fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

四国こんぴら歌舞伎大芝居 第一部 幸四郎・成駒家親子の「沼津」、雀右衛門・染五郎の『羽衣』

続いてこんぴら歌舞伎第一部の感想を綴りたい。入りは二部同様ほぼ満席状態。二部は一階の畳敷きで観劇したが、今回は二階東桟敷席にて観劇。一階席よりゆったり感がある。ただ二列目より後ろは、大きな柱が多少観劇の妨げになってしまう。まぁ小屋の構造上致し方なしか。東桟敷は花道の真上。実に結構な席であった。まぁどこから観ても舞台が近い事に変わりはないが。

 

幕開きは『伊賀越道中双六』から「沼津」。云う迄もなく亡き播磨屋十八番中の十八番。筆者的には「吉野川」の大判事とこの十兵衛が、播磨屋の数多い当り役の中でも双璧であったと思う。その十兵衛に播磨屋の甥である幸四郎が初役で挑んだ。配役はその幸四郎の十兵衛、壱太郎のお米、染五郎の安兵衛、亀鶴の孫八、鴈治郎の平作。去年大阪松竹で鴈治郎扇雀兄弟の「沼津」を観たが、今回は幸四郎との組み合わせだ。高麗屋親子と壱太郎は初役であると云う。

 

しかし幸四郎とこの十兵衛と云う役には色々な因縁がある。五年前の「秀山祭」で播磨屋がこの狂言を出したのだが、途中三日間程体調を崩して休演した。その際にこの役を勤めた事もない幸四郎が、プロンプターなしで見事に勤め上げたのだ。筆者はこの代役を観てはいないのだが、その素晴らしさは当時話題になったものだった。ちなみにもう一役の「寺子屋」の松王は松緑が代演し、こちらもまた見事であったと云う。その翌年の三月、その評判の良さからか今度は本役で十兵衛が回って来た。しかしこの時はコロナで上演が中止となってしまった。平作は白鸚の予定であったので、この時の上演中止は返す返すも残念であった。そう云う経緯があった上での、今回の十兵衛である。幸四郎の心中、期するものがあったであろうと推察する。

 

金丸座は何度も書くが舞台が本当に近く、役者の熱気がびんびん伝わって来るので歌舞伎座の芝居と同一に比較は出来ないものの、結論から云うと本当に素晴らしい「沼津」であった。幸四郎の十兵衛は播磨屋直伝で、その口跡には播磨屋の面影が濃厚に漂う。この役の播磨屋は甲の声と呂の声の使い分けが絶妙で、特に甲の声の科白廻しが絶品であった。無論幸四郎はまだ播磨屋の域には達していない。しかし「棒鼻の場」の平作との軽妙なやり取りや、お米に一目ぼれする場の軽さと愛嬌。実に面白く見せてくれる。

 

「平作住居の場」での印籠を盗もうとしたお米を押さえ、娘を𠮟りつける平作の述懐から、平作が実の父であると知るところの芝居の上手さは流石幸四郎と云ったところ。石塔料として金を渡してさり気なく印籠を残し、表に出る。花道の七三にかかり、天を見上げて「降らねば良いが」の科白廻しは、その一言に人生迄感じさせて満場の紅涙を絞った播磨屋とはまだ径庭はあるものの、充分聞かせてくれている。

 

大詰「千本松原の場」に於ける鴈治郎平作との二人芝居は、この狂言のクライマックス。互いを親子と知りつつ名乗るに名乗れない二人のやり取りは、真に迫る正に迫真の芝居。前幕の「降らねば良いが」から繋がる平作に笠を差しかけての「沢井股五郎が落ち着く先は、九州相良」の涙交じりの科白廻しは、絶品。甲の声を上手く使った幸四郎渾身の芝居だ。最後は親子と名乗り合い、きつく抱き合う平作と十兵衛。涙なしには観れない見事な狂言となっていた。

 

そしてその平作の鴈治郎もまた、傑作とも云うべき出来。「棒鼻の場」の軽さと愛嬌。「降る迄は、請け合いますわい」の、いかにも関西人らしい科白廻しにこの優の練り上げた技巧が光る。娘の不遇な境遇を思いやる情味、恩ある主人の為に命を捨てるその義理深さ、いずれの心情も実に見事に表出している。この平作が良いからこそ、幸四郎の十兵衛も生きる。倅壱太郎も、娘らしさと人妻の艶が絶妙にブレンドされた結構なお米。染五郎の安兵衛も科白廻しが歌舞伎役者のそれになってきており、以前より一段と役が板についてきた感がある。二人とも初役とは思えない出来であった。

 

打ち出しは『羽衣』。教科書にも載っている(今は知らないけれど)羽衣伝説を元にした長唄舞踊。雀右衛門の天女、染五郎の伯竜。孫の様な年齢の染五郎を相手にして、全く違和感のない雀右衛門がまず見事。伯竜に所望されての天女舞の優美さは、流石立女形と云ったところ。対する染五郎伯竜は、この世の者とは思えない美しさ。花道を出てきて七三で極まったところ、客席からジワが来た。小屋が小さいだけに、こう云う所の反応が実にリアル。その所作は流石踊りの高麗屋の跡取りらしく、引き締まっていて、実に美しい。前にも書いたが、どんな所作でも身体の中心線がブレないところが素晴らしい。

 

最後は金丸座特有の「かけすじ」と云う江戸時代の宙乗り機構を使って、雀右衛門の天女が花道から天井に舞い上がる。筆者は二階東桟敷で観劇していたので、目の前を雀右衛門の天女が飛んで行き、そして揚幕を入って行くのをかぶりつきで観れて大満足。金丸座で掛けるに相応しい狂言であったと思う。一部・二部と何れも素晴らしい狂言揃いで、こんぴら歌舞伎を満喫出来た。まだ観劇した事がないと云う方には、一度行かれる事をお勧めしたい。来年のこんぴら歌舞伎が、今から待ち遠しい。