fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

播磨屋、逝く・・・(号泣)

今年の三月に倒れて以来容態が心配されていた播磨屋だったが、日本全国の歌舞伎ファンの願いも叶わず先月28日、天に召された。享年七十七歳だった。残念とも無念とも、何とも表現の仕様がない。こうやって文章を書いていても涙が出て来る。昨日の女婿菊之助の会見を見ている時も、涙が止まらなかった。早い、早すぎると天の播磨屋をどやしつけたい気分だ。

 

去年の手術以来、明らかにいつもの播磨屋ではなかった。声に力がなく、肚に力が入っていない。どんな手術だったのかは判らないが、そこで無理せず完全に静養していれば、こんな事にはならなかったのではないのか・・・どうしてもそんな思いを拭いきれない。渾身これ歌舞伎役者とも云うべき播磨屋自身は、舞台で死ねれば本望と思っていたに違いないが、歌舞伎ファンにとっては、最悪の事態となってしまった。人間国宝でもある播磨屋は文字通り国の宝であり、その死は大袈裟でなく国家的損失である。何とかならなかったものかと帰らぬ繰り言を云いたくもなってしまう。

 

今はとても冷静に文章を書ける状態ではない。いずれ機会をみて播磨屋の事を偲んで書きたいと思う。ただ致し方ないのかもしれないが、各追悼記事には「鬼平」の文字が溢れかえっていた。確かに「鬼平」がテレビ時代劇としてはかなりの上作であった事は間違いない。しかし播磨屋の真価は舞台にある。歌舞伎座の大舞台こそ、播磨屋に似つかわしいものだった。花道から出て来た熊谷、大和屋と対峙しながら仮花道を出て来た大判事、舞台の湯殿で水野を相手に極まった長兵衛、その見事さはこれぞ正に千両役者の貫禄だった。

 

今はただ、播磨屋の御霊よ、安らかなれと祈るのみである。幸い幸四郎菊之助と云う立派な後継者がいる。大播磨の芸統に後の憂いはないと思えるのが、せめてもの心のよすがである。