fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

八月納涼歌舞伎 第三部 幸四郎・獅童・七之助の『盟三五大切』 その二

『盟三五大切』感想の続き。

 

第二幕第一場「二軒茶屋の場」。伊勢屋座敷で亀蔵の伴右衛門が小万の身請け話をしているところに、三五郎に伴われて源五兵衛がやってくる。実は伴右衛門も三五郎も周りにいる判人長八も伊之助も全員グルで、源五兵衛から小万の身請け金として百両を巻き上げようとしているのだ。散々周りに焚きつけられて源五兵衛は百両を吐き出してしまう。幸四郎が見せるここの所の逡巡と思い切りの具合が、実に上手い。

 

続いて獅童の三五郎が小万は自分の女房であり、全ては詐略であったと居直ってみせる。ここで獅童の三五郎が見せる太々しさが、実に悪が良く効いている。騙されて仇討参画の為の百両を取られた源五兵衛の無念が客席にいても伝わり、切ないまでのいい場となった。七之助の小万は終始源五兵衛への悪いと云う気持ちを出しており、妲妃と綽名された凄みはない。事前のインタビューで七之助が「あまり嫌な女性にならないように演じたい」と云っていた通りの小万。これは賛否あるかもしれないが、獅童に凄みがあるだけに、小万はこの行き方の方がバランスとしても良いのではないかと筆者は思う。

 

続く「五人切りの場」。ここはもう幸四郎の独壇場。騙された源五兵衛が虎蔵の家に乗り込み、次々と人を殺める。この場での幸四郎は復讐の鬼となった凄みを見せ、元々血生臭いこの場を、一層凄惨なものにしている。しかしそんな場でも、その所作は踊りの上手い幸四郎らしく舞を舞っているかの様で、歌舞伎的な美しさに溢れており、素晴らしい立ち回りになっていた。しかし幸四郎、先月の『油殺し』と云い、人を殺し過ぎ(笑)。

 

大詰第一場「四谷鬼横町の場」。前の場から一転、家主弥助の中車が強欲な老人をコミカルに演じ、場を盛り上げる。獅童七之助も楽しんで演じているのが伝わってきて、少しほっとさせる場面だ。しかしその雰囲気を源五兵衛が一変させる。花道から幸四郎の源五兵衛が登場した途端、場の空気が変わる。お父っつあんや叔父さんが持っている、花道の出だけで役の性根を表現すると云う肚芸を、幸四郎も自分のものとしつつある様に思えた。

 

結局源五兵衛が持ってきた毒酒を家主弥助がそれと知らずに飲み、死んでしまう。三五郎は偶然再会した父了心に匿われ、樽に入ってこの場を落ちる。小万一人残された所に再び源五兵衛が現れ、かつて自分の名前が彫られていると思っていた小万の腕の刺青が、三五郎の名前に変わっているのを見るや逆上し、小万を惨殺する。この場での冷酷な源五兵衛像を造形した幸四郎の芸力は見事なもの。小万の手を無理やり刀に添えさせて子供を刺殺する場面などは、もう完全に「イッて」しまっている人間像を、その怨みの深さを、余すところなく表現していた。

 

いよいよ最後「愛染院門前の場」。ここで三五郎の父了心の主人が源五兵衛実は不破数右衛門だったと判明する。人を数多殺めた数右衛門が切腹すると云うのを了心が押しとどめる所に、樽に潜んでいた三五郎が出刃包丁を腹に突き立てて現れ、全ての罪は自分が引き受けると云って自害する。ここでの獅童がまた素晴らしい。腹に出刃包丁が入った状態での血を吐く様な述懐。

 

主人の為に心ならずも人を騙して百両を得ようとしたが、その為に女房始め数多の人が死んだ。しかもその金を欲していたのは他ならぬ自らが騙した主人数右衛門だった。その皮肉な運命のめぐり合わせが走馬灯の様に頭をよぎり、今際の際の三五郎の慚愧の念が、客席にもしっかり伝わってくる。ここで思わず筆者は涙した。

 

念願叶い数右衛門は仇討に加わる事が出来、大団円となる。最後に幸四郎獅童七之助の三人が揃って客席にお辞儀をして幕。いい後味が残った。総じて主役三人が本役で圧倒的に素晴らしく、南北を見事現代に再現したと云っていいと思う。

 

しかし客の入りは二部の方が良かった。今の観客には重い南北より、軽い弥次喜多の方が好まれるのだろう。その点では一抹の寂しさが残った第二部だった。

 

第一部の感想はまた別項で綴る。