fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

三月大歌舞伎 Bプロ昼の部 芝翫・菊之助・時蔵の「大序」「三段目」、松緑・菊之助の「四段目」、愛之助・萬壽の「道行」

歌舞伎座Bプロ昼の部を観劇。こちらもほぼ満員の盛況。「二段目」はまぁ出ない場なので、致し方ないのかと云うところ。しかし「道行」を付けるなら、本来「裏門」を出さないと、初めて観劇される方には唐突感があるのではないだろうか。それならば「道行」を付けずに「二段目」を出す方が良いのではないかと筆者は考える。「三段目」の橘三郎が良かったので、「二段目」も観たかったと云うのが本音である。

 

まず「忠臣蔵」のお約束、口上人形。あぁ「忠臣蔵」だと思わせてくれる。こんなやり方は他の狂言にはないので、やはり「忠臣蔵」は別格の芝居なのだ。続いて「大序」となる。幕を開けるのに五分くらいたっぷりかける。いや~引っ張ってくれます。このワクワク感が堪らない。天王建の鳴物に七五三の東西声がかかり、登場人物が一人ずつ徐々に目を開けて顔を上げる様式的な一幕である。配役は芝翫の師直、菊之助の判官、右近の若狭之助、時蔵の顔世御前、扇雀の直義。中では右近・時蔵が初役。右近は勘九郎に、時蔵は萬壽に教えを受けたと云う。

 

しかし「忠臣蔵」は、「五段目」以降の場は見取りでもかかるが、昼の部の「四段目」迄は単独でかかる事が少ない。筆者も昼の部の場は九年前の国立劇場で通し狂言がかかって以来の観劇となる。多分地方でもかかってはいないであろうと思う。そう考えると、昼の部の芝居はかなり貴重だと云う事になる。おのずからかかる期待も大きくなると云うものだが、これがまた素晴らしい出来であった。

 

まず芝翫の師直が傑作とも云うべき見事な師直。描線が太々しく、竹本とシンクロする義太夫味も素晴らしい。失礼な云い方かもしれないが、ニンにも適っている。令和の時代の役者とは思えない古格な味わいがあるのも、芝翫の面目躍如と云ったところ。史実ではないが、この「忠臣蔵」では、師直の判官に対するいやがらせは、判官の妻顔世御前への懸想にあると云う設定になっている。この「大序」における芝翫師直の顔世御前への口説きは、言葉は乱暴だが如何にも権力をかさに着た助平爺そのもので、いつの時代にもありそうな権力者の一面をきっちり見せてくれている。只の敵役に留まらない愛嬌と色気もあり、筆者が観た限りでは、二代目松緑以来の師直ではないかと思う。

 

対する菊之助の判官もまた実に見事。本領は「四段目」に顕れるが、この「大序」に於いても、その気品溢れる佇まいと、位取りは素晴らしい。扇雀の直義も菊之助同様見事な位取りで、足利幕府の政務を担い、尊氏と並んで「両将軍」と呼ばれた人物らしさを見せてくれている。初役の右近若狭之助、時蔵顔世御前も若手花形らしい手一杯の出来。右近は如何にも清廉潔白で世慣れていない若大名若狭之助を好演。時蔵はこの優らしい古格さを見せてくれており、共に初役とは思えない出来。各役揃って傑作とも云うべき「大序」となっていた。

 

五分の休憩を挟んで「三段目」。前半の「進物場」と後半の「刃傷の場」では、雰囲気ががらりと変わる。配役は師直・判官・若狭之助は「大序」と同じ。加えてこの場では橘三郎の本蔵、橘太郎の伴内が加わる。ここもやはり芝翫の師直が変わらず見事な出来。「ピリピリピリと、死にまするじゃ」から「鮒た、鮒だ、鮒侍だ」の判官いびりが、実に上手い。手強く憎体なのだが、敵役と云うよりただの意地悪爺さんと云った絶妙な愛嬌がある。これは無理に出そうとして出るものではなく、芝翫の様な腕っこきにして初めて出せる絶妙な味わいであろう。耐えかねた判官が刀の束に手をかけたのを見ての「殿中だ」から「斬れ斬れ斬れ」のイキも抜群。

 

そしてこの場の菊之助判官がまた素晴らしい。ここは亡き勘三郎も上手かったが、天性の愛嬌があった中村屋に比べて、クールな芸風の菊之助の判官の方がこの場にはより相応しく感じられる。我慢に我慢を重ねている様が、実にリアルに伝わってくる。しかしこの穏やかな菊之助判官が最後の最後に至ってキレる。この判官でも我慢がならなかったのだと、見物衆全てがその胸中を察する事が出来る見事な芝居。判官をさせてもどこか剽げた味わいがあった勘三郎より菊之助が合っていると思えたのは、「大序」からこの「三段目」にかけて造形された沈着な菊之助判官像に拠っている。芝翫菊之助の二人芝居の見事さで、実に迫真の場とも云うべき「喧嘩場」であった。

 

順序は逆になったが、「進物場」に於ける橘太郎伴内と橘三郎本蔵の芝居もまた見事。橘太郎の伴内は正にニン。後段の深刻な場の前のチャリ場に実に相応しい。「えっへん、ばっさり」の中間とのやり取りを面白く見せる腕前は抜群。ただ筆者が観た日は橘太郎にミスがあった。中間に本蔵を斬る稽古をつける際に「何もかも打ち捨てて」から「無駄を捨てて」と行くべきところを、「何もかも打ち捨てて」を抜かしてしまったので、「無駄を捨てて」を二回云うハメになってしまった。中間の役者は普段通り「打ち捨てて」から「無駄を捨てて」とやったので、流れとしては問題なかったが。名人橘太郎をして、こう云う事もある。かえって貴重なもの(?)が観れた。橘三郎の本蔵は、古武士の風格があり、その佇まいといい、古格な科白廻しといい、実に見事なものであった。

 

続いて「忠臣蔵」の前半のクライマックスとも云うべき「四段目」。「花献上」はカット。ここがないので、折角の時蔵顔世御前の見せ場が少ないのは残念。配役は松緑の由良助、菊之助の判官、時蔵の顔世御前、彌十郎の右馬之丞、彦三郎の次郎左衛門、莟玉の力弥、片岡亀蔵の九太夫錦之助の郷右衛門、松江・男女蔵・亀鶴・橋之助・歌之助・宗之助・吉之丞の若侍。中では松緑の由良之助が初役で、錦之助の郷右衛門もこの場は初めての様だ。松緑松嶋屋の教えを受けたと云う。

 

この段も前半の「切腹の場」と後半の「城明渡しの場」の二段に分かれている。何と云っても前半の菊之助判官が絶品とも云うべき出来。この役こそ菊之助に切って嵌めた様なはまり役。祖父梅幸から父菊五郎を経由して菊之助に伝わった、謂わば音羽屋三代に渉る当り役である。中央の襖を開いて黒の長羽織を着た判官が現れたところ、厳粛な空気が舞台を覆う。次郎左衛門に「見れば当世風の長羽織」と云われたのを受けて黒羽織を脱ぎ、白装束となる。その姿の凛とした美しさ、辺りを払う気品、これぞ判官様である。

 

郷右衛門に家中の者がご尊顔を拝したいと願っていると云われるも、「由良之助参る迄は、無用と申せ」と告げる。家来に対し冷酷な様だが、それ程判官は由良之助を信じ、後顧を託したいと考えている事を感じさせる。これが後段の血気に逸る若侍達を鎮静せさる事に繋がってくるのだ。そして切腹の場が用意され、力弥が九寸五分を運んで来る。由良之助はまだかと力弥に問うも、由良之助はまだ参着しない。諦めて「存生に対面せで、残念なと伝えい」の科白廻しも判官無念の思いが滲む抜群の上手さ。そして腹に刀を突きたてたところに由良之助が花道を入って来る。

 

花道の七三で額ずく松緑由良之助。右馬之丞に近こうと云われておこつくところで、大袈裟にのけ反る様な事はせず、腹帯を締める。ここは腹帯を緩める気持ちか、締める心持か二通りあるが、筆者には締めている様に思われた。因みに高麗屋は緩めると発言している。ここでの所作に顕れている様に、松緑初役の由良之助は大袈裟な事はしない。切腹している判官に近づいて「この九寸五分は汝に形見」と云われたのを受けての「委細、ははぁっ」も大仰にはしない。しないが、主従が無言の内に交わしたその心情は、しっかりこちらにも伝わって来る。

 

右馬之丞と次郎左衛門が引き下がり、顔世御前と腰元が入って来る。ここでも時蔵顔世御前は夫の遺骸を前に切り髪を差し出すところ、実に古格な味わいがあり、天性の丸本役者時蔵は、初役でもものともしないところを見せてくれている。焼香の後判官の遺骸を光明寺に運び出し、後に由良之助達が残る。甘言を弄する九太夫に乗せられて駆けだそうとする若侍を押しとどめての「さりとてはおのおの方、まだご了見が若い、若い」の科白は、高麗屋の様な大きさや義太夫味たっぷりの名調子とは行かないものの、ここで若侍に暴走されては、先ほど判官と無言の内に交わした約束がフイになるとの必死の思いに溢れている。

 

最後の「城明渡しの場」に於ける光明寺から戻った侍達が、城明け渡しは黙認出来ないと騒ぐのを「ご遺言を、忘れたか」と一喝するところも、由良之助決死の覚悟が滲む。そして塩谷家の定紋が入った提灯を、実に名残惜しそうに畳み、押し抱く。亡き主君に対する哀惜の念が溢れ出る見事な芝居だ。花道に掛かって舞台が引き下がり城門が遠のく。幕が閉じられ、花道の七三で崩れ落ち泣き崩れる松緑由良之助。科白はない場だが、その所作に万感の思いを込めている。送り三重の三味線に送られて揚幕を入る迄、一瞬の弛緩もない名舞台であったと思う。

 

脇では、大柄な身体を生かした立派な押し出しの彌十郎右馬之丞、手強さの中に独特の剽げた味わいのある彦三郎次郎左衛門、何れも充分な出来栄え。莟玉の力弥も気品があり、中々到着しない父を思って泣き出したい様な気持ちになるところをきっちり出せていて、初役乍ら結構な力弥。しかし何と云っても菊之助、次いで松緑が実に立派な芝居で、本当に素晴らしい「四段目」となっていた。

 

打ち出しは「道行旅路の花婿」。今年の正月に浅草歌舞伎で久しぶりに観たが、ひと月置いてまた観れる事となった。浅草は若手歌舞伎らしく橋之助・莟玉・玉太郎の組み合わせであったが、今回は愛之助の勘平、萬壽のおかる、坂東亀蔵の伴内と云う配役。中では亀蔵が初役で、意外にも愛之助も本公演では初めてだと云う。愛之助・萬壽の組み合わせは去年の南座の顔見世の「かさね」で実現するはずであったが、直前の愛之助の怪我により、叶わなかった顔合わせだ。

 

正直「四段目」迄の芝居が力演続きで実に味わいが濃く、お腹一杯の気分であったが、流石に愛之助・萬壽の組み合わせは上手く、当然と云えば当然だが、正月の浅草よりコクがある。愛之助は、兎に角おかるに引きずられる様にして鎌倉から東海道戸塚迄来てしまったと云う心持で、呆然としている。橋之助勘平の様に、暗く沈んだ気持ちと云うより、心ここにあらずと云った体である。終始リードしているのはおかるで、勘平を前にしたクドキがこってりとしてい乍ら若々しく、二十歳近く歳の離れた愛之助勘平を前にしても違和感がない。亀蔵初役の伴内も、軽さと所作事の上手さを兼ね備えた立派な伴内。芸達者が三人揃って、この長い公演を締めくくるに相応しい「道行」であった。

 

久しぶりに「大序」から「四段目」迄を、たっぷり堪能させて貰えたBプロ昼の部。未見のAプロは「四段目」に松嶋屋の由良之助。どんな素晴らしい舞台になるであろうか。その感想は観劇後に改めて綴りたい。