fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

六月大歌舞伎 昼の部 右近・隼人の『元禄花見踊』、菊五郎・菊之助の「車引」・「寺子屋」、松嶋屋親子の『お祭り』

歌舞伎座夜の部を観劇。音羽屋襲名公演観劇の最後となる。相変わらず大入り満員の盛況。国立劇場の歌舞伎観劇教室の入りも良好であったし、沢山の見物衆が劇場に足を運ぶ様になってきている様で、喜ばしい限りだ。歌舞伎を扱った映画「国宝」の評判も上々の様で、その影響も出ているのかもしれない。筆者はまだ未見であるが、歌舞伎が話題になるのは良い事であると思う。

 

幕開きは『元禄花見踊』。明治初期の初演された長唄舞踊だが、初演時の振付記録が残っておらず、その為もあって様々な演出で上演されて来ており、比較的自由度の高い踊りである。今まで筆者が観たこの狂言では、博多座幸四郎が若手花形を率いてがんどう返しを使って踊った時のものが印象的であった。今回の配役は右近の阿国、隼人の山三、廣松・莟玉・玉太郎の元禄の女、男寅・歌之助・左近の元禄の男。若手花形勢揃いで、華やかに昼の部の開幕を告げると云ったところであろうか。

 

今が美しさの盛りである若手花形が揃っているので、兎に角華やかで美しい事この上ない。特に主役を演じた阿国の右近と山三の隼人の連れ舞の美しさは、錦絵から抜け出したかの様。若い乍ら二人とも踊りの基礎がしっかりしているので、舞踊としても見応え充分。他にも元禄の女と男で六人もの若手花形が揃って踊っているので、誰を観て良いものか、目移りして困る位のもの。幕開き狂言に相応しい賑やか且つ華やかな舞踊であったと思う。

 

続いては襲名狂言の上演で、『菅原伝授手習鑑』から「車引」と「寺子屋」。今年は九月に「菅原」の通し狂言が上演される予定なので、一年の内に二度も「車引」と「寺子屋」がかかる事になる。この昼の部では親子揃って音羽屋の家の芸ではなく、母方の家である播磨屋の家の芸である丸本に挑む形となった。そしてまず「車引」であるが、今回の配役は菊之助の梅王丸、鷹之資の松王丸、吉太朗の桜丸、種太郎の杉王丸、又五郎の時平。何と全員が初役との事。

 

少年乍ら大人びた芸を披露して、筆者を常に驚嘆させて来てくれていた菊之助であったが、この梅王丸は流石に無理があった。荒事に挑むと云う事で初日以来力一杯勤めて来たせいであろう、まず声をやってしまっている。声変わり前の少年に対し、少々負荷をかけすぎてしまっていた様に思う。形はしっかりしているものの、ニンではなく力みが目立つ。今菊之助でこの場を出すのであれば、やはり桜丸であったろう。まだこの年齢でニンにない役をさせる必要はなかったのではないだろうか。それでも精一杯役を勤めている姿は、観ていて殆ど感動的でもある。成人の後、改めて挑んで欲しい役であると思う。

 

松王を演じた鷹之資もニンではない。しかししっかりした舞踊の技術に裏打ちされた形の良さと意外にも太々しい科白廻しで、兄貴らしいところをしっかりと見せてくれていて、初役乍ら立派な出来。吉太朗の桜丸は科白廻しが余りにも女形声であり過ぎる。桜丸は女形が演じる事の多い役であるが、女ではない。和事らしい所作は流石と云うところではあったものの、女形から一旦離れた科白廻しを聴かせてほしかった。又五郎の時平は、やはりこの配役の中では格が違う。小柄な優ではあるが、大きく見える立派な国崩し役であった。

 

続いては「寺子屋」。初役で演じた昨年に引き続いての上演。今回の配役は菊五郎の松王丸、愛之助の源蔵、時蔵の千代、萬太郎の玄蕃、精四郎の涎くり、片岡亀蔵の吾作、雀右衛門の戸浪、魁春の園生の前。「車引」とは対照的に初役は精四郎のみで、手練れで脇を固めて盤石の布陣で臨んだと云ったところか。しかも今回は「寺入り」からの上演。この場がついていると、見物衆にはより判り易いと思う。「寺子屋」をかける際にはぜひつけて欲しい場だ。

 

去年菊之助時代の菊五郎が初役でこの松王丸を演じた際には、筆者は些か苦言を呈した。しかし今回の二度目となる松王には、驚かされた。初演時に比べて長足の進歩を見せてくれているのだ。基本的にはニンではない。にも関わらずこの役に相応しい太さと大きさが出てきている。前半の敵役の部分は型に重きがおかれるが、義太夫味もあり、丸本の悪役らしい手強さもしっかりある。この部分が前回より断然良くなっている。机の数が一脚多いと指摘されて狼狽える戸浪を叱責するところも、ここで下手に慌てられて肚が割れてはとの思いを持ちながらの「なにを馬鹿な」の科白が、聴いていて背筋が伸びる程の迫力。首実験で「でかした」を云わないのもこの優なりの見識であろう。これが襲名の魔法と云うものなのかもしれない。勿論努力家の菊五郎なので、じっくりこの役を研究した証なのであろうが。

 

ここが出来れば後段の戻りは芝居の上手い優なので、安心して観ていられる。泣き崩れる千代を叱責する「泣くな」も三度繰り返すごとに調子を変えて、最後は涙交じりなるあたりも抜群の上手さ。小太郎の最期を源蔵から聞かされた時の「笑いましたか」から「健気な奴、立派な奴や九つで」の大落としで泣き崩れる芝居も真に迫って実に見事なもの。「寺入り」がついている事もあり、今回のこの菊五郎の立派な芝居を観ていると、この古風な義太夫狂言は、令和のこの時代に至ってもしっかり見物衆の共感を得られる名狂言であると、改めて実感させられた。

 

脇では愛之助が昨年の上演から引き続いての役で安定感があり、松嶋屋を彷彿とさせる科白廻しが素晴らしい。義太夫味もあり、まずは文句のない出来。時蔵義太夫味と我が子を思う情味を併せ持った千代をしっとりと演じきっており、まだ二度目との事だが、これはもう当代の千代と云っても良いのではないだろうか。雀右衛門の千代と魁春の園生の前は何度も演じており、それぞれ当代最高と云っても良い出来。菊五郎の襲名を支えるべく各優見事な芝居で狂言を盛り上げており、実に素晴らしい「寺子屋」であったと思う。

 

打ち出しは『お祭り』。「元禄」同様こちらも演出や出演役者の数など、比較的自由度の高い狂言。今回は音羽屋の襲名を寿ぐべく、獅子舞も二匹出て来る豪華版。配役は松嶋屋の鳶頭、彦三郎・坂東亀蔵・隼人・歌之助の鳶の者、壱太郎・種之助・米吉・児太郎の手古舞、孝太郎の芸者。加えて右近が、栄寿太夫としてタテの清元を語って襲名に花を添えている。松嶋屋は上方の役者ではあるが、こう云う江戸前の役をさせても全く違和感のないどころか実に粋で鯔背な味を出せる稀有な優。色気と愛嬌もたっぷりで、とても傘寿を過ぎた役者には見えない。孝太郎の芸者も仇な艶があり、こちらも上方役者には見えない。前幕は重い芝居であったが、一転実に明るい気分で劇場を後に出来る結構な狂言立てであった。

 

これで二ヶ月続いた歌舞伎座に於ける音羽屋の襲名公演も終了。菊五郎が襲名を期に一皮むけた大きさを感じさせてくれていたし、菊之助も年齢に似ぬ達者なところを見せてくれた立派な襲名公演であった。これから来年にかけて各所を周る事になるが、都合と財政が許す限りは、観に行きたいと思っている。