fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

壽 初春大歌舞伎 第三部 猿弥+浅草組の『岩戸の景清』、猿之助の「四の切」

コロナの拡大に歯止めがかからず、今日から遂に蔓延防止法が発令される事となってしまった。取り敢えず三週間強の適用との事だが、果たしてそれで収まるのか・・・下火にならなければ、更に緊急事態宣言と云う可能性もあるだろう。高齢者へのワクチン接種が始まる様だが、またワクチンとコロナの追っかけっこになる。これでは中々歌舞伎座も満員で、大向うも解禁とは行く訳もなく、本当に歯がゆい。

 

今月残された歌舞伎座三部を観劇。松也が濃厚接触者に指定され、休演。代役は猿弥が勤めた。代役とは云え歌舞伎座で出し物を出来る猿弥、松也の分までと気合も入っているだろう。幕開きはその『岩戸の景清』。猿弥の景清、巳之助の時政、歌昇の重忠、種之助の義時、隼人の義盛、莟玉の常胤、米吉の衣笠、新悟の朝日と云う配役。今年も浅草公会堂での花形歌舞伎がないので、浅草組が歌舞伎座に勢揃いした形だ。

 

元は江戸所払いになっていた七世團十郎が、久々に江戸の芝居に出る事になった際に黙阿弥が当て書した作品の様だ。それを書き換えて令和の時代に上演。前回は昭和五十三年の国立だった様なので、歌舞伎座では初演となる。天照大神の天の岩戸神話を源平合戦時代にして、景清に直した狂言。いかにも歌舞伎らしい作品だ。

 

天の岩戸神話に基づいているので、岩戸に閉じこもっている景清を引きずり出す為に、各人がそれぞれ岩戸の前で舞いを披露する。米吉と新悟の舞いは美しく、いかにも若手花形らしい舞踊。そして種之助がニンにない荒事系の義時で意外な力強さを見せる。そして岩戸を義時がこじ開けて、いよいよ猿弥の景清が登場。所持していた名刀小鳥丸を景清が鞘に納めると辺りは暗闇になり、うち揃ってのだんまりとなる。

 

このだんまりが狂言の眼目なのだが、これが少々残念なだんまり。演者がだんまりと云うものを理解出来ていないのではないか。だんまりの基本はやはり舞踊にあり、しっかり腰が落ちていなければならない。芸達者な猿弥ですら腰が浮いている。その状態で演者全員が暗がりをうろうろしている感じになってしまっているのだ。これでは言葉は悪いが「どらえもん」ののび太が眼鏡を探している様な態になってしまう。少々厳しい云い方だが、正直な感想である。

 

だんまりでは精彩を欠いた猿弥だが、花道での六法は流石と思わせる。指先に迄しっかり神経が行き届いており、力感も充分。荒事ではあるがこの優独特の愛嬌も滲んで、気持ちのいい幕切れとなった。脇では歌昇の科白廻しがしっかり歌舞伎調になっており、声の通りも良く他の役者を一頭地抜いたものであったのが印象に残った。

 

打ち出しは『義経千本桜』から「四の切」。猿之助の狐忠信、雀右衛門静御前、門之助の義経、猿弥の次郎、弘太郎の六郎、笑也の飛鳥、東蔵の法眼と云う配役。云わずと知れた猿之助の十八番中の十八番。叔父猿翁が練り上げた澤瀉屋型での上演。当然のごとく素晴らしい舞台となった。

 

まず科白廻しが以前より義太夫味が増しており、一聴これは素晴らしい舞台になると確信させられる。竹本のイトに乗る所作も申し分なく、六年ぶりに歌舞伎座で「四の切」を演じられた上に宙乗りも解禁とあって、気合も入っていたのだろう。本物の忠信の時のキッパリとした所作、狐忠信の情味溢れる芝居、メリハリのある見事な演技で、当代これほどの狐忠信はないと思わせるに充分な出来。「四の切」の型としては大きく音羽屋型と澤瀉屋型があり、この二つは良し悪しを比べるものではないとは思う。なので音羽屋型で演じる場合は兎も角としても、澤瀉屋型でまずこれ以上の狐忠信は考えられないだろうと思う。現状では。

 

現状ではと云うのは、今回の素晴らしい「四の切」で筆者が唯一気になったのは親鼓との別れの場だ。ここで猿之助の狐忠信は、子狐としての情が爆発し舞台上で悶絶する。勿論ここでは誰でもそうする。しかし今回の狐忠信はあまりにエモーショナルで、義太夫狂言の矩を超えてしまっている様に思えた。舞台を観た時は圧倒され感動もしたのだが、振り返って思い出してみると、あれは義太夫狂言としては少々行き過ぎた感情表現だったのではないかと思えて来た。

 

これは多分猿之助がまだ若く、身体が動くせいもあるだろう。早替りの鮮やかさは年齢と共にもしかたしら鈍くなっていくかもしれない。しかし猿之助が五十も過ぎて還暦にさしかかり、言葉の真の意味での円熟味を手に入れた時、この別れの場はまた一味違って、もう一段深みを増したものになるのではないか。大きな所作で大きく感情表現するだけではない、新たな狐忠信像を構築して見せてくれるのではないか。数はごく少ないが時代を代表する名人役者は、一旦極めたと思えるその先にまた一段深い芸境がある事を、見せてくれた例があるからだ。もしかしたらこの狂言における猿之助は、そんな数少ない役者になれるのではあるまいか。筆者は今からそれを勝手に楽しみにしている。

 

脇では雀右衛門東蔵がこれぞ大歌舞伎とも云うべき流石の出来。ことに雀右衛門は以前より少し細っそりした印象で美しさも申し分なく、科白廻しは義太夫味に溢れ、所作は見事にイトに乗りこれぞ当代の静御前。大和屋でもこうは行かないだろう。この優一代の傑作であったと思う。加えて主演の景清では今一つ精彩がなかった猿弥の駿河次郎が、この優らしい力強い科白廻しと所作で目につく出来。市川猿弥、やはり野に置け蓮華草と云ったところだろうか(失礼)。

 

ともあれ歌舞伎座で久方ぶり澤瀉屋型の「四の切」を堪能させて貰った。筆者は三階席で観劇したので、宙乗りで三階席後方に入って行く猿之助の狐忠信を間近に観る事が出来、大いに感動。見物衆も沸きに沸いて、盛り上がりを見せた歌舞伎座第三部だった。