fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

歌舞伎座 猿若祭二月大歌舞伎 昼の部 中村屋兄弟の『籠釣瓶花街酔醒』

前回に引き続き、勘三郎追善興行昼の部の感想を綴る。打ち出し狂言は『籠釣瓶花街酔醒』。次郎左衛門は亡き勘三郎がその襲名公演でも演じており、先代勘三郎からの当り役。今回勘九郎が初役で挑んだ。一方女形の大役八ッ橋に、これまた初役で七之助。この役は平成以降、福助・大和屋・先代、当代の雀右衛門・山城屋・菊之助しか勤めておらず、しかも山城屋と当代雀右衛門はそれぞれ一度きりしか演じていない。殆ど大和屋と福助が専売特許の様な形で演じてきたものだ。

 

配役は中村屋兄弟に加え、児太郎の九重、橋之助の治六、芝のぶの七越、鶴松の初菊、歌女之丞のお辰、梅花のお咲、桂三の丈助、片岡亀蔵の丹兵衛、松緑権八時蔵のおきつ、歌六の長兵衛、松嶋屋の栄之丞と云う大一座。中では彌十郎に教わったと云う松緑初役の権八が目をひく。亡父の追善公演で初役の大役に挑む中村屋兄弟を支えるべく、当代最高の布陣で固めて来たと云う印象だ。

 

この狂言歌舞伎座でかかるのは八年前に亡き播磨屋が次郎左衛門を演じた時以来。この役も八ッ橋同様あまり多くの役者が演じられるものではない。平成以降では播磨屋高麗屋親子・勘三郎音羽屋五人のみ。しかも音羽屋と当代幸四郎は一度きりだ。回数の多さでは断然播磨屋だが、筆者としては十五年程前、福助の八ッ橋を相手に勤めた高麗屋が忘れがたい。高麗屋の次郎左衛門は愛嬌もありながら、いかにもお大尽の風格漂うもので、絶品としか云い様のないものであった。

 

今回の勘九郎は、基本的に父勘三郎の往き方に沿ったものだ。父の次郎左衛門で治六を勤めており、間近でその至芸を見ていたであろう。兎に角、父同様愛嬌のある次郎左衛門である。しかし才気煥発で、何でも自分流にこなしてしまう勘三郎が作り出す次郎左衛門と違う手触りがあるのは、その作りあげた人物像である。勘九郎の次郎左衛門は、嘗て筆者が観た次郎左衛門の中で最も好人物として描かれている。序幕「吉原仲之町見染の場」の華やかな吉原に感嘆しているところから、一転馴染み客となっているところまで、実に"いい人"なのだ。

 

この前半部分の好人物ぶりがきっちり出せているところが、後段になって効いてくる。すっかり身請けの話しが出来上がっていたところに、万座の中で八ッ橋に縁切りされる。その屈辱をグッと堪えての「花魁、そりゃああんまり袖なかろうぜ」の科白が生きる。播磨屋高麗屋の様な所謂歌舞伎調ではなく、よりリアルに肺腑から絞り出す様な科白廻しが今回の次郎左衛門にぴったりだ。まだまだ若い勘九郎高麗屋の様なお大尽の風格はない。その弊害として、下男治六との貫禄差があまり出ていない恨みは残る。しかし今はこれで良いのだと思う。

 

その如何にも好人物であった次郎左衛門が、大詰「立花屋二階の場」に至ってキレる。しかも「縁切の場」から数か月たっているのにも関わらずだ。好人物であるだけにその恨みは深く、大きい。この「縁切りの場」から大詰に至る次郎左衛門の怒りの大きさの真実味をよりリアルにする効果をもたらしているものが、前半部の"いい人"ぶりなのだ。初役乍ら今回の勘九郎次郎左衛門、実に見事なものであった。花形では幸四郎も手掛けている役なので、令和の時代にこの二人の芸が深化して行く中で二つの次郎左衛門を観れるのは、これからの歌舞伎見物の楽しみが一つ増えたと云える。ぜひ近い内に、幸四郎の再演にも期待したい。

 

そして大和屋に教わったと云う七之助の八ッ橋。今が盛りの美しさで、まずその美貌に圧倒される。花魁道中で現れたところは、客席からジワが来た。不惑を迎えた七之助だが、既にして立女形の貫禄たっぷり。これぞ正に松の位の太夫職だ。そして花道七三での見染の笑いになる。これが素晴らしい。ここはかなり難しい様で、筆者が観た中で見事だったのは大和屋のみ。あの福助でさえ今一つであった。しかし今回の七之助は本当に見事。妖しく艶麗で、この世の者とは思えない何かを漂わせ乍ら、錦絵や人形とは違う、人間としてのどこか温もりも感じさせる花魁八ッ橋の微笑みであった。だからこそ次郎左衛門が一発で参ってしまったのだ。

 

そして圧巻であったのが「縁切の場」。大和屋に教わっただけに、科白廻しは完全に大和屋調。そして筆者が観た八ッ橋の中で、最も不機嫌で冷酷な八ッ橋。栄之丞に俗に云う「ケツをかかれて」縁切りさせられると云う動機としてはそうなのだが、本当に次郎左衛門を嫌っているとしか思えない冷酷さ。七之助のクールな美貌と相まって、次郎左衛門を完膚なきまでに叩きのめす。観ているこちらは心底次郎左衛門に同情を禁じ得ない。こんな結構な身請け話しを本当に断るのかと、その場の皆から迫られての「えぇもう、煩いわいなぁ」に至って八ッ橋の不機嫌は絶頂に達する。凄い迫力だ。座敷を出た後の思い入れに、僅かに次郎左衛門への思いが垣間見れるものの、見事な迄に冷酷な八ッ橋花魁であった。

 

大詰の「立花屋二階の場」で、機嫌を直した(擬態だが)次郎左衛門に、一転本当に申し訳なさげな八ッ橋に、勤めの身の哀しみが漂う。人払いをした後、徳利を差し出しての次郎左衛門「この世の別れだ、呑んでくりゃれ」の不気味な迫力は、流石芝居上手な勘九郎。床の間に置いた刀を抜きはらって「八ッ橋!」と絶叫し乍ら斬りつける次郎左衛門。海老ぞりになって崩れ落ちる八ッ橋に哀れが漂う。仲居迄斬り殺しての「籠釣瓶は、よく斬れるなぁ」は亡父勘三郎の様な狂気漂うとまではいかなかったが、迫力充分。中村屋兄弟、初役乍ら父の追善狂言に相応しい大奮闘であった。

 

脇では松嶋屋の栄之丞が今更云う迄もなく抜群の出来。今月傘寿を迎えるとは思えない若々しい色気。本当に凄い事だ。ただ若いだけでなく、ボンボン感を漂わす絶品とも云うべき科白廻しと相まって、正に当代の栄之丞。そして松緑初役の権八も、悪党なのだがどこか愛嬌も漂わせてこの優独特の味わい。こちらも見事。時蔵歌六と手練れが揃って、見応えたっぷりの「籠釣瓶」であった。

 

客席の入りも良く、各優熱演で大いに盛り上がった勘三郎追善公演。天国の中村屋も息子や孫の奮闘に、快心の笑みを浮かべているのではないか。しかし芸に妥協のなかった勘三郎の事、まだまだだと、厳しい顔をしているのかもしれない。改めて一代の天才役者中村勘三郎の、冥福を祈りたい。