fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

壽 初春大歌舞伎 第二部 梅玉・魁春・芝翫・又五郎・鴈治郎の『春の寿』、幸四郎の『艪清の夢』

コロナが凄い勢いを見せて来ている。歌舞伎界も虎之介が感染。14日の一部が中止になり、扇雀七之助成駒屋三兄弟が休演。三部で主役を勤めている松也も濃厚接触者と認定され休演で猿弥が代役となった。筆者はまだ三部を観劇していないので、多分猿弥バーシーョンを観る事になるだろう。猿弥が歌舞伎座で主演する事はあまりないのでその意味では貴重だが、そんな悠長な事を云っている場合ではない。これ以上感染が拡大しない事を祈るばかりだ。

 

そんな中歌舞伎座二部を観劇。一部程ではなかったが、そこそこの入りと云った感じ。『艪清の夢』がメジャーな狂言ではなかったので、ワリを喰ったのかもしれない。しかし新年らしい喜劇で見物衆のウケも良く、盛り上がりを見せていた。

 

幕開きは『春の寿』。新年はやはりこれと云った感じの「三番叟」と、「萬歳」の組み合わせ。梅玉の翁、魁春の千歳、芝翫の三番叟、又五郎の萬歳、鴈治郎の才造と云う配役。ベテランの芸達者を揃えて新年を寿ぐ舞踊二題だ。芝翫は二年前にも正月公演で魁春とやはり『舌出三番叟』を踊っていた。松竹は正月の芝翫は三番叟と考えているのだろうか(苦笑)。

 

梅玉の翁と魁春の千歳は、確かな技巧と気品で流石の位取りを見せる。この三人の中では一番歳若な芝翫が、大家の風格を漂わせて風情ある三番叟を披露。新年に相応しい品格溢れる舞踊で、実に結構な出来。ただやはり折角芝翫が出るのなら、時代物が観てみたかった。続く又五郎鴈治郎の「萬歳」も流石に年功の技で上手い。しかし二人ともきっちりし過ぎて、「萬歳」の剽げた軽さと面白味が希薄。この狂言はもっとくだけていて良いのではないだろうか。

 

打ち出しは『艪清の夢』。桜田治助の作で長く埋もれていたのを、亡き宗十郎紀伊國屋が自主公演で復活させ、それを元に幸四郎が八年前に改めて本公演で上演した作品。筆者はその際には観ていないので、今回初めて観劇。幸四郎の清吉、孝太郎がおちょうと梅ケ枝の二役、錦之助が伴蔵と唯九郎の二役、壱太郎のお臼、高麗蔵の内侍、友右衛門が黒八・作左衛門の二役、歌六が六右衛門と善右衛門の二役と云う配役。コロナ禍の影響か、二役を兼ねている役者が多い。

 

芝居としての筋は大したものではない。中国の故事に準拠した作品で、借金まみれで夫婦揃って夜逃げして来た清吉が、仕える主人の為に探し求めていた聖徳太子の一軸をそれと知らずに枕にして眠る。その夢物語のお話しだ。他愛もない筋だが、金に窮している清吉が夢の中では周りからどんどんお金を使えと命じられる。金は大阪の富商鶴の池善右衛門からふんだんに渡されているのだが、使えと云われてもそんなに使えるものではない。なくても困り、あっても困る。金とは一体何なのかと云う諷刺が効いており、只の喜劇には終わらせていないのがミソ。

 

その中に「忠臣蔵」や「吉田屋」のパロディが含まれており、役者がそれぞれ芸を披歴する場が設けられている。中ではやはり幸四郎の「吉田屋」の場が、短いながら素晴らしい。ニンでもあり、艶もあり、当世これだけの佇まいを見せられる二枚目役者はいないだろう。唯一人、松嶋屋を除いては。

 

脇では錦之助が美人局を仕掛けられる伴蔵と、「山崎街道」の定九郎のパロディ唯九郎の二役で大奮闘。二枚目役者の錦之助が三枚目の伴蔵をコミカルに演じ、唯九郎では着物を脱いだ下着姿でドリフの髭ダンス迄披露する大サービス。ご当人も楽しんで演じている様が伝わり、笑わせて貰った。ただ何で今髭ダンスなのだろうとは思ったが(苦笑)。

 

最後は夢から醒めて、枕にしていた物が探し求めていた聖徳太子の一軸だと判明して、めでたしめでたし。正月公演らしく賑やかに幕となる。何と云う事もない筋立てではあるが、こちらも何も考える必要もなく、楽しませて貰えた一幕。肚のいる芝居はまた改めてと云う事だろう。見物衆も沸いていて、桜田治助の埋もれていた狂言歌舞伎座初演としては、まず成功だったのではないか。

 

この後は松也休演の歌舞伎座三部と劇団の国立。去年の初春国立は行けなかったので、二年分楽しみたいものだ。とにかく感染者が拡大しない事を祈りたい。