fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

六月大歌舞伎 中車・壱太郎の「吃又」、芝翫・松緑の『児雷也』、福助と若手花形の『扇獅子』

歌舞伎座昼の部を観劇。二階席に若干空席は見られたが、一階・三階は満席。松竹さんもほっと一息と云ったところか。猿之助事件があったので、「吃又」のおとくが壱太郎に代わり、初役の中車はどんな思いなのだろうか。しかし中車が歌舞伎座で古典の出し物をするのは、多分初めてだろう。今後の澤瀉屋は中車が牽引して行くしかない。重圧は大変なものだろうが、頑張って欲しいものだ。

 

幕開きはその「吃又」。今回は五十三年ぶりに「浮世又平住家」が付く。勿論筆者は初めて観る場だ。配役は中車の又平、壱太郎のおとく、團子の修理之助、歌昇雅楽之助、寿猿のお百、米吉の銀杏の前、新吾・猿弥・笑也・青虎の大津絵、男女蔵の伴左衛門、歌六の光信と云う配役。中車・團子・歌昇は初役、「浮世又平住家」の役者も当然初役だ。中では寿猿が科白も所作も多いお百で大健闘。足のせいだろうと思うが、二重から降りずに芝居をしていたが、元気なところを見せてくれたのは嬉しかった。

 

今回の「吃又」は澤瀉屋型らしい。通常は虎騒ぎがあって、修理之助が見事虎をかき消したのに感心した百姓達が引き上げるのとすれ違う様に、又平夫婦が花道を出て来る。しかし今度の澤瀉屋型は先に夫婦の出があって、その後に虎騒ぎがある。芝居としては、百姓達が口々に修理之助を褒めそやしているのを又平が気にする思い入れが花道であるのだが、当然それはなくなる。しかし虎をかき消した修理之助が土佐の苗字を許されるのを目の前で見る事になり、その分弟弟子に肩を越された又平の口惜しさが感じられる。どちらが良いと云うのではなく、どちらにもそれぞれの良さがあり、猿翁が筋書きで「色々な型がある事は歌舞伎にとって大切な事」と云っているが、その通りだと思う。

 

その他通常の型との違いは、将監の北の方が出ず下女のお百に代わっている。又平への憐みと優しさを感じさせる北の方の芝居がなくなるのは残念だが、通常の歌舞伎の行き方に沿って下女にしたと云う事だろう。途中に多少の違いはあるが、その他大きな違いとしては、最後が又平夫婦の幕外の引っ込みになっている事。これは関西の成駒家型と同様の行き方だ。筆者としてはこの方が好みである。猿翁曰く、初代猿翁と六代目の型のいいとこ取りだと云う。

 

そして又平の中車。元々芝居の上手い優。全体的にリアルな行き方で、歌舞伎味は若干薄口だが、役が肚に入っている。歌舞伎座で古典の出し物をするのに多少の遠慮があるのか序盤やや抑えめの芝居で入る。しかしその抑えめが又平の演技に短調的な調べをもたらし、将監から土佐の苗字を名乗る事を許されない哀しみが客席にもしっかり伝わる。そして銀杏の前救出の役目すら修理之助に奪われ「殺せっ」と迫るところはこの優らしい迫真の演技。これがこの世の最後と描いた絵が手水鉢を抜けた時の驚き、それを見た将監に土佐の苗字を名乗る事を許された喜びと、感情の動きも見事に表現されている。初演としては、まず文句のない出来であったと思う。

 

猿之助の代役壱太郎のおとくは、以前浅草で巳之助相手に一度勤めている役。若手らしからぬ上手さに加えて、義太夫味もある。猿之助ならもっとアクの強さを出して、いかにもしっかり者の仕切り屋的雰囲気を出したろうと思うが、壱太郎は夫に寄り添うテイストがある。同じ関西系の扇雀にやや近い感じだろうか。歌六の将監は、貫禄十分。左團次が亡くなり、楽善も万全ではない昨今、義太夫狂言のこう云う役どころはもう完全にこの優のものだろう。歌昇雅楽之助は、きっぱりとした所作によく通る科白回しと、まずは文句なし。團子の修理之助もすっきりとしており、観ていて実に清々しい若衆ぶり。中車に足りない義太夫味を葵太夫の竹本がしっかりサポート。今は大変な澤瀉屋だが、各優の奮闘ぶりが印象的で立派な「吃又」であった。

 

続く五十三年ぶりと云う「浮世又平住家」。前幕では又平の描いた絵は手水鉢を抜けたが、この幕では襖を抜け出て踊りだす。新吾・笑也・青虎・猿弥がそれぞれ見事な舞踊の腕を披露して、実に賑やかで楽しい場。前幕との物語的な繋がりの整合性には欠けるが、これも歌舞伎だ。軍兵相手の慣れない所作ダテで中車が奮闘、最後は役者達が舞台に揃っての切口上で幕となった。

 

続いては黙阿弥作の『児雷也』。歌舞伎座でかかるのは何とほぼ六十年ぶりだと云う。筆者も生で観劇するのは初めての演目。芝翫児雷也松緑の夜叉五郎、橋之助の勇美之助、松江の仙素道人、孝太郎の越路実は綱手と云う配役。三十分程の狂言なので、筋を見せるより役者を見せる芝居。芝翫は花道を出てきたところ、流石に大きく、こう云う骨太な役どころは、播磨屋既に亡く、高麗屋も高齢となった当代では、まず無双だろう。松緑橋之助芝翫を向こうに廻してのだんまりで、達者なところを見せる。孝太郎は相変わらず水際立った技巧で、文句のない出来。各優、見事な役者ぶりを披露してくれた狂言だった。

 

打ち出しは『扇獅子』。当初は音羽屋と左團次の『夕顔棚』だったが、左團次の急逝で変更となった。明治の時代に作られた清元舞踊。通常は鳶頭が出るが、今回は福助・壱太郎・新吾・種之助・米吉・児太郎と芸者に扮する女形のみと云う変わった形。福助はやはり右半身が不自由そうだが、その貫禄は流石。復帰後清元と共演するのも、今年歌舞伎座に出演するのも初めてとの事だが、体調さえ許すならもっと頻繁に出て貰いたいものだ。そして若手花形揃っての踊りは実に華やかで、見応えたっぷり。老練な女形も勿論良いが、若手花形の女形ぶりも美しく、これもまた良いものだ。最後を舞踊で〆る狂言立ても筆者好みで、浮き浮きした晴れやかな気分になる。浮世の嫌な事を一時忘れさせてくれるいい舞踊だった。

 

松嶋屋松緑と揃う歌舞伎座夜の部については、観劇後また改めて綴りたい。