fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

国立劇場十二月 通し狂言 増補双級巴 播磨屋の五右衛門

今年最後の歌舞伎観劇。国立劇場播磨屋の五右衛門。その感想を綴る。

 

筆者は初めて観る狂言。そりゃそうだろう。70年ぶりとか90年ぶりとか50年ぶりとか云っているのだから。古希を過ぎてこう云う発掘狂言に挑む播磨屋のその精神が、まず素晴らしい。3時間以上ある狂言の内、まず2時間以上は出ずっぱりの播磨屋。それを25日間なのだから、身体は大丈夫かと心配にもなる。

 

五右衛門が勅使に化けて天下を狙い、それが露見したところで葛籠抜けと宙乗り。しかしそれは五右衛門の夢であり、うたた寝から覚めた所で久吉と「南禅寺山門」の世話風な見せ場。その後は一転して五右衛門隠れ家の世話場になり、最後は子供の情にひかれてお縄で幕。立ち回りあり、宙乗りあり、もどりの見せ場もあるいかにも歌舞伎らしい狂言

 

序 幕 「壬生村次左衛門内の場」で播磨屋の五右衛門が26年ぶりに我が家に戻って妹の小冬(米吉)と対面する場で、「俺ゃ我が兄の友市じゃわいの」と云うところ、絶妙な世話の味で素晴らしい。播磨屋は基本時代物役者だと思うのだが、こう云う世話の味を出せるのが流石の力量。

 

二幕目 「松並木行列の場」で呉羽中納言に化けた五右衛門が出てきたところ、科白こそないが、その貫禄は流石播磨屋菊之助の久吉とすれ違い、花道で上手く化けれたとほくそ笑むところは、一転いかにも悪党五右衛門らしさが出ており、播磨屋の芝居の上手さが光る。

 

三幕目「志賀都足利別館奥御殿の場」。呉羽中納言として将軍の家臣、三好長慶に対面するところ、「まずこれへ」と云われて「然らば」と二重に上がったその姿が見事な位取り。将軍の放埓を詰問し、「さぁさぁさぁ」と詰め寄るイキも抜群。そこから一転して、御台所に扮して現れた傾城芙蓉(雀右衛門)の美しさに相好を崩す。ここらあたりも緩急自在の名人芸だ。

 

続く「志賀都足利別館奥庭の場」。花道の上に上がった葛籠から播磨屋が抜け出て宙乗り。多分史上最高齢の宙乗りではないか?「葛籠背負ったがおかしいか」と悠々二階席へ消えていくその姿。正に千両役者だ。

 

第三場 「木屋町二階の場」宿屋で微睡む五右衛門。要するに前幕の事は夢だったと云う趣向。せり上がって、階下の久吉と山門。先月はお父つぁん菊五郎と、今月は倅の菊之助との組み合わせ。座頭の貫禄たっぷり。菊之助の久吉も美しく、実にいい形だ。

 

大 詰 「五右衛門隠家の場」ここは一転世話場になる。雀右衛門が二役で五右衛門女房おたき。よくある継子いじめの場だ。はんなりとした芸風の雀右衛門が、いかにも憎体な継母を好演。芸域を広げているのが判る。おたきが不倫をしていると思い込んだ子の五郎市は、不倫相手と間違えておたきを刺す。ここからがおたきのもどりになる。ここがこの場のハイライト。実は本当の母親のところへ五郎市を帰し、真っ当な生き方をさせようと考えた末の折檻だったと明かす。葵太夫の素晴らしい竹本とシンクロして、雀右衛門の「早う母御の方へ去ねかしと、打擲するも、せめてあの子は満足な人にしたさでござんすわいなぁ」の述懐が素晴らしい。

 

最後は「 藤の森明神捕物の場」。五郎市への情愛にひかされて、久吉に捕縛される五右衛門。葛籠抜けから宙乗り迄やった挙句に、最後の最後に大立ち回り。古希を過ぎている播磨屋、流石に疲労の色が濃い。これを25日間は辛いだろうと、観ているこちらが心配になる。最後は倒れている五郎市の襟首を咥えて立たせ、久吉の菊之助と決まって幕。いや~播磨屋大奮闘劇でした。

 

総じて播磨屋雀右衛門が圧倒的に素晴らしく、長い狂言を全く弛緩させない名人芸を堪能。加えて葵太夫の竹本が本当に見事で、筆者の座席が前列上手寄り竹本の前だった事もあり、その語りをかぶりつきでたっぷり味わえた。耳から素晴らしい浄瑠璃が入り、目の前では雀右衛門迫真の名人芸。その間、暫し筆者は夢心地だった。歌舞伎観劇のカタルシス、ここに極まれりと云ったところか。一年を素晴らしい狂言で締めくくれた。大満足の一日だった。しかし播磨屋、身体にだけはくれぐれも注意して下さい。

 

今年一年の総ざらいを、後日また別項で綴るつもりです。