fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

九月大歌舞伎 第二部 幸四郎の「盛綱陣屋」、時蔵の『女伊達』

九月大歌舞伎を観劇。九月の歌舞伎座と云えば、云わずと知れた「秀山祭」。團十郎菊五郎でさえ二人併せての追善興行であるのに対し、大播磨・初代吉右衛門は単独での追善。もって現在の歌舞伎界における当代播磨屋の大きさを知るべしと云った感。しかし去年はコロナ、今年は播磨屋病気療養中と云う事で「秀山祭」の冠はつかなかった。あまり想像したくない未来だが、当代播磨屋亡き後も「秀山祭」を継承していくなら、幸四郎菊之助と云う立派な後継者がいるのだから、「秀山祭」と銘打っても良かったのではないだろうか。

 

まず二部を観劇。この部のみ歌昇・隼人がコロナに感染し、初日が一週間近く遅れた。私は観劇日ではなかったので幸いしたが、チケットを押さえていた方々はさぞ無念だったろう。幸い歌昇・隼人共症状は軽かった様で、無時復帰。しかし筆者が観劇した日は隼人の信楽太郎を父錦之助が、歌昇の伊吹藤太を弟の種之助が代役。身内がカバーした形だった。幸四郎の盛綱、雀右衛門の篝火、米吉の早瀬、錦之助が二役で秀盛、歌六が何と微妙、又五郎の時政、菊之助の愛息丑之助が小四郎、彦三郎の愛息亀三郎が小三郎と云う配役。まずこれが見事な出来だった。

 

先月素晴らしい義賢を見せてくれた幸四郎が立て続けに丸本の大役に挑み、今月も見事な成果をあげたと云っていい。二十年以上前に自主公演で勤めただけと云うから、実質初役みたいなものだろう。しかし結論から云えば堂に入った見事な盛綱だった。先月でも感じた事だが、以前の幸四郎と比べ格段に上がっているのが義太夫味だ。

 

先月の義賢と違い今月の盛綱は捌き役的要素があるので、甲の声を多用している。そしてその科白廻しが見事に義太夫狂言の王道のものになっているのだ。歌六の微妙を向こうに回し、高綱の子小四郎を手にかける様に懇願する場で、余りに見事な科白廻しだったので、暫く目を閉じて聴いていた。「現在の甥の命、もしなだめて助くるこそ情けとも云うべきに、殺すをかえって情けとは」の辺り、葵太夫の竹本とシンクロする濃厚な義太夫味が目を閉じているとよりしっかりと心に響いてくる。勿論目を閉じていたのは僅かな間だったが、療養中の播磨屋を彷彿とさせる見事な科白廻しだ。

 

クライマックス首実検の場も、完全に播磨屋マナー。このブログでも触れているが、国立で二年前に演じた父白鸚はここで非常に独自の、優れた盛綱像を構築していた。しかし今回の幸四郎は父の様な深い思い入れはせず、古格な義太夫狂言の行き方に則った叔父播磨屋の通りの盛綱。白鸚の凄い盛綱が記憶に残っている筆者としては多少あっさり感があったが、行き方としてはこちらが本寸法だろう。首を偽首と知りつつの「弟佐々木高綱が首にぃ、相違なし。相違ござりませぬ」も見事に播磨屋の科白廻しを自身のものとしている。

 

高綱親子の命をかけた計略に感じ入った盛綱が、「佐々木四郎兵衛高綱の計略しおおせたり。最後の対面許す、近こう近こう」で母篝火を呼び寄せる。死を前にした甥の小四郎を取り囲んでの「ほめてやれ、ほめてやれ」の涙混じりの科白も実に素晴らしく、舞踊の名手幸四郎らしい形の美しさと相俟って見事な捌き役ぶり。秀盛と揃って舞台上で決まったところの凛々しさは、これぞ大歌舞伎とも云うべき見事さだった。

 

脇は歌六錦之助又五郎と初役揃いだったが、それぞれ気持ちのこもった力演。歌六の微妙はニンにない女形であったが、幸四郎との場はその濃厚な義太夫味と相俟って見事なもの。しかし小四郎とのやり取りになると、本来が立役だけに母性の欠如を感じさせて、余り迫って来るものがない。ここは国立での吉弥の方が一段優った。又五郎は非常に手強い出来で、時政の悪の強さと大きさが出ており、申し分なし。錦之助の秀盛はニンでない事もあり、筆者の目に残る芝翫襲名時の白鸚や、松嶋屋を向こうに回しての左團次などに比べると軽量感は否めなかった。

 

雀右衛門の篝火は正に本役。この優が出るだけで、歌舞伎濃度がグッと上がる。大和屋は別格としても、この後『女伊達』を踊った時蔵と並び立つ、現代歌舞伎座の立女形と云っていいだろう。米吉の早瀬はまだこの優には早い。特に相対するのが雀右衛門の篝火なので、余計軽さが目立ってしまう。容姿が可憐過ぎるのも、時として邪魔になる事もあるのだ。子役もそれぞれ健闘していたが、とりわけ小三郎を演じた亀三郎が実によく通る声で、流石彦三郎の愛息であると感じ入った。

 

打ち出しは『女伊達』。時蔵のお光、萬太郎の鳴平、種之助の千蔵と云う配役。重い義太夫狂言の後をこう云う軽い舞踊で〆る狂言立ては筆者好み。そしてこの舞踊がまた実に見事。ことに時蔵は男伊達をあしらう強さと、恋しい相手を想うクドキの艶っぽさの両面を踊りの中でしっかり表現しており、これぞ大歌舞伎の女形舞踊。最後は「よろづや」と大書された傘をバックに決まって幕。立女形の貫禄たっぷりの素晴らしい踊りだった。

 

義太夫狂言と舞踊の素晴らしい二本立てで、大満足の歌舞伎座第二部。残る部の感想は、観劇の後また改めて綴りたい。