fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

歌舞伎座 三月大歌舞伎 夜の部 幸四郎・菊之助・愛之助・雀右衛門の『伊勢音頭恋寝刃』 、松緑・梅枝の「喜撰」

三月歌舞伎座夜の部を観劇。入りは八分といったところか。幸四郎菊之助愛之助松緑と花形が揃った。この四人が同じ部に出ると云うのは、近年では珍しいのではないだろうか。実に結構な座組。こう云う組み合わせを、もっとどしどしやって貰いたいものだ。大名題の名人芸も勿論観たいが、年齢が年齢だけに、余り無理をさせてはいけない。やはりこの年代がどしどし働かねば、歌舞伎界の明日はない。

 

幕開きは『伊勢音頭恋寝刃』。歌舞伎座では珍しい通し狂言だ。しかも幸四郎菊之助愛之助と揃う大一座。名前を見ただけでわくわくする。幸四郎の貢、菊之助の万次郎、愛之助の喜助、彦三郎の正太夫歌昇の林平、新吾のお岸、廣太郎の大蔵、吉之丞の丈四郎、橘太郎の彦太夫、亀鶴の北六、市蔵の岩次、高麗蔵のおみね、彌十郎のお鹿、又五郎の左膳、雀右衛門のお紺、魁春の万野と云う豪華な配役。これで悪い訳がないと云う布陣だ。しかも歌舞伎座では実に六十二年ぶりと云う「太々講」の場が出る。筆者は観た事のない場だ。

 

しかし素晴らしい出来の「伊勢音頭」であった。まず配役が適材適所で主要のほぼ全ての役がニンであると云うのが大きい。彦三郎の正太夫が必ずしもニンではなかったが、そこは芸達者な彦三郎。違和感なく勤めていた。序幕「伊勢街道」の場で新吾のお岸を駕籠に乗せて菊之助の万次郎が出て来る。やはり今の菊之助にとっては松王ではなくこちらがニン。上方のつっころばしだが、この優が演じると気品が漂う。身体の線が柔らかく、実に美しい。大事な宝剣である「青江下坂」を質に入れてしまい、それが為に後の悲劇を引き起こす事になるしょうもない性格のボンボンなのだが、気品ある菊之助万次郎はどことなく憎めない。

 

人の良い万次郎が大蔵と丈四郎にうまうまと刀の折紙を盗まれ、歌昇の奴林平と追っかけっこが始まる。三人が舞台を降りて、客席を縦横に走り回る大運動会。空いていた席に座ったり、二人は何処に行ったか知らないかとお客に聞いたり、やりたい放題で見物衆も大いに沸いていた。若い二人と互角の動きを見せる五十路の吉之丞が大健闘だ。そして万次郎と貢が出てきてだんまりになる。このだんまりがまた実に結構な出来。踊り上手な菊之助幸四郎が基本舞台中央に居り、他三人が取り巻くだんまりなのだが、やはりこの二人の所作が素晴らしく、近年にない見事なだんまり場となっていた。

 

そして筆者は初めて観る「孫大夫内太々講の場」。大した筋ではないし、チャリ場なのだが、「青江下坂」との因縁が説明されており、確かにこの場があった方がわかり易くはある。大して面白味のある場ではないものの、橘太郎・彦三郎が芸力で面白く見せてくれるし、お紺も出て来る。貢とお紺の深い仲がわかるので、これが後の縁切りに効いてくる。そして叔母役の高麗蔵おみねがまた素晴らしい。機転の利く才女で、それらしい貫禄もある。凛とした位取りも見事で、この優の確かな実力を見た思いだ。

 

そしていよいよ「油屋店先」と「奥庭」の場。まずやはり松嶋屋直伝、幸四郎の貢が素晴らしい出来。この優の最大の特徴は、踊りで鍛え上げたその形の良さだ。特にこの場はツケ入りの極まりが多く、その一つ一つの形の美しさは当代無類ものだ。甲の声を多用した科白廻しは、松嶋屋の様な謡い調子ではないが、万野に虐められ、恋人お紺からも縁切りされる貢の追い詰められた心情を実に良く表現している。「身不肖なれども福岡貢」からの長科白も、前回大阪で観た時より一段と聞きごたえがあり、実に見事。白塗り二枚目の役だが、つっころばしの万次郎と違い「ぴんとこな」らしく手強さもあり、身体に一本筋が通っていて武士らしいきりっとしたところがあるのもまた幸四郎らしい見事な人物造形だ。

 

意に反して刀が鞘走り、万野を斬ってしまう。松嶋屋はここで迫力ある目力を見せ、次々人を殺めて行くのだが、幸四郎貢は、少し違う。その目は呆然としていて、焦点が定まっていない。貢の人格を離れて、妖刀「青江下坂」に引きずられる様に人を殺して行ってしまうのだ。ここで先の「太々講の場」にて伏線が張られていた「青江下坂」と貢の因縁話しが効いて来る。「青江下坂」は元々貢の祖父の持ち物であり、この刀を所持した事が原因で人を殺めて切腹してしまう。そして父も早くに病に倒れ亡くなる。その福岡家因縁の刀が孫の貢にも祟り、殺人を引き起こしてしまうのだ。その妖刀が憑依した様を、その虚ろな目で幸四郎は実に見事に表現している。

 

そして大詰「奥庭の場」。ここは大立ち回りなのだが、やはり幸四郎の形の良さが映える。殺人を犯す凄惨な場に、実に美しい幸四郎の所作と云う、アンビバレントな美とでも云うべきか(まぁアンビバレントは心理学用語なので、適切ではないかもしれないけれど)。前回大阪で観た時はコロナ過であったので、芸者衆がうち揃っての総踊りがなかったが、今回は無事復活。この華やかな伊勢音頭を掻き消すかの様に行われる殺人と云う設定が、実に見事な舞台効果をあけでいる場だ。最後はお紺の働きで折紙も手に入り、喜助とお紺を両脇に、舞台中央に貢が極まって幕となった。

 

脇もまた素晴らしい。魁春のお紺は、特に突っ込んだ芝居をする訳ではない。例えば福助だと当て込みがどぎつく、実に憎体なお紺になる。勿論それはそれで素晴らしい。しかし今回の魁春お紺は、実に自然な芝居。当て込みもない。しかしそれでいて貢を追い込んでいくその芝居は実に自然で見応え充分。見る人によっては喰い足りないと思う人もいるかもしれないが、このくどくないあっさりした感じが魁春の持ち味。筆者的には実に結構な万野であった。雀右衛門もこの優らしいお紺。縁切りが大和屋の様に冷徹にきっぱり行くのではなく、肚は貢を思っての事だと云うのがあるので、実に辛そうな縁切り。先月の「籠釣瓶」の八ッ橋と違い実は貢にあるので、この雀右衛門らしいお紺も筆者的には大好きである。ここも人によっては評価が分れるかもしれないが。

 

愛之助も上方の役者らしい実に結構な喜助。元々の主人を思う気持ちがしっかり伝わって来る。先に書いたが本当に主要役者が皆ニンで、傑作とも云うべき見事な「伊勢音頭」になっていた。縁切り~殺人と云う流れで云うと、先月も書いたが幸四郎の「籠釣瓶」も観たくなる。来年あたりに上演して貰いたいものだ。松竹関係の方がこのブログを見る事はないだろうけれども、お願いしますと云っておきたい。

 

打ち出しは『六歌仙容彩』から「喜撰」。何と云っても亡き三津五郎の当り役だが、今回本興行では初役と云う松緑が挑んだ。配役はその松緑喜撰法師、梅枝のお梶、権十郎・松江・片岡亀蔵らに音羽屋の愛孫眞秀と六月に梅枝襲名が決まっている梅枝の愛息小川大晴の所化。最後を舞踊で〆る筆者好みの狂言立てが嬉しい。そして期待に違わず、その出来もまた見事なものであった。

 

坊主は中性的に踊ると云う口伝があるが、松緑の喜撰は正にその通り。愛嬌の中に色気もあり、柔らかいのだが決して女性ではない。動き一つ一つがこの優らしくきっちりしており、本興行初役とは思えない実に見事な喜撰法師。対する梅枝のお梶も素晴らしい。祇園の茶汲女らしい仇っぽさがあり、仕方踊りで客に酌するところなぞは実に艶っぽい。いつまでも観ていたいと思わせる二人の手踊りから喜撰法師のチョボクレになるが、これがまた結構な出来。軽さと愛嬌があり、実に生き生きとしたチョボクレ。この後再演を重ねてどれだけ円熟して行くのか、その過程を楽しみ乍ら観て行きたいと思わせる見事な「喜撰」であった。

 

通し狂言に舞踊と云う実に結構な狂言立てで、大いに楽しめた歌舞伎座夜の部。今月は京都南座も観劇予定なので、その感想は観劇後また改めて綴りたい。