歌舞伎座第三部を観劇。超満員ではなかったものの、かなりの入り。流石は松嶋屋、その人気は根強いものがあると改めて思わされた。しかも今回は『霊験亀山鉾』を一世一代と銘打っての上演。当然見逃せない舞台である。しかし松嶋屋が十八番を次々演じ納めてしまうのは、些か寂しい感がある。
通し狂言なので、三部は『霊験亀山鉾』のみ。松嶋屋が水右衛門・八郎兵衛の二役、芝翫が源之丞・袖介の同じく二役、雀右衛門のおつま、孝太郎のお松、坂東亀蔵の兵介、松之助の才兵衛、吉弥のおりき、錦吾の卜庵、市蔵の作介、鴈治郎が頼母と官兵衛の二役、東蔵の貞林尼と云う配役。五年前に国立劇場でもかかっており筆者はその時も観劇したが、今回は松嶋屋が監修も兼ね、上演時間を十五分程縮めての上演となった。
大南北が実際にあった「亀山の仇討」をモチーフにして書き上げた狂言。戦後上演が途絶えていたのを平成になって亡き播磨屋が復活上演させたもの。その後播磨屋が演じる事はなかったが、松嶋屋が受け継いで上演を重ね、当たり役としてきた。松嶋屋と云えば当代最高の二枚目役者だが、悪役を演じても独特の艶があり、魅力たっぷり。本作は南北としては最高傑作と云う訳ではないが、役者の見せどころが随所にあり、今回も配役の素晴らしさと相俟って面白く見せてくれる。
卒寿近い松嶋屋だが、実に若々しく悪の色気が舞台を圧している。簡潔にまとめてはあるが三時間近い大作であり、早替りはあるし、最後には立ち回りもある。確かに体力的に厳しい役ではあるだろう。演じ納めとなるのも致し方ないかもしれない。しかし兵介に毒薬を飲ませて切り捨てる大悪党の水右衛門、その一味で如何にも好色な雰囲気を漂わす八郎兵衛、いずれも生き生きとしており、悪役を演じる松嶋屋はどこか楽しそうでもある。
自分を仇として狙う源之丞をだまし討ちする「石井の跡目に生まれながら」に始まる長科白も抑揚があり、謡うが如き素晴らしさ。おつまを斬り殺し乍ら自ら手にかけた石井家の人数を指折り数えて不適な笑みを浮かべるところ、悪の華が歌舞伎座の大舞台一面に咲き誇る。正に華も実もある千両役者の面目躍如だ。途中のだんまりが土手の上で演じられるので、動ける範囲が狭く窮屈そうで役者が揃ってい乍ら今一つコクがないなど、作として今一つの部分も散見はされるが、それを補って余りある素晴らしさがある。
相手役の芝翫も源之丞・袖介をきっちり演じ分けて大奮闘。源之丞の方は必ずしも芝翫のニンではないが、甲の声を使って仇討に執念を燃やす青年像をきっちり表現している。一方袖介の方は正にニンであり、源之丞に忠義を尽くし、遂に悲願を成就させる人物を演じ、松嶋屋を向こうに回して一歩も引けをとらないのは立派。芝翫にはいずれ水右衛門と八郎兵衛を演じて貰いたい。ニンにも合っているし、近い将来ぜひ実現させて貰いたいものだ。松嶋屋も芝翫に渡せるなら頼もしいと思うのではないか。
その他の見せ場としては、雀右衛門と吉弥が八郎兵衛を取り合って鞘当をする場の芝居としての面白さが抜群。手練れの女形二人の芝居に見物衆も沸いていた。ことに雀右衛門は本水を使った松嶋屋との大立ち回りもあり、迫力ある芝居を見せてくれていた。孝太郎のお松も亭主を思う情味に加え世話女房の雰囲気があり、最後見事に仇を討つ気丈さも併せ持つ難役を演じて実に見事なものだった。鴈治郎もニンでない悪役の頼母と捌き役の官兵衛と云う全く性格の異なる二役をきっちり演じ分けており、各役揃って見応え充分の素晴らしい狂言となった。幕が下りても暫く拍手が鳴りやまず、見物衆も大満足だったのではないか。
まだ未見の一部・二部の感想は、観劇後また改めて綴りたい。