fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

八月花形歌舞伎 第三部 幸四郎の「義賢最期」、歌昇・隼人・新悟の「鞘當」、染五郎・團子の『三社祭』

今月の最後、歌舞伎座第三部を観劇。平日と云う事もあってか、入りは一部程ではなかった。しかしこの三部を見逃した歌舞伎愛好家は間違いなく損をしている。そう断言出来る凄い芝居を観た。幸四郎の「義賢最期」である。これは筆者の様に、時間となけなしの金をつぎ込んで毎月何本も芝居を観ている人間でも、年間で何本もお目にかかれるものではない位の素晴らしい芝居であった。

 

幕開きはその「義賢最期」。松嶋屋が復活させたと云っていい狂言で、自身で何度も上演して練り上げてきた芝居。近年では愛之助の上演回数が圧倒的である。幸四郎の義賢、梅枝の小万、隼人の折平実は蔵人、米吉の待宵姫、廣太郎の次郎、錦吾の九郎助、片岡亀蔵の兵内、高麗蔵の葵御前、そして筆者が観た日は綜真君の太郎吉と云う配役。幸四郎・廣太郎・亀蔵は初役の様だ。

 

幕開きの葵御前が待宵姫を諭している場面。なさぬ仲である姫への遠慮を語る葵御前の高麗蔵がまず素晴らしい。見事に義太夫狂言の科白廻しとなっており、後添えとは云え大名の御台所としての位取りも申し分なく、この場でスッと古典狂言の世界へ誘われる。高麗蔵は先月国立での静御前も実に結構な出来で、この優の近年の円熟ぶりは見事なものである。

 

九郎助親子が太郎吉を伴って現れ、姫が焦がれる折平に妻子がいる事が判明し、衝撃を受ける待宵姫。九郎助親子と共に御前と姫が奥へ下がったところに大富豪同心もとい、隼人の折平が花道から登場。待宵姫が戻って来て「胴慾じゃ」と縋り付き、くどきになる。ここで時分の花の若手花形二人並んだ姿の美しさは、正に錦絵。ここらも歌舞伎観劇の一つの醍醐味だ。

 

正面の襖が開き、幸四郎扮する五十日鬘姿の義賢登場。ここで筆者は思わず声をあげそうになった。義太夫狂言は出が大事と云われるが、出て来たところのその大きさ、位取り、これぞ先生義賢。源家の一方の棟梁としての貫禄十分で、ここまで幸四郎は大きくなったかと、目を瞠る思いだった。そして呂の声を使った科白廻しが義太夫味たっぷりでこれがまた実に見事。隼人の折平も声が良く通り、聴いていて実に心地よい。松の小枝を引き抜いて手水鉢を割る幸四郎の所作、白旗を取り出して源家の再興を誓う科白廻し、いずれも義太夫狂言の古格な骨法に則っており、申し分のない出来。

 

清盛入道の使者高橋と長田に、平家に二心なくば兄義朝の髑髏を踏めと迫られ、遂に堪忍袋の緒が切れる。長田は切り伏せるが高橋を逃してしまい、平家の兵が押し寄せる前に落ち延びよと折平実は行綱に促されるも、生き恥を晒すより潔く討ち死にせんと死の覚悟を決めるところも描線が太く、そこに二枚目役者幸四郎の面影はない。落ちるのを渋る待宵姫を𠮟りつけての「未練者めが」の一喝も呂の声を使って実に力強く、これぞ義太夫狂言である。

 

軍兵たちとの立ち回りから戸板倒しになる。この立ち回りの所作も義太夫狂言らしいイトに乗った見事な立ち回り。イトに乗ると云ってもこの場合はリズミカルに進む訳ではなく、手負いである事を忘れず一つ一つの所作が重々しく重量感があるのだ。それでいてイトに乗る。この難しい所作を、幸四郎は見事にこなしていた。筆者が観た日の戸板倒しは通常の左に倒れるのではなく右に倒れてしまった。予想外の事で、軍兵が下敷きになって支える形となった。その意味では失敗だったが、そんな事は些細な事。これ程の義太夫狂言を見せられては、減点材料にはならない。

 

そして梅枝扮する小万も、女武道的な芯の強さと、義太夫狂言女形らしい古格さを併せ持った実に素晴らしい出来。元々義太夫狂言に高い適応力を見せていた優だが、幸四郎を向こうに回して一歩も引かない見事な小万。今にも息絶えそうな義賢が最後の力を振り絞って「小万、小万」と呼びかける。そして源氏の白旗を託し、討ち死には元より覚悟の上と語った後で、「腹の我が子にただひと目、こればっかりが、残念だわい」の肺腑を抉る様な科白廻しは、この狂言のハイライト。涙なしでは観れない場となっていた。

 

そして最後は「仏倒れ」で幕。凄い芝居を見せて貰った。この狂言は、元々去年のこんぴら歌舞伎で幸四郎襲名狂言として上演される予定だったもの。筆者もチケットは押さえていたのだが、コロナ禍により無念の中止となっていた。これは筆者の想像ではないと信ずるが、この間に幸四郎はこの狂言並びに義太夫狂言と云うものを、徹底的にさらい直したのだと思う。華も身もある現在の花形世代の役者達の最大の弱点は義太夫狂言にあると思っているが、幸四郎がいち早くその課題を克服した様だ。来月の「盛綱陣屋」への期待も高まるばかり。実に楽しみだ。

 

打ち出しは『伊達競曲輪鞘當』と『三社祭』。それぞれ歌昇の伴左衛門、新悟のお新、隼人の山三、染五郎の悪玉、團子の善玉と若手花形を揃えた舞踊二題。歌昇の伴左衛門は小さな身体が大きく見える力演だったが、ニンでない役に力み過ぎの感があった。その点隼人の山三は正にニンでのびのび演じており、実に気持ちの良い二枚目ぶり。新悟のお新も手堅い出来だった。

 

そして更に素晴らしかったのが『三社祭』。まだ十代の二人が手一杯の踊りで、長い手足を実に上手く使って初役とは思えない見事さ。いかにも現代青年(まだ少年?)らしい体型の二人だが、しっかり腰も落ちており、これはかなり二人で踊りこんで来たものと思われる。この二人の成長をリアルタイムで観れると云うのは、近くは勘三郎三津五郎、古くは六代目菊五郎と七代目三津五郎をリアルタイムで観れた人々と同じ幸福感を、もしかしたらこの二人が味わわせてくれるかもしれない。そんな事をふと思わせる舞踊だった。

 

来月は六代目歌右衛門と先代芝翫の追善に幸四郎の「盛綱陣屋」、そして玉孝の「四谷怪談」と盛りだくさん。歌舞伎役者にも次々コロナ感染者が出ている状況が心配でならないが、無事芝居の幕が上がる事を祈るばかりだ。