fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

八月納涼歌舞伎 第一部 成駒屋兄弟の『新選組』、中村屋兄弟の『闇梅百物語』

八月納涼歌舞伎を観劇。今月から座席制限が撤廃された。まだ大向うや飲食は禁止だが、また一歩通常興行に近づいた。ただまたコロナにより一部の公演が明日迄中止となってしまった。状況はまだまだ予断を許さない。チケットを押さえている身としては、果たして上演されるのか、ひやひやものである。幸いにも筆者は一部を観劇出来た。入りは二階席に空席はあったものの、一階と三階はかなり埋まっていた。

 

幕開きは新作歌舞伎『新選組』。我が国が世界に誇る天才漫画家、手塚治虫原作の歌舞伎化である。筆者は手塚治虫は好きだが、この作品は読んだことがなかった。観劇した今もまだ未読である。亡き立川談志師が「ダヴィンチ、ビカソと並ぶ天才」と迄称賛した手塚治虫だが、劇を観た限り手塚作品の中では傑作と云える物ではないと思われる。父を殺された深草丘十郎が仇討を志して新選組に入隊し、その復讐譚を中心とした幕末青春物語である。その丘十郎に歌之助、その友人で同じく新選組隊士鎌切大作に福之助、この二人が主人公である。勘九郎近藤勇七之助土方歳三橋之助の南無之介、虎之介の沖田総司片岡亀蔵の半蔵、鶴松のお八重、彌十郎芹沢鴨扇雀坂本龍馬と云う配役。成駒屋兄弟が歌舞伎座で初めての主役に抜擢された。

 

丘十郎は父を庄内半蔵に殺され、その仇討を誓う。その場に居合わせた近藤勇新選組入隊を勧められ、鎌切大作と共に新規隊員に採用される。新選組隊員として腕を磨いた丘十郎は見事父の仇を討つ。しかし討たれた半蔵にも娘の八重がおり、仇と狙われる身となった丘十郎は仇討は仇討の無限ループを生むだけである事に気づき、虚しさを感じる。やがて無二の親友となった大作が長州の間者である事が発覚して隊命により討たねばならなくなると云うのが大筋。

 

歌之助・福之助とも科白廻しは現代調で、これは敢えてそうしたのだろう。現代人にも身近に感じさせる現代青年像を構築しようとした意図だと思う。初めて歌舞伎を観る人には入りやすい演出だと思うが、毎月の様に芝居を観ている身としては、やはり物足りない思いが残る。人殺しは人殺しを生む無常観が一つのテーマなのだが、この科白廻しではその哀感は出てこない。しかし展開はスピーディーで、「展開が早すぎる」「しかしこれもありなのだ」などと云う丘十郎と近藤勇のやり取りもあり、客席は沸いていた。

 

書割は手塚漫画の絵を使っており、劇中音楽にアトムのテーマが出てきたり、科白の中に「おむかえでごんす」や「アッチョンブリケ」と云った手塚作品お馴染みの言葉が出て来る。途中ブラックジャック迄登場するなどサービス精神旺盛な演出。歌舞伎調に寄せようとはしていないので、そこを批判されても困ると云うのが演出側の気持ちだとは思う。その分彌十郎扇雀の芝居の重厚感は際立っており、芝居好きを満足させるものだった。歌之助・福之助共若いので、立ち回りは身体もよく動き、きびきびとしていて清々しい。若手花形を起用して新しい芝居を作ると云う意図が充分感じられて、こういう試みは令和に生きる興行としては必要だと思う。

 

打ち出しは『闇梅百物語』。常磐津・清元・長唄の掛け合いによる舞踊劇。勘九郎が骸骨と読売、七之助が白梅と雪女郎の二役、種之助の傘一本足、虎之介の河童、鶴松の籬姫、千之助の新造、橋之助の狸、そして勘太郎と長三郎が小骸骨と読売をぶっ返りで勤めて大奮闘。これが若手花形うち揃っての全力投球で面白い出し物となった。

 

この舞踊は本来一人の役者が早替りで勤める事が基本だった様だが、この座組ではやはり役を振り分けた今回の行き方が良いだろう。三年前に幸四郎扇雀彌十郎と云った座組で観たが、その時より面白く観れた。妖怪変化が出て来て踊ると云う趣向なので、若手の軽い踊りの方が役に合致していると思う。

 

殊に種之助の傘一本足、虎之介の河童、橋之助の狸による「葛西領源兵衛堀の場」は面白い。河童と狸が傘一本足の行司で相撲を取ると云う荒唐無稽な内容と、童心を感じさせる若手花形らしい遊び心のある踊りが実にマッチしており、楽しく観れる。続く「廓田圃の場」はこの座組では年嵩である七之助の雪女郎が流石貫禄のある舞踊を見せてくれる。第一場で演じた白梅ときっちり演じ分けており、この優の女形舞踊は実に見事だ。ここがこの狂言最大の見せ場。勘九郎勘太郎・長三郎の親子も骸骨と読売でイキの合った舞踊を見せてくれており、夏らしく実に楽しめる舞踊劇となっていた。いい打ち出し狂言だったと思う。

 

残る部は観劇後にまた改めて綴る事にするが、何とか無事上演される事を祈りたい。