fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

京都南座十二月 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎 第一部 獅童の「すし屋」、扇雀・虎之介の『龍虎』

続いて南座顔見世第一部を観劇。やはり満員の盛況。丸本の名作『義経千本桜』から「すし屋」。関西での公演乍ら、江戸型の「すし屋」を持ってきたところが面白い。先日国立劇場菊之助の権太を観たばかりなので、比較しながら興味深く観劇した。しかも主要の殆どの役で役者が替わっているのもいい。

 

幕開きはその「すし屋」。配役は獅童の権太、壱太郎のお里、隼人の弥助実は維盛、吉太朗の内侍、梅花のおくら、片岡亀蔵の弥左衛門、鴈治郎の景時。吉太朗の内侍以外は全員国立の菊之助の時と違っている。獅童は数年前の巡業で一度権太を演じており、その際に高麗屋に教わったと云う。その公演を筆者は観る事が出来なかったが、高麗屋獅童を指導(洒落ではありません)しているところをテレビで見た事がある。高麗屋は自ら演じて見せ、「六代目はこうやっていた。君の好きな方で演じなさい」とアドバイスしていた。筋書の中で獅童高麗屋から「自分らしい権太をやりなさい。それが歌舞伎ですから」と云われたと発言していた。確かに今回の獅童権太は、六年程前に歌舞伎座で観た絶品とも云うべき高麗屋権太の記憶が蘇る、見事な権太だった。

 

獅童が二年前に歌舞伎座で狐忠信を演じた時にも感じたのだが、この優の芝居は他の役者に比べて野性味の様な激しさがある。名門萬屋の御曹司ではあるのだが、菊之助幸四郎の様な気品溢れる美しさとはまた違った持ち味だ。今回の権太も最初の出からおくらとのやり取りの部分は、菊之助の様な江戸前の粋な美しさではなく、いかにもごろつき、要するに「ごんた」な味が全面に出て来る。音羽屋親子の権太はいかにも粋で鯔背、これぞ江戸前の権太といった素晴らしさがあるのに対し、型は同じでも獅童にはもっとごつごつとした手触りが感じられる。そして獅童に権太を教えた高麗屋にも、その「ごんた」な味があったのが思い出された。

 

しかも獅童には菊之助にはない独特の愛嬌がある。これがおくらとのやり取りでは実に効果的で、親の甘さにつけ込む自然な「ごんた」ぶり。菊之助は所作と芝居の上手さで見せ、獅童はニンで見せると云った感じだろうか。どちらがいいと云う事ではなく、この場は二人の優の持ち味の違いが観れて実に興味深いものだった。これはお里とのやり取りにも同じ事が云える。花形の実力者である二人の優がそれぞれの持ち味で古典を演じているのをリアルタイムで観劇出来るのは嬉しい事だ。

 

そして最後のもどり。この場は獅童が実に見事な芝居を見せてくれた。ここは花形にとって荷が重い場らしく、菊之助松緑も喰い足りなかった。それは父弥左衛門に刺されて今わの際の身体であると云う「リアル」と、その中で長科白を云ってもどりの本性を顕すと云う「芝居」との狭間で分裂を起こしてしまっていたのだ。しかし獅童は思い切りよく「芝居」に徹している。竹本に乗ってもうここは開き直ったとも云える程、義太夫狂言の芝居にしているのだ。これは筆者の想像ではないと信ずるが、高麗屋の示唆があったのだと思う。ここの高麗屋の竹本とシンクロするもどり科白の素晴らしさは、今でも筆者の目に、耳に焼き付いている。無論獅童にはまだ高麗屋の深みはない。しかし「芝居」に徹した今回の獅童権太の味わいは、他の花形にはなかったものだ。これは素晴らしい成果であったと思う。

 

脇では梅花のおくらが逸品。「油地獄」のおさわと同様、放蕩息子に手強く接しなければと思いつつ、つい子を想う母親の本性が出てしまう。そこの芝居が実に上手い。今後の梅花には、どんどんこう云う役を付けて欲しいと思う。壱太郎のお里は江戸型の中で上方の濃厚な味わいを出していて、様式的には多少の矛盾を感じないではないが、この優の実力はしっかり確認出来る。隼人の弥助は弥左衛門に「まず、まず」と云われて維盛に直るところがキッパリしており、且つニンでもあるので、これまた結構。一方鴈治郎の景時はニンではないが、大きさと手強さを出している。亀蔵の弥左衛門は義太夫味は希薄だが、芝居はしっかりしていて、堅実な出来。総じて見事な「すし屋」になっており、南座では初めてと云う獅童の古典の出し物は、大成功だったと云えるだろう。

 

打ち出しは『龍虎』。戦後八世三津五郎と三世延若が初演した新作舞踊。筆者は四年程前に歌舞伎座幸四郎染五郎で観ている。今回は扇雀の龍、虎之介の虎と云う配役。毛振りがあると云う点で共通している『連獅子』を想起させる部分がある踊り。勿論中身は全然違うが。幸四郎染五郎はこの舞踊を踊った後に『連獅子』を勤めた。この親子もいずれ『連獅子』を踊る機会があるだろう。幸四郎染五郎の時は、若干幸四郎染五郎に合わせているところもあったが、今回の二人にそれはない。イキのあった踊りと毛振りで、見物衆からの盛んな拍手を浴びていた。

 

最後は踊りで〆る筆者好みの狂言立てで、しっかり楽しませて貰えた顔見世の第一部。残る第二部の感想は、また別項にて綴ります。