fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

歌舞伎座 猿若祭二月大歌舞伎 夜の部 成駒屋・中村屋兄弟の『猿若江戸の初櫓』、芝翫の「すし屋」、勘九郎・長三郎の『連獅子』

今月の歌舞伎座は「十八世中村勘三郎十三回忌追善」と銘打っての興行。渾身これ歌舞伎役者とも云うべき不世出の名優、十八世勘三郎を偲ぶ公演だ。月日がたつのは早いもので、もう十三回忌。還暦前で、これから円熟の芸を見せてくれると云う時期での早世は、惜しみても余りあるものであった。しかし息子である勘九郎七之助の兄弟に加え、親戚筋である成駒屋兄弟を加えての大追善。息子や孫達が立派に成長してこれだけの興行を打てると云う事が、泉下の勘三郎にとってせめてもの餞であろうか。

 

夜の部は『猿若江戸の初櫓』で幕開き。江戸猿若、中村勘三郎家誕生の故事に由来する狂言だ。亡き十八世勘三郎が初演し、当代中村屋に引き継がれた家の芸。筆者が観劇した日は勘太郎が病気休演で、親父の勘九郎代演で猿若、七之助のお国、獅童の勝重、坂東亀蔵・萬太郎・種之助・児太郎・鶴松の若衆、芝翫の万兵衛、福助のふくと云う配役。事前のインタビューで「健康に気を付けて頑張りたい」と語っていた勘太郎。子供乍らさぞ無念な事であったろうと推察する。

 

何度か観ている狂言ではあるが、やはり勘九郎の踊りは抜群である。良い踊りと云うのは、観ている方が踊りたくなる舞踊だと高麗屋が云っていたが、この狂言勘九郎は正にそれだ。将軍家への献上物を載せた荷車の引手が四散してしまったので、困っている万兵衛・ふく夫婦を助けようと猿若が若衆に云う。しかし若衆は気乗りしていない様子。そこで勘九郎猿若が踊りで若衆達を説得する。その見事な舞踊を見ていた若衆達が次第に浮き浮きし始め、やがて踊りだして荷車を曳いて行く。筆者は観ていて、この若衆達と同じ様な気分にさせられたのだ。軽く柔らかい踊りなのだが、身体に一本ピシッと線が通っている。最早舞踊に関しては、殆ど父勘三郎の域にあるのではないだろうか。見事な踊りであった。

 

七之助女形舞踊も勿論見事なもの。ただこちらは勘九郎に比べて踊っている時間がやや短く、もっと見てみたいと思ってしまう。兄貴株の亀蔵を筆頭とした若手花形五人による若衆の踊りもイキが合って見応え充分。芝翫の万兵衛は特に為所がない役で、華を添えたと云ったところか。ただ福助の動きがやはり不自由そうで、科白も明瞭ではなくやや心配なところだ。義兄の追善なので無理を押しての出演でなければ良いのだが。

 

続いては『義経千本桜』から「すし屋」。これも亡き勘三郎が得意とした狂言。配役は芝翫の権太、時蔵の弥助実は維盛、梅枝のお里、新吾の内侍、梅花のお米、又五郎の景時、歌六の弥左衛門。各優それぞれ何度か勤めており、隙のない布陣と云えそうだ。しかし権太の芝翫は意外にも初役だと云う。人気狂言だが、ここ二年で五度もかかっている。権太の役者も皆違っており筆者はその全ての公演を観れたが、それぞれ皆違う持ち味の権太を見せてくれていた。中でも松嶋屋の権太は独特で、印象に残っている。

 

その芝翫初役の権太だが、当代丸本と云えばもうこの優である。昨年後半から鱶七・高綱・平右衛門と立て続けにクリーンヒットを飛ばし続けている芝翫。今回もまず申し分のない出来だ。まず出が良い。大柄な身体を上手く殺して軽みのある出。権太の小悪党の性根がこの出だけで判る。芝翫は何も語っていない様だが、多分音羽屋に教わったか、映像を参考にしたかはあったのだと推察する。筋書きで亡き父先代芝翫が六代目の権太の話しをしてくれたと語っていたが、自分こそ六代目の系統に連なる本格的なものなのだと云う矜持ともとれた。

 

舞台に廻って時蔵の弥助を呼び出し人相書きと見比べるところの目つきと科白廻しも、如何にも小悪党の味が出ていてこれも良し。母お米を騙して金を貰い受け様とするところの母親への甘えっぷりも愛嬌たっぷりで、見物衆もしっかり反応している。親父が戻ったと一旦引っ込んでから二度目の出になる。花道にかかってから金を入れた桶を忘れたと戻って来て、桶を抱えての大見得はこれぞ義太夫狂言と云った味わいがあり、その古風な役者顔が映える。一連の所作がしっかりイトに乗っているのも見事。

 

三度目の出から首実験の場。ここも上手い。途中ちらちらと底割りにならないほど良い加減で妻子を思う気持ちを垣間見せ乍らの「あっしゃあやはりレコがようござんす」と云うあたりの悪党ぷりも実に結構なもの。景時が「三位中将維盛の首に相違ない」と云ったところで、ほっとした気持ちを表すかの様にまくっていた袖が落ちる六代目の型は、筆者が観た日はきっぱり行かなかったが、これはたまたまの事だろう。舞台は生ものなので、こう云う事もある。

 

最後の弥左衛門に刺されてからのモドリの述懐も、義太夫味たっぷりで実に見事。本寸法な丸本の枠から一切はみ出さないが、しっかりその真情を客席の隅々迄伝えきる事が出来るその技巧は、花形にはまだ中々出せないものだろう。初役乍ら、実に立派な出来栄えの権太であった。当代の名人である高麗屋音羽屋、松嶋屋が花形から脱して芸格がどんどん大きくなり、その芸が円熟して行く過程をリアルタイムで体感出来た事と同質のものを、この令和では芝翫が見せてくれるに違いないと、筆者は思っている。

 

脇はそれぞれきっちりしていて、破綻のない結構なもの。若手花形の丸本はと問えば、梅枝と返って来ると云うくらいの梅枝のお里は、何度も演じて自家薬籠中の物。時蔵の維盛も弥助の時との替わり目もきっばりしており、位取りも見事。梅花のお米も若干科白廻しの音量に乏しいところもあるが、子に甘い母親ぶりがいつの時代も変わらない情愛を見せてくれているし、歌六の弥左衛門に至っては、今更もう何も云う必要もないだろう。各役揃って、実に見事な「すし屋」であった。

 

打ち出しは『連獅子』。子がいる名門の家はどこでもやるので中村屋の家の芸と云う訳ではないが、十七代・十八代勘三郎時代から当代の勘九郎勘太郎そして長三郎に迄引き継がれている大作舞踊である。三年前に史上最年少で仔獅子を踊った兄勘太郎に引き続き、今回は弟長三郎が挑む。当然の様に親獅子は勘九郎橋之助の蓮念、歌昇の遍念と云う配役だ。

 

筆者が一番直近で観た『連獅子』は菊之助・丑之助親子であったが、今回の勘九郎・長三郎はそれと全く違う味わいの『連獅子』であった。菊之助の親獅子は、実に厳しい親獅子であった。これ程仔獅子に遠慮のない親獅子は、筆者は嘗て観た事がないくらいのものだった。しかし今回の勘九郎は真逆である。もう仔獅子が気になって仕方がない親獅子なのだ。その仔を思う気持ちがしっかりと客席にも響いてくる。前シテの右近が左近を谷底に蹴落とす。「臆せしか」と谷底を覗くところの、子の身を案じる父親ぶりが実に温かい。これはどちらが良い悪いと云う比較ではない。同じ舞踊でも役者によって違うと云う典型的な例であろう。

 

長三郎の仔獅子は、まだどうこう批評する段階ではないだろう。しかし兄勘太郎が子供乍ら既にして自分流に闊達に踊っているのに比べ、長三郎は必死に型を追いかけているのが判る。多分器用なタチではないのかもしれない。しかしそれは役者として悪い事ではない。親獅子を懸命に追いかける仔獅子長三郎の風貌が亡き祖父勘三郎生き写しであったのが、涙を誘う。筆者の推測だが、勘太郎の芸質は祖父勘三郎のそれに近く、長三郎は父勘九郎に近いのではないだろうか。これから兄弟切磋琢磨して、令和の歌舞伎界を担う役者になる事が、勘三郎への何よりの供養となるであろう。

 

亡き十八世勘三郎所縁の三狂言を当代の中村屋成駒屋が演じた素晴らしい追善公演。改めて歌舞伎界が失ったものの大きさを感じさせられるが、十八代目の芝居への熱い魂は、今後も引き継いで行って貰いたいと、心より願う次第である。