fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

猿翁逝く・・・

先日、悲しいニュースが飛び込んできた。かねて療養中だった猿翁が亡くなった。八十三歳だった。残念でならない。大体男性の平均寿命くらいだろうから、歳に大きな不足はないと云えばそうかもしれないが、あの事件がなければ・・・とつい考えてしまう。痛恨の極みだ。

 

猿翁と云えば、云わずと知れた歌舞伎界の革命児。大掛かりな宙乗りを取り入れたスーパー歌舞伎を作り出し、五千回も飛んだ事はギネスにも記録されていると云う。筆者は個人的にスーパー歌舞伎と歌舞伎は別物と考えてはいるが、歌舞伎と云う演劇の一つの側面の可能性を大きく広げ、「ここまでやってもいいんだ」と認識させた功績は極めて大きい。亡き勘三郎の「何でも歌舞伎役者がやれば歌舞伎だよ」と云う発言も、猿翁のスーパー歌舞伎を踏まえてのものだろう。

 

しかしそのスーパー歌舞伎を可能にしたのも、猿翁が長年に渉って積み上げてきた本格的な歌舞伎の技術があったればこそである。「四の切」に宙乗りを取り入れて澤瀉屋型を創出出来たのも、圧倒的な技術に裏打ちされていたからである。演出を派手にしても、役の性根は外さない。であるからこそ、あの名作「伊達の十役」も生まれたのだと思う。筆者はこの「伊達の十役」こそ、猿翁の最高傑作だと思っている。大変な芝居だが、幸四郎團十郎が引き継でおり、今後も上演され続けて行くだろう。ぜひ近い内に歌舞伎座で追悼公演として上演して貰いたいものだ。

 

私生活でも藤間紫浜木綿子、そして中車との関係は非常にドラマチックで、正に「真実は小説よりも奇なり」であった。しかし今にして思えば、中車が歌舞伎界に戻ってきてくれていて、本当に良かった。亡き藤間紫の力は大きいと思う。増々大変な事になってしまった澤瀉屋だが、中車を中心に結束し、猿翁が安らかに眠れる様、頑張って行って欲しい。幸い一門には猿翁が手塩にかけた猿弥・笑也・笑三郎・雪之丞・緑郎と云う手練れが揃っている。猿之助にも何とか早く復帰して貰い、猿翁が大きくした澤瀉屋を守り続けて欲しい。幸い團子と云う立派な後継者もいる。澤瀉屋の未来は確かなものとしてそこにある、と筆者は考えている。

 

いずれにしても、今はただ猿翁の御霊の安らかならん事を祈るのみである。本当に凄い八十三年間だったと思う。常識や慣習と戦い続けた猿翁の一生に、改めて敬意を表したい。合掌。。。