fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

歌舞伎座 八月納涼歌舞伎 第三部 隼人・幸四郎・中車の『新・水滸伝』

歌舞伎座三部を観劇。こちらも一部・二部と同様の入り。今月は三部とも満席に近い入りで、気候同様熱い舞台が繰り広げられた。納涼歌舞伎は元々勘三郎三津五郎が若い人に歌舞伎を観て貰いたいと始めた興行。三部制なのでコンパクトだし、料金も若干リーズナブル。初めて歌舞伎を観るにはうってつけの月だと思う。この拙いブログを目にした方で、もしまだ歌舞伎をご覧になっていない人がおられたら、今月はお薦めですと、記しておきたい。

 

三部は『新・水滸伝』の一狂言のみ。中国の四大奇書と云われる「水滸伝」を元にして、猿翁が創り上げた狂言。初演は十五年前で主演は当時の右近、現右團次だ。「猿之助四十八撰」の中で、猿翁自身が演じた事のない珍しい狂言。今月は納涼歌舞伎らしく隼人を始めとして壱太郎・福之助・歌之助・團子・青虎と若手花形で固めた座組。それにもう澤瀉屋公演ではお馴染みになった浅野和之澤瀉屋を支える寿猿・猿弥・笑三郎・笑也が加わり、上置として幸四郎魯智深役でいい貫禄を見せてくれている。

 

歌舞伎座で興行を打つ際に「スーパー歌舞伎」と銘打つのは抵抗があるのか、本作もスーパー歌舞伎とはなっていないが、内容は完全にスーパー歌舞伎である(筋書で猿翁もスーパー歌舞伎と云っている)。筆者の個人的な考えでは、歌舞伎とスーパー歌舞伎は別物である。科白は現代調であるし、音楽も洋風乃至は中国風で、しかも生演奏ではない。本作も歌舞伎座よりも新橋演舞場が似合う芝居ではある。だからと云って本作が駄目だと云っているのではない。歌舞伎として観れば点数はつけられないが、芝居として面白ければそれで良いのだ。特に今月は納涼歌舞伎ではあるのだし。

 

筆者も昔「水滸伝」は読んでいるが、一度きりなのでうろ覚えである。ただ主役は前半は晁蓋、その後は宋江であったと記憶するので、隼人が演じた林冲は主役ではない。しかし林冲は人気の高いキャラクターらしく、テレビ化された「水滸伝」でも中村敦夫演じる林冲が主役であった。本作もその影響を受けているのかもしれない。しかも林冲は二枚目とされているので、隼人のニンに適っている。

 

舞台装置は極度に簡素化されており、歌舞伎によくある派手な舞台ではない。まるでヴィーラント様式のワーグナーオペラの様だ。その中で隼人を始めとした登場人物が縦横無尽に駆け巡る。立ち回りは派手だし、動きも多い。演者が若手だからこそ出来る演出であろう。細かなストーリー解説は省略するが、大立ち回りあり、宙乗りありのこれぞスーパー歌舞伎と云った演出である。そこに一輪の花とも云うべき猿弥の王英と笑也の青華の恋愛譚が絡んでくる。この二人のエピソードが微笑ましく、心温まるシーン。恋愛と無縁の様な猿弥に恋をさせているところが効果的。見物衆にも受けていた。

 

そして主演の隼人だが、この座組では座頭の貫禄たっぷりで、最近の目覚ましい心境ぶりを見せている。梁山泊に集う人間はすべからく悪党と云う事になっており、林冲も悪事を重ねてそれを気に病んだ妻が自害したので(後に病死であった事が判明するのだが)、半ば自暴自棄になっている人物。その少し陰りのある人物像を隼人が上手く造形しており、無骨一点張りの登場人物の中で、ひと際異彩を放っている。皆に軍大将になってくれる様に懇願され一度は断るも、晁蓋や最後に現れた兄貴分の魯智深に説得されて、軍大将に就く事を承認する。その時の隼人の表情が実にいい。若者らしい気負い立ったところと、大役に対する責任感に目をらんらんと輝かせているのが入り混じって、その表情一つでこの長い芝居を幕にしている。立ち回りの所作もキレがあり、物凄い運動量をこなしているのだが、汗を感じさせないのが如何にもこの優らしいところ。見事な座頭ぶりだったと云えるだろう。

 

脇では中車の晁蓋が、梁山泊の頭領らしい貫禄と描線の太さがあり、実に結構な出来。映像畑出身の役者だが、声の通りも抜群に良い。純歌舞伎ではないこう云う芝居の方が、やはり今のところは中車が生きる。浅野和之の高俅は悪役としては若干線の細さを感じるが、アクの強さは出ており、先月の斧九郎兵衛より断然良い。大詰に少しだけ出て来る幸四郎魯智深も兄貴分のいい貫禄で、芝居の最後をきっちり締めている。林冲の身替りになって命を落とす彭玘の團子も、その悲劇性がニンに適っており、印象に残る芝居。猿弥・笑也の芝居も文句のつけ様のないもので、澤瀉屋一門が総力を挙げて隼人を支えた大芝居であった。

 

三部とも、少なくとも筆者が観た日は盛況であった八月納涼歌舞伎。来月は秀山祭。打って変わって古典をじっくり楽しみたい。