋がこの設定で演じている。第三場でようやく「長兵衛内の場」となり、いよいよ寺島しのぶが花道から登場。音羽屋の大向うがかかる。幼い頃から父菊五郎に憧れて歌舞伎役者になりたかったと云う寺島しのぶ。感慨一入であったろうと推察する。

 

獅童長兵衛とのやり取りはやはりイキが歌舞伎とは異なり、新派調。女優相手に歌舞伎のイキでやるのはかえって不自然。これは演出当初からの狙いだろう。普段から仲が良いと云う獅童としのぶ。ぽんぽんと云い合う呼吸は聞いていて心地よい。芝居としては「角海老の場」がある事により、狂言自体に厚みが出ている。夫婦喧嘩の原因が筋割れとなってしまう多少の弊害はあるものの、これはこれで良いと思う。

 

映像の世界でも芝居上手の評価がある寺島しのぶと、歌舞伎役者乍ら映像の分野でも活躍する獅童のコンビは、流石に見応えがある。生さぬ仲のお久を思う心情に溢れているしのぶお兼、多少漫画的ではあるが、江戸っ子らしい気っ風の良さと職人気質を持つ獅童長兵衛。何度も云う様だが歌舞伎的ではないものの、それぞれに見事。「本所大川端の場」で身投げしようとする文七を助けるところも全体のトーンを意識しての事だろう、リアルで現代調である。しかし長兵衛の短気だが情味のある人物像はきっちり出せており、ニンでもある獅童。次回は『人情噺文七元結』で長兵衛を演じて貰いたい。

 

最後は歌舞伎の「文七」同様お久が見受けされ、文七と夫婦になる事になってめでたしめでたし。ここの大詰「もとの長兵衛内の場」は歌舞伎と大きな違いはない。しかしここは獅童との二人芝居ではなく周りを歌舞伎役者に囲まれての芝居なので、寺島しのぶの科白のトーンの高さが、周囲との違和感を感じさせてしまう部分はある。歌舞伎に一人だけ女優が出ているので、これは致し方ないところだろう。しかし芝居としては熱演で、楽しく観れた一幕であった。

 

遂に成人の女優が歌舞伎座の大舞台に出た、歴史的な狂言。愛娘ぼたんを歌舞伎座にもっと出したいと思っているであろう團十郎にとっては、いい先例が出来たのではないだろうか。十二月には獅童の超歌舞伎が上演されると云う。最早何でもありの感が漂う令和の歌舞伎座。筆者的には多少複雑な思いもあるが、興行として現代に生き残るには、慣習に拘ってはいられないと云う事なのかもしれない。しかし歌舞伎興行としての芯は失って欲しくないと、強く思う。

 

今月残るは国立劇場のさよなら公演。感想は観劇後、また改めて。