fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

二月大歌舞伎 第三部 中村屋兄弟の『奥州安達原』、勘九郎・勘太郎の『連獅子』

引き続いて歌舞伎座三部を観劇。その感想を綴りたい。

 

第三部は十七世勘三郎三十三回忌追善公演と銘打っている。十七世は十八世勘三郎に、「歌舞伎座で追善興行が打てる役者になっておくれ」と云っていたそうだが、その孫が追善興行を打てる役者に成長した。泉下の十七世・十八世もさぞ喜んでいる事だろう。

 

幕開きは「袖萩祭文」。七之助の袖萩、勘九郎の貞任、長三郎のお君、歌六の直方、東蔵の浜夕、芝翫の宗任、梅玉の義家と云う配役。記録によると十七世は、袖萩と貞任を早替りで勤めている。今回は孫の七之助勘九郎で分け合った形。まぁ普通はこうなるのがノーマルだろう。兼ねる役者で、勤めた役の多さではギネスにさえ登録されている十七世。改めて凄い役者だったなぁと思う。

 

さてその「袖萩祭文」だが、芝居としてはしっかり観れる。しかし義太夫狂言らしい手応えに欠けている。中村屋兄弟共手一杯の芝居で悪くはない。しかし七之助の袖萩には哀れさ、悲しみが足りない。勘九郎には義太夫狂言の立役としての大きさ、古怪さが不足している。七之助は初役、勘九郎は二度目なので、致し方ないのかもしれない。この狂言は人気があるのかここ数年でも播磨屋芝翫の貞任、雀右衛門の袖萩で観ており、比較するのは酷かもしれないが、先輩達にはまだ及ばずの感。七之助はもう少し声を抑えて飢えと雪に震えている感じを出して欲しい。勘九郎は大落としのところなど、もっとたっぷり突っ込んで義太夫狂言らしい芝居を見せて欲しかった。今回はリアルで少しあっさりしていた様に思う。

 

しかしその分脇は手堅い。芝翫の宗任は義太夫狂言らしい太々しさがあり、貞任とどちらが兄貴だか判らない位(苦笑)。歌六の直方と東蔵の浜夕は当代最高だろう。きっぱりとした中に親の深い情愛も見せてくれる素晴らしい出来。そして梅玉の義家は流石に大きく、これぞ源家の御大将。これだけの手練れで脇を固めているのだから、千秋楽に向けて、主役に一層の奮起を期待したい。長三郎のお君は好演。この子は声が良く通る。将来が楽しみだ。

 

打ち出しは『連獅子』。勘九郎の親獅子、勘太郎の子獅子、鶴松の蓮念、萬太郎の遍念と云う配役。勘太郎が史上最年少九歳で子獅子を勤める。十歳で勤めた自らの記録を破られた勘九郎が悔しがっていたが、期待に違わぬ立派な子獅子だった。

 

『連獅子』は十七世以来中村屋お家芸とも云える狂言勘九郎が亡き勘三郎に徹底的に仕込まれた様に、勘太郎にもきっちり教えた事が良く判る。非常に折目正しい子獅子。大体において子役と踊る時は、どうしても大人の役者が子供に合わせてしまうものだ。しかし今回はそれがない。連れ舞いは相手を見ながら踊ると間がずれる。だがこの親子はお互いがきっちり踊って決まるところはしっかり決まる。勘九郎は当然としても、僅か九歳でこれが出来る勘太郎には瞠目させられた。これはしっかりお金が取れる舞踊だ。数年前の初舞台を観劇している身としては、早くもここまで来たのかと、感慨一入。これからも折に触れ、この親子の成長過程を辿る様な『連獅子』を観てみたいと思わされた。

 

数年後には十八世の十三回忌もある。その時には義太夫狂言に於いても素晴らしい追善公演を期待したい。残る第二部玉孝の共演舞台の感想は、また別項にて。