続いて歌舞伎座夜の部Aプロを観劇。筆者が観た日は、こちらもほぼ満員に近い盛況。入りがいいと、役者の方もやる気が増すと云うものであろう。勿論寒い入りでもしっかりやって貰わなければならないのだけれど。云う迄もなく出し物はA・B共同じで、「五段目」「六段目」「七段目」「十一段目」である。幹部クラスの役者でA・B共同じ役で出演しているのは、歌六・錦之助・音羽屋くらいで、他の主要な役は役者が替わっている。
まずは「五段目」「六段目」。Aプロの配役は菊之助の勘平、時蔵のおかる、萬太郎の弥五郎、右近の定九郎、橘太郎の源六、吉弥のおかや、萬壽のお才、歌六の数右衛門。中では右近・時蔵・萬太郎が初役の様で、右近は幸四郎に、時蔵は当然乍ら父萬壽に教わったと云う。A・Bで橘太郎と松之助が役を入れ替えているのが面白い。芸達者の二人なのでどちらも結構であったが、この段の源六は、ニン的に松之助の方が合っていた様に思われた。
以前も書いたのだが、菊之助と云う役者は気品に溢れているのに加え容姿も美しく、何でも綺麗に演じてくれる。それが嵌まる時の役は無類の味を発揮するのだが、歌舞伎と云うのは綺麗な役ばかりではない。筆者が見るところ、菊之助はギリシャ神話のミダス王の様な、触れるものを何でも黄金に変えてしまう役者なのだ。今回は演じていないが、「一力」のおかるなどは本当に素晴らしいし、義経をさせれば当代最高の役者であろうと思う。今回の勘平でも、「五段目」の幕開けで舞台中央に笠を被って座っている所から笠をとって空を見上げた姿の美しさは、思わず息を飲む程のものだ。
勘九郎の勘平は現在の猟師と云う部分に軸足が置かれていたが、菊之助だと余りに気品があり過ぎ、猟師には見えないのだ。その分元は武士であると云うその出自の方が全面に出て来る。これは見る人がどう思うかの問題かもしれないが、筆者的には勘九郎の方が好みではある。火縄を回す動きや、定九郎を殺してしまった所の所作など、非常にスムーズでよどみなく流れる様で、かえって世話の味が希薄になり、比べては申し訳ないが父菊五郎の様なコクはない。しかしその所作の美しさに見入ってしまうのもまた事実である。舞台姿を美しく見せるのも歌舞伎の醍醐味の一つなので、見物衆を惹きつける魅力がこの優にあるのは間違いない。その意味で勘九郎より菊之助の勘平の方を良しとする人がいても、何ら不思議はないであろう。
「六段目」も同様である。花道の出から舞台に廻って紋服に着替えたところのその舞台姿の美しさと云ったらない。ここは父菊五郎より、松嶋屋の勘平を彷彿とさせる。在所のあばら家の中で、その美しさはひと際目を引く。しかしこの優が美しいだけで心がないと云う事ではない。舅殺しの疑いをかけられ、自分もそうと思い込み腹切りになる。ここでの一連の芝居には、志を遂げずに死んでいく無念の思いがその所作と科白廻しにしっかりとあり、見応えは充分である。そしてここでも、血に染まった手で頬を撫でた時に血糊が白粉を塗っている頬にべったりとつく。その一種凄愴な姿の中に、この優が持つ天性の色気が漂い、この場を一層劇的なものにしている。その意味では、菊之助の美点は「五段目」よりも、「六段目」の方ににより顕れていると云えるであろう。
続いて「七段目」。こちらの配役は愛之助の由良之助、巳之助の平右衛門、三人侍はBプロ同様松江・男女蔵・亀鶴、松之助の伴内、左近の力弥、片岡亀蔵の九太夫、時蔵のおかる。中では愛之助と時蔵が初役で、愛之助は当然の様に松嶋屋に教えを乞うている。巳之助も初演の際には松嶋屋に教えて貰った様だ。橘太郎と役を入れ替えた松之助だが、こちらの役は橘太郎の方が適していた様に思う。
そして愛之助の由良之助だが、つい先日松嶋屋の名人芸を観た後であったので、流石に厳しく見えてしまった。勿論芝居の上手い優なので、松嶋屋マナーをよく写してしっかりとした由良之助ではある。義太夫味もなくはない。しかしやはり名人松嶋屋のあの艶と大きさは出てこない。まぁこれは致し方ないであろう。口跡も松嶋屋を思わせるものがあり、この優なりの色気もある。要するに松嶋屋をスケールダウンさせた由良之助と云う印象なのだ。これはもう回数を重ねていくしかないであろうと思う。
一方同じ初役の時蔵のおかるは、丸本役者の本領発揮で素晴らしい出来。「六段目」のおかるには世話女房の味があり、「七段目」のおかるには花魁の艶もあり乍らどこか在所娘のおぼこさを感じさせ、夫への深い情愛がその所作・科白に滲んでいて、遂に報われる事のなかったその愛を、哀切ひと際に感じさせてくれる。Bプロの七之助に比べてより派手な美しさこそないものの、その分古風な味わいを感じさせてくれる立派なおかる。芸格的にもBプロ同様巳之助平右衛門との釣り合いが取れていて、実に結構な出来。相方の巳之助平右衛門も、松也同様力みが見える部分もあるが、所作がキッパリしており、舞踊で鍛えた素地が生きている。愛之助には注文をつける形になってしまったが、見応えのある「七段目」ではあった。
最後「十一段目」。こちらはBプロから由良助が愛之助に、平八郎が松緑に、喜多八が坂東亀蔵に替わっている以外は同じ配役。やはり見せ場は平八郎と喜多八の立ち回り。若手花形のぶつかり合いであったBプロに比べ、こちらは松緑と亀蔵と云う芸に脂がのって来た二人の立ち回り。当然乍ら勢いだけではない余裕があり、早く動いてはいても、どこか大人のゆとりの様にものを感じさせてくれる。これが芸輪と云うのもなのであろう。今年五十歳になった松緑だが、まだまだ若手同様に動ける若々しさも見せてくれた。
最後にあわてて付言すると、「五段目」の右近定九郎は、Bプロの隼人が色悪の色の部分が目立っていたのに比べ、悪の面がより強調され、描線の太い定九郎。兼ねる役者の右近だが、悪役もしっかりこなせるところが頼もしい。少し否定的な物云いをしてしまった部分もあったAプロだが、この部に出ている役者がこれからの歌舞伎を支えて行く事になるのは間違いない。幸いこの夜の部は見取りでかかる場も多い。近い内にまた再演して、より練り上げた芝居を見せて貰いたいと思う。