fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

四国こんぴら歌舞伎大芝居 第二部 幸四郎・鴈治郎・雀右衛門の「お土砂」・『教草吉原雀』

遂にかねてからの念願であったこんぴら歌舞伎を観劇出来た。四年前に高麗屋襲名の最終公演がこの金丸座で行われる予定になっており、筆者はチケットを抑えていたのだが、その年突然発生したコロナにより、あえなく中止となってしまった。痛恨の極みであったが、四年の歳月を経て、令和の大改修杮落しとして今回無事に興行が復活された。目出度い限りである。客席もほぼ満員の盛況。舞台が近く、芝居好きには堪らない空間であった。

 

今回は四年前に出演予定であった幸四郎鴈治郎雀右衛門を中心とした座組。四年前は出演予定であった白鸚がいないのは寂しいが、高齢なので無理はさせられない。その代わりと云っては何だが、今回は孫の染五郎が金丸座初見参。成長著しい姿を見せてくれた。とにかく舞台と客席が近いので、役者がバンバン舞台から降りて来る。「沼津」の様に元々客席を練り歩く演出がある芝居は勿論の事、「お土砂」や『教草吉原雀』でも降りてきてくれた。勿論見物衆は大喜び。昼夜で練り歩きがなかったのは『羽衣』のみ。その代わり『羽衣』では雀右衛門宙乗りで大奮闘。客席はやんやの喝采であった。

 

幕開きは『松竹梅湯島掛額』。「お土砂の場」から「火の見櫓の場」迄の上演。配役は幸四郎の紅長、壱太郎のお七、染五郎の吉三郎、吉之丞の六郎、廣太郎の了念、錦吾の上人、亀鶴の十内、鴈治郎の武兵衛、雀右衛門のおたけ。何と雀右衛門以外は皆初役の様だ。「お土砂」は肩の凝らない喜劇なので、より客席との一体感が生まれており、この小屋にはぴったりの狂言だったと思う。

 

とにかく幸四郎がご機嫌に紅長を演じている。観ていてこちらまで浮かれて来る。初役とは思えないリラックスした芝居。まぁこの役は畏まって演じられても面白くない。持前の愛嬌全開で楽しませてくれる。早桶から亡者姿で現れた幸四郎紅長を、鴈治郎の武兵衛がからかうところもまた楽しい。「汗かいてるな。鼻水も出てるぞ」とアドリブをかましてきて、幸四郎も半笑い状態。そしてお土砂を振りまきまくるのだが、かけられた鴈治郎武兵衛が「まだまだ消えないぞ」とまたもやアドリブ。関西人のDNAが騒ぐと云ったところか。

 

染五郎の吉三郎はとにかく只管美しい。お七が恋焦がれるのも当然と思わせる吉三郎。壱太郎のお七と並んだところは正に錦絵。今が盛りの美しさであった。そして「火の見櫓の場」では壱太郎が見事な人形振りを見せてくれる。以前七之助で観て、その上手さ、美しさに感嘆させられたが、壱太郎はまた持ち味が違う。七之助は只管クールで、より人形らしいのは七之助だろう。壱太郎も技術的には全く見事なものである。しかしこの優が演じると、どこか人間らしさが漂う。先月の「河庄」でもそうであったが、少し俯いた表情に恋する女性の哀しみの様な憂いがあり、それだけでもお七の心情を表して余りあるものだ。より人形振りらしさでは七之助、お七の情念的な部分では壱太郎と云ったところか。

 

とにかく舞台と客席との一体感が素晴らしく、これは歌舞伎座の様な大舞台では到底感じられないものだ。こう云う雰囲気を求めて、亡き勘三郎は「平成中村座」を始めたのだろう。そもそもこの金丸座での歌舞伎上演を復活させたのも、勘三郎と亡き播磨屋藤十郎であった。七年程前に中村屋の巡業を観に行った岐阜の東座も、これに近い雰囲気があった。勿論歌舞伎座には伝統と風格があり、それはそれで素晴らしいものだ。しかし芝居の原点を思わせるこの金丸座の得も云われぬ雰囲気はまた格別。また必ず訪れたいと、強く思った次第。

 

打ち出しは『教草吉原雀』。去年の十一月、又五郎歌昇・孝太郎で観たが、今回は鴈治郎幸四郎雀右衛門と云う組み合わせ。「ぶっ返り」あり、立ち回りもあり、演出が派手でこちらも観ていて実に楽しめる舞踊。鳥刺し実は鷹狩りの侍幸四郎が客席を練り歩き、見物衆は大盛り上がり。この優の踊りは本当に素晴らしく、形の良さは無類のもの。鴈治郎雀右衛門がぶっ返って雀の精になった姿は愛くるしく、どこか可笑し味も漂う。最後は雀右衛門鴈治郎幸四郎を脇に従えて、舞台中央に極まって幕となった。

 

予想通りと云うかそれ以上に楽しませて貰った金丸座初観劇。もう一つの一部は二部から一転、じっくり芝居を堪能させてくれた「沼津」がある。それはまた項を改めて綴りたい。