fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

三月大歌舞伎 第一部 猿之助・中車・笑也の『新・三国志』

歌舞伎座一部を観劇。こちらも二部同様大入りとまではいかないが、かなりいい入り。猿之助・中車と揃えばまぁそれも当然か。遂にスーパー歌舞伎歌舞伎座にお目見え。療養中の猿翁も感慨深いのではないだろうか。だが誰に遠慮したものか、「スーパー歌舞伎」とは銘打たれていない。スーパー歌舞伎の要素である3Sの内、スペクタクルの要素が今の規制下では出来ないからと云う事らしいが、中身はどう見てもスーパー歌舞伎。筆者はスーパー歌舞伎は専門外(?)なので詳細な記述はしないが、歴史的な上演だと思う。

 

猿之助関羽、中車の張飛、笑也の劉備尾上右近の香溪、福之助の孫権、團子の関平、弘太郎改め青虎の孔明浅野和之(!)の曹操、門之助の呉国太と云う配役。新橋演舞場なら兎も角、歌舞伎座浅野和之を起用、しかも曹操に配するとは流石猿之助。浅野自身も筋書で「まさか自分が歌舞伎座に出演するなど、まったく思いもよらないこと」と発言していた。正直な感想であろう。

 

元が四時間以上ある作品を、例によって二時間強に短縮している。よって肚のいる芝居にはならない。これは致し方ないだろう。兎に角今の規制下で何が出来るのかと云う挑戦と云うか試行錯誤を続けている猿之助。しかし見物衆を喜ばすエンターテイナーとしての姿勢は崩さない。最後の宙乗りは大盛り上がりだった。

 

筆者にとってスーパー歌舞伎は歌舞伎ではない。これは個人的な嗜好の問題なので致し方ない。下座音楽はないし、科白廻しも現代劇に近く、歌舞伎調ではない。従来の歌舞伎の枠組みを取り払う事で作り上げたスーパー歌舞伎なので、猿翁も猿之助もそんな事は百も承知だろう。かと云って先々代松緑が「サーカス」と揶揄した様な気持ちも毛頭ない。演劇としては充分楽しめるものだからだ。

 

意外な事に猿之助関羽は初役だと云う。しかし希代のエンターテイナー猿之助には、そんな事は問題なかった。芸風的に関羽の大きさを出すと云うより、義に厚く何より民の事を考える篤実な政治家としての側面が強調されている。劉備が女性であると云う設定なので、二人の恋愛模様もしっかり、しかし必要以上にベトつかず描かれていて、後味も良い。

 

そして普段の歌舞伎だと若干遠慮気味の側面がある中車が、これなら俺のテリトリーとばかり生き生きとしていて、演技派らしいところを見せてくれる。ただいつの間にかあっさり死んでしまっていて、そこは肩透かし感がある。暴れん坊の張飛なので、最期は大立ち回りを見せて欲しかった。

 

笑也の劉備は初演以来の持ち役。この優に加えて、今までの上演では登場しなかった呉国太に門之助を起用。これが非常に手強い出来で、この二人が芝居に歌舞伎味を加えていて、実に良かった。浅野和之はアウェーの歌舞伎座乍ら流石に手堅い芝居を見せてくれてはいるが、何せ役が曹操三国志の中でも希代の悪役として登場する人物なので、もう一つ手強く、そして大きさも出して欲しいところではあった。

 

三国志』を歌舞伎座に持ってきたと云う事は、将来的に『ヤマトタケル』や『オグリ』の上演もあるかもしれない。今後も猿之助の動向からは目が離せないっと云ったところか。猿之助に負けじと幸四郎宙乗りで五右衛門を演じる三部は、観劇後また改めて綴りたい。