劇団恒例の国立劇場新春公演を観劇。月が替わってしまったが、その感想を綴りたい。国立劇場が閉鎖されているので、初台にある新国立劇場での上演。中々進行しない国立劇場の建て替えの間、色々な場所で言葉は悪いがドサ回りをさせられている感があるが、やはり映画「国宝」の影響か、一階席後方に若干空席はあったものの、二階席はほぼ満席状態。今まで観た初台での公演の中では、一番の入りであった様に思われる。今月は四つの小屋で芝居がかかっているので、本当に沢山の方々が歌舞伎をご覧になられた事と思う。誠に喜ばしい。
出し物は『鏡山旧錦絵』。国立劇場は通し狂言と新作の上演を建て前としているので、狂言はこの一つのみ。丸本の名作狂言だがあまりかかる機会は多くなく、今回は十七年ぶりの上演だと云う。配役は八代目のお初、彌十郎が岩藤と時政、時蔵が尾上と重忠のそれぞれ二役、彦三郎の達平、萬太郎の求女、玉太郎の大姫、橘太郎が桐島と主税の二役、権十郎の弾正、萬次郎の左枝、魁春の政子、楽善の広元、七代目の頼朝。八代目・萬次郎・彦三郎以外は皆初役の様である。まぁ十七ぶりの上演なので、それも当然であろう。
この狂言は前段が『加賀見山旧錦絵』で、後段が『加賀見山再岩藤』となる。今回は前段で、後段は三月の歌舞伎座で通し上演されるらしい。そちらも時蔵の二代目尾上を始め劇団の役者が多く揃う様で、今から楽しみである。今回の尾上と三月の尾上は同じ名だが、三月の方は今回のお初が継いだ二代目となる。要するに今月八代目が演じたお初の後日譚を時蔵が替わって演じると云う形になる。恐らくそちらも通しとしては久しぶりの上演であろう。
この芝居は「女忠臣蔵」と云われる事もあり、局岩藤に恥辱を受けた事を恥じて自害した中老尾上の仇を、召使のお初が見事に取ると云うのが大筋である。通し狂言と銘打たれてはいるが、序幕の「花見」はカットで「竹刀打」からの上演となっている。ここで竹刀試合を岩藤から申し込まれた尾上に代わり、お初が試合に臨んで奥女中の桐島や岩藤を打ち据える。これを恨みに思った岩藤は尾上を罠に嵌めて、草履打ちの折檻にあう。それを恥辱と感じた尾上が自害してしまうので、お初は自分の責任と感じ、岩藤を奥庭に呼び出して仇を討つ。八代目演じるお初は、一途に主人尾上を思っているのがしっかりと描かれている。この役の勘所をしっかり掴んでいる芝居だ。
立役の丸本では時に線の細さを感じさせる時がある八代目だが、女形での丸本は素晴らしい。義太夫味もしっかりあり、艶もあり乍ら兼ねる役者らしい力強さもある。このお初は女武道的な強さが必要な役なので、八代目の芸風にぴたりと嵌まっている。「長局尾上部屋の場」に於ける時蔵尾上との二人芝居は本当に素晴らしい。自害を覚悟している尾上は、用を云いつけてお初を外出させようとする。しかし主人の様子に只ならぬものを感じたお初は一旦断るも、それならば暇を出すと云われ、心を残し乍らも出掛ける事になる。ここの時蔵尾上の芝居には、悲壮な覚悟を滲ませ乍らもお初への愛情もしっかりと感じさせる。相対する八代目お初との、お互いを思う心が交差する芝居は、見事としか云い様がない。
狂言としては、上手に岩藤方の女中下手に尾上方の女中が居流れる中で、角々の極まりを美しく決め乍らの彌十郎岩藤による時蔵尾上への「草履打」がクライマックスであろう。丸本らしい様式美溢れる場である。しかし筆者的には、葵太夫の見事な竹本に乗った義太夫味溢れる上記の女形二人芝居の場が、最も印象に残るものであった。経験のある八代目の素晴らしさは云う迄もない事であるが、源家の中老としての格があり、とても初役とは思えない時蔵尾上もまた、見事であったと記しておきたい。
しかし片はずしの大役岩藤を演じた彌十郎はニンではない事もあり、今一つと云う印象。確かにこの岩藤は立役が演じる役どころではあるのだが、「源氏店」の蝙蝠の安や、「新三」の大家など、アクの強さの中にも愛嬌のある役柄を得意としている彌十郎なので、この役に必要とされない愛嬌味が漂ってしまう。義太夫味も希薄であり、芝居の上手さはあるものの、源家の局らしい品にやや欠ける部分もあって、厳しい云い方だがミスキャストの感があった。やはり岩藤は今回の座組では、七代目が最も相応しい役どころであったと思う。最後は原作にない「右大将頼朝花見の場」で、出演役者が勢揃いで幕となった。彌十郎に時政を演じさせて大河ドラマを想起させる辺りは、面白い配役。八代目が「忙しいの。ご苦労」と岩藤と二役演じた彌十郎を労うところは見物衆にも大受け。橘太郎が科白で「働いて、働いて、働いて参ります」と云う新春劇団公演お約束の流行語を取り入れるなど、硬軟取り混ぜて楽しませてくれた、国立劇場の初芝居であった。
今月は二月の歌舞伎座の恒例となりつつある「猿若祭」。鶴松の休演は残念であるが、中村屋兄弟の大奮闘公演を楽しみにしている。