五月の歌舞伎座は恒例の團菊祭。コロナでの中断こそあったが、歌舞伎座建て替え中も場所を大阪松竹に移して上演されていた程の大追善興行。加えて今月は亡き左團次の追善興行でもある。倅の男女蔵が二十年ぶりに『毛抜』の粂寺弾正を勤める。泉下の高島屋もさぞ喜んでいる事だろう。客席も、筆者が観劇した日は大入り満員の盛況。團菊祭に相応しい盛り上がりをみせていた。
幕開きは『鴛鴦襖恋睦』、通称「おしどり」。亡き大成駒六世歌右衛門が復活上演させた長唄と常磐津による二部構成の舞踊劇。筆者はリアルタイムでは無論知らないのだが、昭和二十九年に歌右衛門・十一世團十郎・二世松緑の組み合わせで復活上演された狂言。当時の歌舞伎界は劇団制で、劇団を飛び越えた共演が中々なかった中、歌右衛門が自らの自主公演に於いて上記三人の共演を実現させ、舞台に三優がせり上がって来た時の盛り上がりは物凄いものだったと云う。今回は松也の三郎、右近の喜瀬川、萬太郎の五郎と云う配役。若手花形が皆初役でこの大曲舞踊に挑むと云う形となった。
松也は今年浅草を卒業となり、齢不惑に近づいて来ているので、そろそろ若手花形とは云えない年齢に差し掛かって来た。とは云えこの業界は「四十・五十は洟垂れ小僧」と云う言葉もある位なので、まだまだ若手扱いなのかもしれないが。しかしやはりこの三人で並ぶと、備わる貫禄がある。勿論この優らしい色気もあり、まず申し分のない出来。右近はまだ三十歳位だと思うが、堂に入った喜瀬川。兼ねる優だがこの艶はやはりこの人の本領は女形にあると改めて思わせる。萬太郎の五郎はニンにないものだと思うが、手強さがあり乍ら愛嬌もある。三人共初役乍ら、素晴らしい舞踊劇となっていた。
中幕は歌舞伎十八番から『毛抜』。市川宗家の家の芸だが、途絶えていたのを二代目左團次が復活上演させたと云う事情もあり、高島屋の芸とも云える。亡き左團次も襲名公演で演じており、今回その追善興行と云う事で倅の男女蔵が演じる事となった。配役は男女蔵の弾正、時蔵の巻絹、鴈治郎の春風、松緑の万兵衛、松也の数馬、梅枝の秀太郎、男寅の錦の前、萬次郎の若菜、権十郎の民部、又五郎の玄蕃、菊五郎の春道、それに團十郎が後見で付くと云う、如何にも追善らしい豪華版である。
二十年ぶりと云う男女蔵の弾正は、物凄い力の入った熱演である。荒事系のイメージは薄い優だが、中々どうして立派なもの。唸り声をあげながらの見得は、普段のこの優には見られない力感たっぷりで、流石にお父っつあんの追善とあって発する熱量が凄い。筆者は舞台近くで観劇したのだが汗だくで、それを見ただけでこの役にかける男女蔵の思いが伝わって来る。その一方でこの優らしい愛嬌も兼ね備えており、硬軟併せ持つ見事な出来の弾正であったと思う。
脇を固める役者達も、劇団の手練れに加えて又五郎迄加わっており、見事なチームワークぶりを見せてくれている。男女蔵の倅男寅も年頃の娘が奇病に悩まされる哀しみをしっかりと出せており、初役とは思えない見事さ。こちらも初役松緑の万兵衛も、小悪党らしい小狡さと、べりべりとした手強さを兼ね備えた天晴れな万兵衛。音羽屋が春道で付き合って流石の貫禄を見せてくれたのも嬉しい。ただやはり足元がおぼつかない感じがあったのが心配ではある。来月も萬屋の襲名公演とあって出演予定の音羽屋。体調にはくれぐれも留意して貰いたいものだ。
打ち出しは『幡随長兵衛』。云わずと知れた黙阿弥の傑作狂言。筆者も大好きな芝居である。平成以降では、亡き播磨屋と先代團十郎が交互に演じていた印象のある狂言だ。当代團十郎にとっては、生前の父に最後に教わった役であると云う。その團十郎の長兵衛、菊之助の十郎左衛門、児太郎のお時、九團次の金左衛門、吉弥の頼義、市蔵の公平、家橘の綱九郎、男女蔵の清兵衛、右團次の唐犬、錦之助の登之助、歌昇・右近・男寅・鷹之資・莟玉他の長兵衛子分と云う配役。中では菊之助と児太郎が初役の様だ。
筆者は二年程前に、平成中村座で團十郎と世代の近い獅童の長兵衛を観た。高麗屋に指導を仰いだと云う獅童長兵衛は、世話の味を感じさせる結構な長兵衛であった。今回の團十郎長兵衛はそれとは全く違ったものになっている。世話物としての味わいは背後に後退し、ひたすら荒事役者らしい描線の太さと貫禄で押して来る長兵衛。科白回しはやや一本調子でメリハリに欠ける部分はあるが、漢臭さ満載で如何にも成田屋らしい長兵衛となっている。子分に対する時の大きさも充分にあり、筆者は観劇前にもしかしたらちんぴら風になってしまうのではないかと懸念していたのだが、杞憂であった。團十郎は座頭としての力量を確実につけて来ている。
女房・子供にも弱みを見せない強さがあり、獅童長兵衛はここで家庭人らしい弱さを感じさせていたが、團十郎長兵衛はここでも日和らずキッパリしている。これは一つの見識で、荒事役者の團十郎らしさを感じさせてくれる。続く「水野邸座敷の場」で十郎左衛門に相対するところは、丁重でへりくだった科白の裏に死の覚悟を感じさせる潔さがあり、菊之助十郎左衛門との芸格の釣り合いも良く、流石の出来。大詰「湯殿の場」では「如何にも命は差し上げやしょう」から始まる長科白が、聞き惚れるばかりの見事さ。柔術の手を取り入れた立ち回りのキレの良さと豪快さは、もうこの優の独壇場。團十郎が演じた芝居の中でも、歌舞伎十八番以外ではベストと呼んで良い出来であったのではないだろうか。
脇では菊之助の十郎左衛門が高碌の旗本らしい見事な位取りで、怜悧な悪役を見事に演じ切っており、初役とは思えない素晴らしさ。これは今後相手が團十郎でも幸四郎でも、持ち役になるに違いない。市蔵の公平は何度も演じて手の内の役。児太郎のお時も夫への想い溢れる世話女房ぶりで、これまた初役らしからぬ見事さ。男女蔵の出尻は、前幕の弾正との振れ幅の大きさに唖然とさせられるが、こちらも手堅い出来。右團次の唐犬・錦之助の登之助と何れもニンで、各役揃った立派な「湯殿の長兵衛」であった。
舞踊・荒事・世話物とバラエティーに富んだ狂言立てで、充実した内容であった團菊祭昼の部。今月はこの後歌舞伎ではないが文楽の若太夫襲名公演も観劇予定。歌舞伎とは往き方の違う襲名口上も楽しみである。