fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

歌舞伎座 八月納涼歌舞伎 第二部 幸四郎・勘九郎・獅童の『新門辰五郎』、巳之助・児太郎の『団子売』

歌舞伎座二部を観劇。平日にも関わらず、一部同様満席に近い入り。夏休みと云う事もあるだろうが、猿之助不在でもお客が入るのは嬉しい事だ。云っても詮無い事だが、これで猿之助がいれば・・・改めて無念の思いがつのる。現在起訴中の猿之助だが、何とか執行猶予がついて早く戻って来て欲しい。それが亡くなったご両親への、何よりの供養となるはずである。

 

幕開きは『新門辰五郎』。筆者の大好きな真山青果の作。四十七年ぶりの上演との事で、当然筆者は初めて観る狂言。主演の三人も映像以外では観た事がないだろう。配役は幸四郎の辰五郎、勘九郎小鉄七之助の八重菊、男女蔵の定五郎、新吾のお六、錦吾の万兵衛、猿弥の源次、片岡亀蔵の弥太吉、隼人の彦造、獅童の実久、歌六の勇五郎。それに加えて橋之助・福之助・歌之助・虎之介・染五郎ら若手花形が脇を固め、勘九郎の倅勘太郎が、狂言の中でも重要な辰五郎の息子丑之助役を演じている。いかにも納涼歌舞伎らしい座組だ。

 

新門辰五郎会津小鉄も実在の人物。ことに新門辰五郎は最後の将軍徳川慶喜に愛され、鳥羽伏見の戦いに敗れた慶喜が大阪から退去した際に、大阪城に置き忘れていた家康以来の金扇の大馬印を取り戻し、それを掲げて東海道を江戸へ下ったと云う。「荒川の佐吉」に出て来る相模屋政五郎と並ぶ、江戸の男伊達である。その辰五郎に幸四郎が初役で挑んだ。芝居自体は真山作品としては上出来ではない。真山特有の科白劇として聞き惚れる様な名科白も出てこない。鳶の棟梁としての貫禄を見せるだけの芝居と云ってもいい。本質的には幸四郎のニンではない。しかし近年とみに大きさを身につけてきている幸四郎、若々しさを残し乍らも棟梁らしい男ぶりを見せてくれている。

 

慶喜との関係から、将軍上洛後の警備に当たっており、自然と政局に関わる形になってしまっていた辰五郎が、佐幕・勤王の争いの中で、祇園社に火の手が上がるのを見る。その瞬間本来の火消しに戻り、「祇園様は京都の宝、京都の宝は日本の宝だ」と啖呵を切る。京都を灰にしては、江戸の火消しの名が廃ると云う、鳶の頭としての本能が云わせる科白だ。ここがこの芝居の見せ場で、声に弱点のある幸四郎だが、甲の声を上手く使って凛とした科白廻しを聴かせてくれている。若さと貫禄が上手くミックスされた絶妙な棟梁ぶりであった。

 

もう一人の主役勘九郎小鉄も、結構な出来。芝居の大詰、火事の原因を作った水戸藩士が申し訳なさに死のうとするのを押しとどめた辰五郎が、自ら切腹する事で責任を取ると遺書をしたためる。そこへやって来た小鉄が、本来の仕事ではない政治向きの事で命を絶とうとする辰五郎を一喝する「御政治向きは御政治向き、人間はまた人間だ」の気迫に満ちた科白は圧巻。ここは真山本来の味が出ていて、流石と思わせる場面。それを盛り上げていたのが勘九郎の熱演だ。この場の勘九郎の渾身の演技は実に見事で、対峙する幸四郎辰五郎との芸格の釣り合いも良く、漢と漢のぶつかり合いは見応え充分。最後は辰五郎と小鉄が兄弟分になる約束を交わして幕となった。

 

脇では歌六の勇五郎がやはり上手い。不向きな政局に関わって、進退に迷っている辰五郎にその矛盾を詰め寄る迫力は、流石無形文化財、名人の芸だ。七之助の八重菊は、美しさと辰五郎への義理立てを通す女伊達的な強さを併せ持った見事な祇園芸妓ぶり。獅童の実久はニンではなく、謎めいた人物像を作り出そうとして無理をしているのが見えてしまっており、一部の勝五郎の様にはいかなかった。しかし幸四郎勘九郎の熱演で、本来の脚本以上の芝居になっていた様に思う。この二人で他の真山劇も観てみたい。

 

打ち出しは『団子売』。巳之助の杵造、児太郎のお福のコンビで、共に初役。巳之助の父、亡き三津五郎の当り役で、勘三郎との名コンビはそれは見事なものだった。児太郎も勘三郎の親類なので、何度も間近で見ていた事だろう。練り上げた亡き二人には及ばないが、若々しく気持ちの良い踊りを見せてくれる。ことにひょっとことおかめのお面を被った連れ舞は、二人の持つ愛嬌が自然に顕れ、イキも合っていて実に結構な舞踊。最後を踊りで〆る狂言立ては筆者の好みでもあるので、気持ちよく歌舞伎座を後に出来た。

 

新歌舞伎と舞踊の二本立ての歌舞伎座第二部。名人芸に酔うのも歌舞伎だが、若手・花形全力投球の芝居が観れる納涼歌舞伎もまた結構なもの。今月は残る三部と南座の大和屋公演を観劇予定。どうか台風が来ません様に・・・。