fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

七月大歌舞伎 第一部 中車・松緑の『あんまと泥棒』、猿之助・松緑の『蜘蛛の絲宿直噺』

歌舞伎座第一部を観劇。三部程ではないが、入りは良好。やはり「半沢」に出ていた中車、猿之助が出ると云うのが大きいのだろうか。歌舞伎役者も知られてナンボみたいなところはある。最近バラエティで猿之助幸四郎をよく見かける。より多くの人に歌舞伎役者を知って貰い、劇場に足を運んで貰える様にする必要はあるのだろう。観れば絶対に面白いのだから。

 

幕開きは『あんまと泥棒』。作者は筆者の大好きな長谷川伸の愛弟子村上元三。元はラジオ劇だったらしい。中車の秀の市、松緑の権太郎と云う配役。三年前にも同じ組み合わせで観ているが、今回は更に仕上がっている印象。

 

筋書によると、中車は中村嘉葎雄が演じたものを手本にしていると云う。中村嘉葎雄は云わずとしれた萬屋錦之介の弟で、今の時蔵歌六の叔父に当たる人だ。歌舞伎からは離れてしまったが、名優である事は疑いがない。現代劇、時代劇何でもござれの優だ。ただ三十年程前に歌六の権太郎相手に歌舞伎座で勤めているらしい。これは想像だが、昔歌舞伎座で上演されていた萬屋錦之介を座頭にした芝居の時ではないだろうか。

 

今回の中車は、前回よりも力が抜けていると云うか、実に自然体の芝居だ。無理に歌舞伎に寄せようとしていない。そこを喰い足りないと見る向きもあるかもしれないが、こう云う狂言なので、筆者は良いと思う。そしてこう云う芝居の方が、中車には合っている。そして大袈裟な表現を避けており、無理に受けようとはしていない。あまり受けないと云う劇評もあったが、当然だろう。当人達が特に受けようと思ってやっていないのだから。しかし客席からはごく自然な笑いが出ていて、これは中車の狙い通りなのではないかと思う。

 

歌舞伎味は権太郎の松緑が一手に引き受けている。暗い家に忍び入って来るところ、秀の市に窘められて退散するところなどの動きや形は正に世話の味。凄んではいてもどこか抜けている権太郎を、松緑もさらりと演じて実にいい味を出している。二度目の共演と云う事もあって両者のイキも合い、これはこれからも二人で当たり役として演じ続けて行くのではないかと思う。今度この二人で以前中車が半太郎を演じた長谷川伸の『刺青奇偶』あたりを観てみたいものだ。松緑は鮫の政五郎に合っていると思う。

 

打ち出しは『蜘蛛の絲宿直噺』を去年に引き続いての上演。猿之助が五役早替りで勤め、梅玉の頼光、坂東亀蔵の金時、福之助の貞光、笑三郎の八重菊、笑也の桐の谷、中車の綱、そして今回は押し戻しで松緑の保昌と云う配役。去年の時と福之助・笑三郎・笑也以外は変っている。立て続けに演じているのに、これだけ配役が変わるのも珍しいのではないか。

 

これも去年より更に磨きがかかっている。幕開きで澤瀉屋を支える二大女形笑三郎と笑也が状況説明。時代物の科白廻しでコロナネタをぶっこんで来て、場内が大いに沸く。負けじと猿之助が五役の内の一つ彦平でコロナネタで返す。猿之助のサービス精神が見事に発揮されて、実に愉快だ。古典を元にはしていても、実質新作みたいのものだから、こう云う場があっても良いだろう。そんなチャリ場だけでなく、笑三郎・笑也と三人揃っての手踊りがまた素晴らしいもので、澤瀉屋の実力をまざまざと見せつけてくれる。

 

去年の上演でもそうだったが、猿之助五役の内で一番良いのは番新八重里。仇な雰囲気でのくどきは実に艶っぽく、見応え充分。早替りも鮮やかで、猿之助の良いところを集めた様な狂言になっている。そして前回は隼人だった頼光が今回は梅玉。流石の位取りと貫禄、そして古希を過ぎてはいても艶があり、梅玉が出るだけで舞台がしまる。年輪に裏打ちされた芸は伊達ではない。

 

そして前回ではなかった松緑演じる保昌の押し戻しがまた実に素晴らしい。この優の荒事は海老蔵のそれとはまた違って、実に古格な味わいがある。決まったところの顔の小ささは身体的なもので是非もないが、そんなに身長があるとは思えない松緑が大きく見える。海老蔵の荒事が令和の荒事とすれば、松緑のそれは昭和以前の古い味わいを残したもの。現代においてこれは貴重だと思う。これが幕切れにあるとなしとでは、芝居全体の印象が全然違ったものになる。この狂言を上演する際には、ぜひ今後もこの押し戻しを付けて貰いたいものだ。

 

地味な二人芝居と、千筋の糸を出しながら決まって幕となる派手な舞踊劇と、対照的な狂言の組み合わせとなった第一部。大いに楽しませて貰った。

 

残る歌舞伎座二部は、また別項にて。