歌舞伎座昼の部を観劇。こちらもほぼほぼ満員の盛況。やはり襲名公演は熱気が違う。「歌舞伎とは、襲名・追善と覚えたり」と云ったのは十七世勘三郎であったか。正にその通りだと思う。昼は菊之助と松嶋屋が華を添える。大和屋と成田屋が不在ではあるが、その他の家はほぼ出揃い、当主が出ていない家は惣領が出て盛り上げている。正に歌舞伎界総出で萬屋の襲名を寿いでいる公演である。
幕開きは川村花菱が六代目菊五郎と初代吉右衛門に当て書きした『上州土産百両首』。オー・ヘンリーの「二十年後」が原作の新歌舞伎だ。筆者も若い時分にオー・ヘンリーは愛読していた。中でもこの「二十年後」が一番好きであった。原作の趣旨に沿ってはいるが筋は全く変わっており、オー・ヘンリー原作と云われなければ、似てはいるなと思う位のもの。殺人犯と捕り手と云う正反対の立場になってしまった旧友二人の友情物語である。獅童の正太郎、菊之助の牙次郎、米吉のおそで、隼人の三次、錦吾の宇兵衛、萬次郎のおせき、錦之助の与一、歌六の勘次と云う配役。菊之助以外は皆初役だ。
オー・ヘンリーの原作は短編なので、主人公(原作ではボブ)が何で悪の道に足を踏み入れたかは語られていない。と云うかボブと警官しか出てこないので、悪い話しが出来る訳もない。ボブは昔の心を忘れて悪人に成り下がってしまったのだが、古い友人(原作ではジミー)と交わした二十年後にここでまた会うと云う約束だけは忘れていなかった。そこに泥棒にも五分の魂的な物が残っていると云う話しになっている。警官になっていたジミーはボブの顔を見た時に、指名手配の泥棒であると気づく。友人のボブを自ら逮捕する気にはなれないが、警官として泥棒を見過ごす訳にはいかないと記した手紙を同僚に渡してボブの逮捕を依頼するジミー。そして逮捕されたボブはその手紙を読み、号泣すると云う筋である。
しかし今作は幼馴染の正太郎と牙次郎が殺人犯と岡っ引きになってはいるものの、正太郎は悪人ではなく、昔掏摸であった時分のしがらみから逃れられず、やむなく殺人を犯したと云う設定になっている。十年後の再会を約して別れた二人が遠く離れてもお互いを思い合う。そして正太郎は板前となり、せっせと貯めた金二百両を牙次郎に渡そうと思っている。しかし掏摸時代の仲間である隼人の三次に強請られ、やむなく三次を殺してしまう。お尋ね者となった正太郎の首には百両の懸賞金がかけられ、正太郎は自ら牙次郎の手でお縄になる事によって、せめてその百両を渡したいと考える。
一方牙次郎は岡っ引きになったものの下働きで、正太郎の友情に報いる金の算段などとても出来ない。しかし殺人を犯して上州から江戸に向かって逃走しているお尋ね者の首に百両の懸賞金がかかっていると知り、自分が逮捕してその金を得ようと思いつく。しかし結局その犯人は旧友正太郎であり、牙次郎のお縄にかかるべく人目の多い江戸に敢えて潜入したと知る。捕り手に囲まれた中で再会を果たした二人は抱き合って泣き崩れる。そして親分の勘次に、せめて正太郎に自訴させて欲しいと涙ながらに頼む牙次郎。勘次の計らいにより自訴が認められ、役所に向かう為に二人抱き合い乍ら花道を入って幕となると云うのが今作の筋である。
あまりかからない狂言なのであらすじを紹介したが、結構な人情噺になっている。獅童の正太郎は兄貴分らしい貫禄もあり乍ら、子供っぽいところもあり、それが獅童のニンに適っている。掏摸から足を洗って板前となり、かつての親分である錦之助の与一に再会する場も、鯔背な所作と情味溢れる芝居で正太郎を生き生きと演じてくれている。錦之助も親分らしい貫禄があり、子分の隼人の三次はやさぐれた雰囲気を出していて、萬屋の三人芝居が実にいい雰囲気だ。
そして牙次郎を演じた菊之助。これがまた抜群に上手い。好人物だがドジで間抜けと云う人物設定なので、菊之助のニンではない。歌舞伎素人の筆者の妹も一緒に観劇したのだが、その妹が観劇後「あの人いつもああ云う芸風なの?」と聞いてきた。いやいや、いつもは美貌の女形と鯔背な江戸っ子を兼ねる役者だと話すと意外そうな顔をしていた。それ位今回の菊之助がニンでない役乍ら上手かったと云う事だ。人が何と云おうと、自分には優しかった兄貴分の正太郎を一途に思い続ける牙次郎を、実に見事に演じ切っていた。
獅童と菊之助が二人揃って客席を練り歩く場もあり、場内は大盛り上がり。女性客の多い席の辺りを見渡して「ここはやけに綺麗だなぁ」と云って喜ばせたり、「今月は木挽町の歌舞伎座で獅童の二人の息子が初舞台だって」「二人の息子は兎も角、オレは獅童って役者は大嫌いだ」と云うお約束の掛け合いもあり、見物衆は大喜び。歌舞伎座でこの狂言がかかるのは三十年ぶりらしいが、今回の襲名公演に相応しい演出の出し物で、実に楽しめた『上州土産百両首』であった。
『上州土産百両首』だけで長くなってしまった。残る狂言はまた項を改めて綴る事としたい。