fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

歌舞伎座 吉例顔見世大歌舞伎 第三部 花形勢揃いの『花競忠臣顔見勢』

歌舞伎座三部を観劇。かなりいい入りで、二部とどっこい位入っていた印象。まぁこのメンバーで入らなかったら、歌舞伎の明日はないだろう(笑)。コロナ禍で「忠臣蔵」の様な長い狂言は出せないだろうとこのブログでも書いたが、幸四郎猿之助がそれならばとこの「超高速忠臣蔵」を作り出してきた。若手花形を勢揃いさせ、そのそれぞれに見せ場を作る。かなりの苦心だったろうと推察する。何とかこの時短興行でも「忠臣蔵」をやりたいと云う思いが伝わってくる狂言だった。

 

幸四郎が若狭之介・大学の二役、猿之助が師直・戸田の局・松柳亭の三役、右近が顔世御前後に葉泉院・文吾の二役、新悟が直義・お園の二役、隼人が判官・主悦の二役、猿弥の其角、笑也のおさみ、歌昇の由良之助、宗之助の平右衛門、鷹之資の力弥、廣太郎の新左衛門、福之助の源蔵、米吉の小浪、歌之助の六弥と云う配役。正に若手花形勢揃いの感。猿之助がインタビューで「自分がやりたいのをグッと我慢して若手にふった」と発言していたが、確かに本来この座組なら幸四郎が由良之助・主悦、猿之助が源蔵と葉泉院あたりをやりそうなものだ。若手は正に試されていると云っていいだろう。

 

討ち入り迄の四日間を二時間で描く野心的な試み。これもコロナによる変則公演が生んだ産物だろう。口上人形付きの「大序」から始まり「桃井館」、「赤垣源蔵徳利の別れ」、「南部坂雪の別れ」、「土屋主悦」、「討ち入り」、「花水橋引き揚げ」と続く。とにかく忙しい。どうしても肚のある芝居と云う風にはならない。しかしその中でも「南部坂雪の別れ」と「土屋主悦」は比較的長く時間を取っているだけあって、見どころがある。

 

「南部坂雪の別れ」は、個人的に忠臣蔵の中でも最も好きな場面。二十年位前に播磨屋の内蔵助、梶芽衣子の戸田の局で放映された「大忠臣蔵」のこの場面は最高だった。代々瑤泉院は時の代表的な美人女優が勤めるが、この時は牧瀬里穂。芝居の上手い人ではないが、その美しさは抜群だった。それはさておき今回はその瑤泉院(芝居では葉泉院だが)は右近。今年に入ってお嬢吉三、櫓のお七と立て続けにヒットを飛ばしている右近、今回も大名の後室としての格と気品を充分感じさせる立派な葉泉院。猿之助の戸田の局がまた手強い出来でしっかり芝居を締めている。ただ歌昇の由良之助は花道の出で腰が浮いており、流石に軽量級の感は否めない。科白廻しはしっかりしているが、由良之助は座頭の役、これは手に余った。幸四郎の大学は描線が太く、流石の技巧でこの座組では格の違いを感じさせた。

 

今回の芝居で一番の出来だったのは続く「槌谷邸奥座敷の場」所謂『土屋主悦』だ。『松浦の太鼓』と同工異曲の狂言だが、こちらは初代鴈治郎に当て書きされた物が基になっている。大筋は似ているが、相違点もかなりある。その中で最も大きな違いは主役の松浦候と主悦の人物設定だ。松浦候は年齢もいっており、それなりに老成した人物として描かれているが、主悦はもっと若く、思慮深い人物設定である。その主悦を隼人が実に見事に演じた。主悦は実際に吉良邸の隣に住んでいた旗本で、討ち入りに際して高張提灯を灯してその壮挙を助けたと云う。そう云う聡明な人物像を、その出からしっかり表していたのはには驚かされた。科白廻しも例の陣太鼓を数える辺り、謡うが如き名調子で、これ程出来るなら『土屋主悦』としてじっくり観てみたいと思わせる出来だった。

 

その他では猿之助の師直が若干線の細さは感じるが流石の出来。「小心者に捨て知行」と古格な云い回しをしていたのが印象に残る。幸四郎の若狭之介はニンでもあり、見事な殿様ぶり。期待した「赤垣源蔵徳利の別れ」は筋を追っただけで、芝居のし所もなく、残念な出来。「奥庭泉水の場」における幸四郎の大学と鷹之資の力弥の立ち回りは、身体に踊りのある優同士で実にキレが良く、客席も盛り上がっていた。

 

全体として場ごとの出来不出来に差があるのは致し方なかったかもしれない。練り上げ不足の部分も多いが、それぞれの優がいずれ本役でこれらの役を演じる様になって欲しいと云う、幸四郎猿之助の兄(?)心。若手花形が全力で勤めているのが感じ取れて、気分良く観れた狂言だった。

 

来月は歌舞伎座に加えて京都の顔見世を観劇予定。松嶋屋鴈治郎扇雀芝翫幸四郎愛之助と揃う大顔合わせが今から楽しみだ。