fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

歌舞伎座 猿若祭二月大歌舞伎 昼の部 鶴松・七之助の「野崎村」、獅童・芝翫の『釣女』

歌舞伎座昼の部を観劇。週末であったせいか、大入り満員。こんなに入っていたのは、團十郎襲名公演以来ではないだろうか。改めて亡き勘三郎へ熱い思いを抱いている見物衆が如何に多いかを思い知らされた。それだけに、その早世は惜しみても余りあるものであったと云う事だ。存命ならば来年は古希を迎える歳だ。円熟した素晴らしい芸を見せてくれていたであろうに・・・痛恨の極みとは正にこの事である。

 

幕開きは『新版歌祭文』から「野崎村」。あまり亡き勘三郎のイメージにはない狂言だが、生前に二度程勤めている様だ。そして何と十七代目も晩年に一度演じているらしい。当代では七之助福助のイメージが強い狂言。今回は勘三郎三人目の倅と云われた鶴松がお光に抜擢された。勘三郎の追善興行の、しかも歌舞伎座で主演する鶴松。喜びも一入でおろう。その熱い思いに溢れたお光であった。

 

配役は鶴松のお光、七之助の久松、児太郎のお染、彌十郎の久作、東蔵のお常と云う配役。中では七之助の久松が初役との事。筆者も大好きな狂言で、中でも歌舞伎座さよなら公演に於ける福助の熱演が思い出深い。鶴松は当然乍ら七之助に教わったと云う。福助歌右衛門~先代芝翫と受け継がれた成駒屋の型だが、鶴松は六代目から中村屋に受け継がれてきた型であるのが違うところだ。

 

そしてその鶴松だが、抜擢に応えた熱演を見せてくれている。熱演と云っても、力みかえったものではない。なますを抱えた出の浮き浮き感がまず良い。恋しい久松が帰って来てくれた事が嬉しく、祝言をあげられる喜びに溢れている。なますを切っているとほつれ髪が気になり、手鏡と包丁を合わせ鏡にして髪を整える。成駒屋型は鏡台を使う場なので、この型の違いが味わえるのも歌舞伎観劇の一つの楽しみでもある。

 

そして児太郎のお染の出になる。ここも如何にも義太夫狂言のお嬢様らしい所作で、まずは見事な出。しかし今回の児太郎は思いが先行してしまったのだろうか、舞台に廻ってからの科白廻しが、力が入りすぎてやたらキンキンして聞こえてる。久松を追いかけて来て、今回の場にはないが後段で心中してしまう情熱的なお嬢様を表現したかったのかもしれないが、児太郎ならもっと抑えた科白廻しで表現する事も出来たのではないか。

 

対する鶴松のお光は、お染に嫉妬して邪険に扱う所作が愛らしく、鶴松のニンにも叶って見事なもの。立役もこなす鶴松だが、筆者は元々鶴松には女形が合うと思って来た。歌舞伎座での初主演と云うプレッシャーに圧し潰される事もなく、女形の大役をきっちり演じている鶴松。亡き勘三郎の薫陶宜しきを見せつけられた思いがする。一方初役の七之助久松は、お光とお染の板挟みになる二枚目を、柔らかくそして情味深く演じてまずは見事な出来。

 

彌十郎の久作は何度も演じて自家薬籠中の役。大柄な身体をきっちり殺して如何にも百姓家の親爺らしい作り。そして娘へ満腔の思いを持ちながらも、主家に対する義理も感じている難役をきっちり演じて素晴らしい久作。東蔵のお常もいかにも大家の後家らしい雰囲気を出していて、間然とするところのない出来であった。結局お光は久松を諦め、髪をおろす。そしてお常・お染母娘が舟に乗り舞台上手に、久松は一人駕籠に乗って本花道へ入る。哀しい別れの場に、三味線のツインリードによる明るい「野崎」がかかる。音と画を調和させない対位法的な演出が、いつ見ても素晴らしい効果をあげている。黒澤明の『野良犬』のラストで、刑事と犯人が対峙する緊迫した場に、子供達が歌う「蝶々」が流れる場面を想起させる、筆者は大好きな場だ。

 

久松を見送ったお光が呆然と立ち尽くして、数珠を落とす。それを拾ってお光に渡す久作。そこで我に返ったお光が久作の胸に取りすがって泣き崩れ幕となるのだが、号泣する成駒屋型とやや異なり、少し抑えた調子ですすり泣くのが六代目の型。これもまた素晴らしい。今回は勘三郎追善公演と云う事での抜擢であったろうが、これだけに留まらず、今後も折につけ鶴松には大役に挑ませてあげて欲しいと思う。それに応える力もあり、精進も怠らない役者であると、筆者は確信している。

 

続いては『釣女』。松羽目物の傑作喜劇。一昨年松緑幸四郎のコンビが絶品であった。今回は獅童の太郎冠者、芝翫の醜女、萬太郎の大名某、新吾の上臈と云う配役。何て全員初役との事。同じ松羽目物の『身替座禅』で傑作とも云うべき女房ぶりを示した芝翫が、今回は醜女。今月の芝翫は三役全て初役だと云う。還暦近い芝翫だが、その意欲に衰えは見られない。素晴らしい事だ。

 

この狂言は比較的入れ事が出来る芝居だが、今回は獅童芝翫がより自由に演じている。芝翫にキスを迫られた獅童が思わず笑ってしまう場面もあり、これを当て込み過ぎと捉える向きもあるかと思うが、見物衆には大受けで、筆者も楽しめた。獅童芝翫も天性の愛嬌があり、それが如何にもこの狂言に相応しい。新吾も美しく気品があり、萬太郎はこの優らしくきっちり演じて悪くない。何より客席が沸いており、前後の芝居がマイナートーンなだけに、いい清涼剤的な幕になっている。面白く観れた一幕であった。

 

この後打ち出しが中村屋兄弟初役『籠釣瓶花街酔醒』なのだが、長くなりそうなのでまた改めて綴りたいと思う。