続いて歌舞伎座夜の部を観劇。入りは昼の部同様大入り満員の盛況。この夜の部は音羽屋の御曹司二人が揃うと云う事もあってか、ロビーには音羽屋の大女将富司純子さんや、新菊五郎夫人、寺島しのぶさんに加え、成田屋の大女将のお姿も見えて実に華やか。やはり襲名公演は違うなぁと改めて思わされる光景。次の大名跡継承の発表は今のところまだないが、早く勘九郎に勘三郎を継いで欲しいものだと思う。
幕開きは『義経腰越状』から「五斗三番叟」。大坂の陣の事を描いているのだが、当時の徳川将軍家に遠慮と云うか、そのまま芝居化出来る訳もないので、源平時代の話しに変えてある。配役は松緑の兵衛盛次、坂東亀蔵の太郎、種之助の次郎、左近の六郎、権十郎の忠衡、萬壽の義経。萬壽以外は皆初役だと云う。五年前に高麗屋が初役で演じて以来の上演。松緑の祖父亡き二代目松緑の当り役で、それを当代が受け継いだ形だ。
筋として、大した内容のある狂言ではない。義経を陥れる計略を持った太郎・次郎の兄弟が邪魔になる新規採用された軍師兵衛盛次を骨抜きにすめ為に、酒をすすめて酔わせる。その様子を見て呆れた義経は、兵衛を推薦した忠臣忠衡の本心を疑い、兵衛を追い払う様に命じる。やがて酔いから目を覚ました兵衛は太郎・次郎の命で現れた竹田奴を大立ち回りの末打ち据えると云う話である。なので役者芸を見せるだけの芝居と云ってよい。
松緑の兵衛はニンには敵っている。しかし酔う前の人物像があまりに謹直過ぎ、酔った後との段差の様なものが出来てしまっている。五年前に高麗屋が演じた際には、出からもう少し柔らかく、愛嬌味のある人物であった。それがすすめられた酒で徐々に変わって行き、最後は泥酔してしまう。そこの具合が絶妙に上手く、舞台一面に熟柿の香が漂うかの様であった。その点松緑はしらふ→泥酔の流れにグラデーションがあまり感じられない。実際に僅か数分の酒で、飲める人間が眠りこける程酔う訳はないのだが、そこを不自然さもなく演じるのが役者の腕である。最後の竹田奴との大立ち回りは踊りの名手であるこの優らしく、キレのある所作で見事なものであったものの、全体としては大当たりと迄は行かなかった印象。名人高麗屋と比べるのは松緑にとって些か酷であるかもしれないが、紀尾井町の当り役でもある兵衛、今後の精進に期待したい。
休憩を挟んで「口上」。襲名する八代目菊五郎・六代目菊之助を挟んで、ご披露役の七代目、高砂屋、大和屋、松緑、團十郎、楽善が揃い、後方に劇団の役者がずらりと居並ぶ形の口上である。幼馴染でもある團十郎が、若い時に二人が共演した芝居で脇の役者とイキが合わず、終演後孝太郎にこっぴどく叱られたエピソードを披露。高砂屋は自分の子供と八代目及び團十郎が同い年であると述べ、まだ共演がない新菊之助とも今後芝居を一緒にしたいと語っていた。加えて筆者的には劇団の長老楽善の元気な姿が観れたのも嬉しかった。そして八代目が大名跡を継承する重みと覚悟を語り、新菊之助も一層の修練を誓った。見物衆からも盛んな大向うがかかり、観ていて実に気持ちの良い襲名口上であった。
そして襲名狂言の『弁天娘女男白浪』から、「浜松屋見世先の場」より「 滑川土橋の場」までの上演。黙阿弥が五代目菊五郎に宛書し、以来代々音羽屋の当り役として受け継がれてきた名狂言。七代目も菊五郎襲名公演で演じており、当然の様に八代目も襲名狂言として取り上げた。配役は八代目の弁天小僧、團十郎の駄右衛門、松也の力丸、萬太郎の宗太郎、橘太郎の与九郎、片岡亀蔵の悪次郎、松緑の清次、歌六の幸兵衛。中では松也・松緑、そして意外な事に歌六が初役の様だ。
そして今回の八代目菊五郎の弁天小僧が、実に素晴らしい出来であった。菊之助襲名時に初演し、その後何度も演じて来ており、既に定評のある役ではあるが、今回はまた一段と見事であった。音羽屋は世話物の家であり、これが出来なければ話しにならないのだが、七代目の粋で鯔背な江戸っ子、例えば「文七元結」や「芝浜」、「魚屋宗五郎」といった諸役では、まだまだ八代目は及ばない。あの江戸の風が吹き抜ける様な空気感が出せる域には達していないと云うのが、現在のところ筆者の見立てである。しかし肚に一物あり、ただの爽やかな江戸っ子ではない役、例えば「髪結新三」やこの弁天小僧の様な役になると独特の艶があり、八代目独自の味わいがあるのだ。
まず既に高齢となっている七代目に比べ、若く美しい八代目は武家のお嬢様と偽っての出は娘らしさがあるのは年齢故に得をしていると云う部分はある。しかし今までの八代目に比べて更に手の内に入っている感があり、自然でさっぱりており、実に好感が持てる。そして駄右衛門に見顕されての「知らざぁ云って聞かせやしょう」からの長科白が実にテンポが良く、抑揚もしっかりついた聞き惚れる様な名調子。煙管をいじり乍ら云う科白で、役者としてはする事も多い場なのだが段取りめいたところは少しもなく、自然で流れる様な所作。七代目もここは実に見事であったが、八代目も素晴らしい出来であったと思う。
そしてこの場ではもう一つ、駄右衛門を演じた團十郎がこれまた素晴らしい駄右衛門。ニンである事も預かって大きいが、描線の太さ、大きさ、そしてドスの効いた科白廻し。何れも間然とするところのない見事な出来。この二人の名演が、この場を素晴らしいものにしていた。松緑に教えを受けたと云う松也の力丸は、役としては弁天小僧の兄貴分と云う役どころなので、見顕されてからの二人のやり取りではやや貫禄不足を感じさせるところはあったものの、この優らしい科白廻しの上手さで初役らしからぬ立派な出来。松緑が鳶頭清次で花を添えていたのが、襲名らしいごちそうであった。
続いて「稲瀬川勢揃いの場」。配役は菊之助の弁天小僧、新之助の駄右衛門、眞秀の力丸、亀三郎の利平、梅枝の十三郎。音羽屋・萬屋・成田屋の御曹司が勢揃いだ。皆それぞれの出自を感じさせる科白廻しであったが、ここでもやはり菊之助が一頭地抜けていると感じられた。この場は見物衆もこの日一番の沸き方で、大向うが盛んに降り注がれ、大盛り上がりであった。この子達が大人の役者になった暁には、この舞台を観れた事を大いに自慢したいと思う。
大詰は「極楽寺屋根・滑川土橋の場」。配役は八代目が弁天小僧と七郎の二役、團十郎の駄右衛門、片岡亀蔵の次郎、橘太郎の捕手、九團次の吾助実は大須賀五郎、市蔵の三次実は川越三郎、七代目の左衛門藤綱。他の役は判らないが、七代目の左衛門は初役との事。足は不自由の様だが、やはり音羽屋の襲名に七代目が出ないでは寂しい。これは襲名に花を添えるいい配役であったと思う。
ここは特に肚のいる芝居がある場ではない。がんどう返しのある大立ち回りと、「楼門」を思わせる駄右衛門と左衛門のやり取りがあるだけだ。中では大ベテラン橘太郎が、嘗てのうさぎ時代を思わせるトンボを切って、見物衆も大喜び。八代目と市蔵・九團次による大屋根の上での立ち回りも、がんどう返しがあって歌舞伎的見せ場がたっぷり。最後の「滑川土橋の場」に登場した七代目も、動きはない役ではあるが声はしっかりしており、歌舞伎座の大舞台をものともしない朗々とした科白廻しは、七代目菊五郎健在を見せつけてくれており、嬉しかった。
高麗屋の襲名では弁慶こそあったものの、初役に挑む姿勢を見せていた幸四郎と違い、家の芸を中心とした狂言立てであった五月音羽屋襲名公演。逆に来月は親子揃ってニンとは違う松王丸と梅王丸に挑むと云う。去年初役で演じた松王丸は筆者的には今一つと云う印象を持ったが、果たしてどうなるであろうか。播磨屋の芸の継承にも意欲を見せる八代目、その深化に期待したい。