fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

十月大歌舞伎 第三部 松嶋屋の『梶原平三誉石切』

今月最後に残った第三部の感想を綴る。

 

第三部は「石切梶原」。松嶋屋の平三景時、彌十郎の大庭、男女蔵の俣野、孝太郎の梢、歌六の六郎太夫、隼人の菊平、松之助の吞助と云う配役。これがまた実に結構な舞台であった。

 

とにかく全編にわたり松嶋屋の名調子が堪能出来る素晴らしい狂言。時節柄「東路の誓いは四方に」で始まる幕開きの竹本はカット。浅葱幕が落ちると舞台にはもう梶原がいる形。これは高麗屋がよく用いるやり方だ。ただ並び大名は三名ずつで、人数を減らしてある。些細な事かもしれないが、舞台面としては些か寂しい感も拭えない。六郎太夫と梢の出になるが、花道での「これ娘、あれにござるはお殿様じゃ」のやり取りもなし。全体として10分以上刈り込まなければならないので、苦しいところだ。

 

しかしこれ以降は正に松嶋屋の独壇場。高麗屋がやるといかにも義太夫狂言と云った重厚感があるのだが、松嶋屋はとにかく爽やかな捌き役に徹している。その意味では播磨屋の行き方と同質だが、二人は芸風が違うので全く異なった印象になる。甲の声で押し通し、他の義太夫狂言同様科白としてしっかり聴かせる播磨屋と比べ、松嶋屋は全編ノリ地で流れるがごとき科白廻し。とにかく聞き惚れるばかりの名調子で、松嶋屋の数多い出し物の中でも、最もその流麗な科白廻しを堪能出来る狂言ではなかろうか。

 

見せ場の多い狂言なので、いいところを上げたらキリがない。例の刀の目利の場での形の良さ、凛とした美しさ。二つ胴での大上段に振りかぶった形から、気合一閃刀を振り落とすところの見事なイキ。そしてクライマックス、珍しい羽左衛門型での石切の豪快さ。正に声良し・顔良し・姿良しの天晴れ武者ぶりじゃなくて役者ぶり。前から3列目の比較的良い席で観れたせいもあろうが、70分の間松嶋屋の強烈なオーラを浴び続けた仕合せな時間であった。

 

そうした見どころ満載の中で、筆者的に一番印象に残った場がある。婿への申し訳なさに腹を切ろうとする六郎太夫を押しとどめて、「両人近こう」から石橋山の合戦に敗れた兵衛佐頼朝を助けた事を語り、本心を明かす場面だ。今は心ならずも平家方についてはいるが、自分の源氏に対する忠誠心は変わらないと告げるその科白廻しの見事な事。ここでの松嶋屋は竹本とシンクロしてグッと義太夫味が上がる。それ迄の流れる様なリズムから一転して、芝居の濃度が増し、グリップの効いたこれぞ義太夫狂言と云う味わいになる。

 

それを受けての歌六の六郎太夫がまた素晴らしい。去年やはり松嶋屋と組んだ「実盛物語」辺りから、この優の義太夫味が深まって来ている様に感じられる。ここでの六郎太夫が良いと、梶原もグッと引き立つ。この場での名優二人のやり取りは、ただの爽やかな狂言で終わらせない深味のあるものであった。

 

その他脇では、孝太郎の梢が、梶原に刀を差しだすところなどに感じさせる人妻としての艶と、父を思う娘としての情とを兼ね備えたいい梢。そして出番は短いが、隼人の菊平が、その姿の良さ、科白廻しの凛々しさが印象深い、いい奴だった。彌十郎の大庭は義太夫味は薄いが、押し出しは流石に立派。男女蔵の俣野は力演ではあったが、赤面の手強さよりやや愛嬌が勝過ぎていた感があった。

 

カットがあったとは云え、松嶋屋の名人芸をたっぷり堪能出来た一幕。しかしそれにしても、大向うが解禁されるのはいつになるのだろうか。今回の狂言など、やはり大向うがないのは物足りない。役者も同じ気持ちだと思う。一日も早い制限のない興行再開を、祈るばかりだ。