月の後半になってしまったが、音羽屋の襲名公演を観劇。当然の様に大入り満員の盛況。写真にもUPしたが、何故か人力車迄出ていた。今回は高麗屋の様な三代襲名ではなく、当代七代目は菊五郎のままで、菊之助が八代目として菊五郎を襲名し、丑之助が六代目菊之助となる。今後菊五郎を表記する際には、七代目・八代目と書かなければならないだろう。高麗屋と中村屋の不在は残念だが、劇団が総結集し、大和屋・高砂屋・播磨屋・成田屋が揃う大一座。これでワクワクしない芝居好きはいないであろう。その分チケットも高額であったが(泣)。
幕開きは『寿式三番叟』。襲名を寿ぐに相応しい狂言であろう。今回は長唄ではなく、竹本による上演。もっと上演されていると思っていたが、七年ぶりの様だ。前回は幸四郎と松也の競演で、今でも印象に残っている程若々しさが舞台から溢れ出る鮮烈な「三番叟」であった。今回の配役はその松也と歌昇・萬太郎・右近・種之助の三番叟、米吉の附千歳、雀右衛門の千歳、又五郎の翁。松也以外は本公演初役との事。雀右衛門と又五郎が初役と云うのは意外であった。
若手花形による三番叟なので、前回の幸四郎・松也の様な若々しい勢い溢れる三番叟になるのかと思っていたがさに非ず。襲名の幕開きと云う事を意識したと筋書で松也が語っていたが、厳かな雰囲気のある「三番叟」。加えて雀右衛門初役の千歳が流石の位取りと気品を湛えた素晴らしい踊りで、ベテランらしいところを見せつけており、五穀豊穣を祈り、音羽屋の襲名を寿ぐに相応しい見事な「三番叟」であったと思う。
続いては歌舞伎十八番の筆頭演目『勧進帳』。配役は團十郎の弁慶、松也・歌昇・鷹之資・男女蔵の四天王、高砂屋の義経、新菊五郎の富樫。富樫は確かに大役ではあるが、『勧進帳』の主役はあくまでも弁慶である。襲名の主役が襲名公演に脇で出るのは極めて異例であろう。仄聞したところによると、新菊五郎たっての希望で実現した上演であると云う。團十郎・新菊五郎の組み合わせによる『勧進帳』は十一年ぶり、團菊による『勧進帳』は十五年ぶりの様だ。ある意味歴史的な上演であると思う。
菊五郎の富樫はニンにも適っている上にこの優らしい品格があり、詰め寄りでもあくまで松羽目物としての格調を保った現代では珍しい古風な富樫。対する團十郎の弁慶はこれまたこの優らしい荒事味を基調とする力感溢れるもの。出からノットのあたり迄は、今までの上演に比べてより抑制された芝居を見せている。そこから読み上げにかかり、富樫との「山伏問答」に至るところは徐々に力感が増して来て、菊五郎富樫との間を詰めたやり取りは迫力充分。大きなクライマックスを形成している。
一旦通行を許される弁慶一行だが、合力が義経に似ていると疑われ、押しとどめられる。ここで團十郎弁慶が裂ぱくの気迫をもって義経を打擲する。それを見た菊五郎富樫の「判官殿にもなき人を、疑えばこそかく折檻もし給うなれ」の涙交じりの科白は、弁慶の思いを受けて全てを察した富樫の気持ちがしっかりとこもっており、観ているこちらの気持ちを大きく揺さぶらずにはおかない。続く「判官御手を」の件りでは、高砂屋が如何にも源家の御曹司らしい見事な流石の位取りを見せてくれており、恐懼する弁慶との芝居はもう一つの見せ場となっている。
富樫二度目の出から「延年の舞」となり、扇で合図をして義経一行を先に立たせる。幕が引かれ、一人花道に残った弁慶の豪快な飛び六法での引っ込みに至る迄は、如何にも團十郎らしい荒事味に溢れており、これぞ成田屋の弁慶とも云うべき見事なものだ。これから何度も見せてくれるであろう令和の團菊による『勧進帳』。脇に回ってでも何としても襲名公演で團十郎相手に演じたかった菊五郎の熱い思いが溢れる、素晴らしい狂言であった。
続いては『三人吉三巴白浪』から「大川端庚申塚の場」。芝居好きなら皆さんご存じ、黙阿弥の傑作中の傑作狂言である。配役は時蔵のお嬢、彦三郎のお坊、錦之助の和尚、莟玉のおとせ。中では彦三郎が初役である。今月の公演では時蔵はこの一役で新菊五郎との共演がないのは残念だが、その分音羽屋代々の当り狂言であるこの芝居で主役を勤めさせていると云う事なのであろう。
長い狂言だが今回はこの場のみなので、兎に角役者が黙阿弥調とどう対峙するかと云う点にかかっていると云って良いであろう。時蔵のお嬢は女形が演じるこの役らしく、出のお嬢様から盗人への替り目が鮮やかで、見物衆も沸いていた。そしておとせを突き落としての「月も朧に」からの長科白。ここは時蔵自身が非常に意識しながらしゃべっているのが判る。気持ちよく酔いしれて謳い飛ばすのではなく、腰を落としてきっちりとした科白廻し。だからと云って黙阿弥調が削がれている訳ではない。謳うと云うより語る方に主眼が置かれてはいるが、七五調の輪郭をくっきりと浮かび上がらせる事に成功しているのだ。同じ若手でも四年前に観た右近は見事に謳っていたが、時蔵は語り乍らも黙阿弥調を損なわないところが素晴らしい。これは一つの黙阿弥解釈であると思う。
彦三郎初役のお坊は基本的にニンではない。この優はこの三役の中なら和尚であろう。声は素晴らしい優なので、科白廻しはきっちりしたものである。しかしお坊に必要な色気に欠けている。そしてお坊は盗人ではあるものの、やはり二枚目役である。彦三郎のお坊は盗人=悪人と云う方に比重がかかっており、ドスが効き過ぎているのだ。ニンとしては錦之助の方がお坊に向いているとは思う。しかしこの三人の組み合わせなら、貫禄的に和尚に回るのは致し方ないのであろう。流石にこの中では兄貴株のところを見せてくれていた。
打ち出しは『京鹿子娘道成寺』。最後にいよいよ襲名狂言である。しかも今回は三十三年前に亡き梅幸・七代目菊五郎・当時の丑之助の三代で踊った時以来の三人道成寺である。配役は大和屋・新菊五郎・新菊之助の花子、そして友右衛門・萬次郎・権十郎・門之助・彦三郎・坂東亀蔵他の襲名狂言らしい豪華な所化である。大和屋と菊五郎は何度も踊っている狂言だが、この長唄女形舞踊の大曲に三人の一人とは云え、新菊之助が初役で挑む形となった。
三人で踊る形なので、一人で踊る時の様な狂言としての一貫性は出ないし、狙ってもいないであろう。すっぽんからせり上がるのは菊五郎と菊之助の二人。花道で道行を踊ると菊之助はせり下がり、菊五郎が一人で舞台に廻って所化とのやり取りとなる。一旦引っ込んだ後に紅白幕が上がり、ここで初めて三人が揃い鐘づくし。その後大和屋と菊五郎が引っ込んで、菊之助が一人で「花笠」を踊ると云った具合である。一番の見せ場である「恋の手習」は菊五郎が一人で踊り、途中から大和屋が加わる。「山尽くし」は大和屋と菊五郎が二人で踊り、途中から菊五郎が引っ込んで大和屋一人の手踊りとなる。最後は三人が揃って鐘に上り、極まって幕となった。
菊五郎の花子は既に定評があるが、年長の大和屋と比べてもより古風な踊りである。大和屋の花子が何度も踊る内に、自らのテンペラメントに則し、練り上げた技術を通して踊りの中で花子の思いを語らしめるのに対し、菊五郎は一つの所作を咀嚼し、感じ乍ら踊る。その一つ一つの所作の積み重ねが、鐘への妄執を見物衆に感じさせる事となる。狂言に対するその姿勢は菊之助に確実に受け継がれており、この優がまだ年若なのにも関わらず、役の性根を理解して演じ踊っている事に、筆者は常々感心して来た。これは本人の天稟に加え、菊五郎の薫陶宜しきを得ていると云う事なのであろうと思う。
兎に角三人花子なので、その絢爛豪華さは比類がない。襲名に相応しい狂言であったと思う。「花笠」を一人で踊る所作一つを観ても、新菊之助の将来性に疑いをさしはさむ余地は全くない。新菊五郎を観ると云う意味では、単独主演狂言が一つもなかったのは些か寂しいが、襲名を期に團十郎や幸四郎・松緑らと競い合って、より大きな花を咲かせて行ってくれる事であろう。音羽屋襲名のお約束狂言である「弁天小僧」がかかる夜の部の感想は、また別項にて綴る事としたい。