fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

十二月大歌舞伎 第三部 松緑・勘九郎の『猩々』、大和屋・中村屋兄弟の『天守物語』

歌舞伎座三部を観劇。二部より更に入りが良く、ほぼ満席の状態。大和屋に松緑中村屋兄弟が揃う座組。確かにこれでお客が入らなければ、歌舞伎に明日はない(笑)。しかも狂言が『天守物語』。いやがうえにも期待が高まると云うものだ。そしてその出来も、その期待を裏切らないものであった。

 

幕開きは『猩々』。松羽目物の傑作で、しかも長唄が三世河竹新七と三世杵屋正次郎による名曲。歌舞伎座でかかるのは七年ぶりだと云う。もっとかけて貰いたい狂言だ。しかし振りが難しく、あまり踊り手がいないのかもしれない。配役は松緑勘九郎の猩々、種之助の酒売り。全員が経験のある役の様だが、当代では梅玉の舞踊と云うイメージがある。酒に酔いながらも細かな足技が必要になる難役。それに松緑勘九郎が挑んだ。

 

しかしこの名手二人にかかると、難しい振りが難しく感じられない。〽猩々舞いを舞おうよから始まる猩々の見事な事。酔っていくところを見せながら、踊りとしてはこの二人らしいきっちりした舞踊。ユーモラスなテイストも感じさせるのだが、最後酒売りに見送られて波間に消えて行くところは哀感も漂わせていて、実に結構な松羽目舞踊となっていた。松羽目物では『棒しばり』も得意にしている松緑勘九郎。今度はこの二人で観てみたいものだと思う。

 

打ち出しは『天守物語』。泉鏡花の傑作戯曲だが、作者の生前に舞台化される事はなかったらしい。当然歌舞伎に当てた戯曲ではないのだが、六代目の歌右衛門が自身の会で歌舞伎化して初演。それを大和屋が引き継いで、何度も演じて練り上げてきた作品だ。筆者は残念乍ら観れなかったが、今年の平成中村座で大和屋から直接指導を受けた七之助が富姫を演じて好評だったと云う。今回満を持して歌舞伎座に登場。その七之助の富姫、勘九郎が舌長姥と桃六の二役、虎之介の図書之助、吉弥の薄、片岡亀蔵の修理、獅童の朱の盤坊、そして大和屋の亀姫と云う配役。大和屋初役の亀姫も見どころの一つだ。

 

内容は如何にも鏡花らしい妖しさに満ちた作品。美しい亀姫が、土産に武士の首を持参し、それを喜んで受け取る富姫と云う展開だけでもかなりシュールだ。これを戦前に書いているのだから、やはり鏡花は尋常ではない。そりゃあ中々上演もされない訳だ。しかしあの三島由紀夫をして「日本近代文学唯一の天才」と謂わしめた鏡花、改めて恐ろしい作家であったと思う。そしてその妖しさを七之助と大和屋が美しく、そして抒情的と云ったらいいのか、ある種の風情迄漂わせて演じている。七之助と大和屋では年齢に親子程の開きがあるのだが、ちゃんと亀姫が富姫の妹分に見えるところが大和屋の芸の恐ろしさだ。

 

筋書きで七之助が「姫路でみっちり教わった」と語っている通り、大和屋マナーをきっちり受け継いで、流石とも云うべき出来。口跡に大和屋が残っている部分もあるが、それは変えようがなかったのかもしれない。しかし七之助の芸風か、大和屋の富姫程天真爛漫ではなく、かなりリアルで実態を伴った富姫。大和屋が演じると原作世界が憑依したかの様で、この世の者とは思われない風情が漂うが、七之助は現実世界に生きているかの様な富姫と云ったら良いだろうか。

 

勿論天上界に生きる富姫は現実世界の人間ではなく、地上界の醜さを嫌悪しているのだが、その人物造形に七之助富姫はリアルな手触りがあると云う事だ。その分大和屋が演じた時に比べて、夢現性は後退している。そんな富姫が醜い地上界から疎外された図書之助に出会い、愛に目覚めて行く。この図書之助がまた非常な難役で、大和屋も演じる度に役者を替えて行き、遂に当時の海老蔵、今の團十郎を得る事によって理想の図書之助にたどり着いた。今回その図書之助を演じるているのは虎之介だ。

 

姫路でも虎之介が演じた様だが、これは思い切った抜擢であると思う。おそらく虎之介自身、歌舞伎座でこれだけの大役を勤めるのは初めてではないだろうか。期待に応えて、虎之介の図書之助は非常な熱演ではある。しかしやはりまだ充分に演じ切ると云うところ迄は行けていない。富姫を真実の愛に目覚めさせる程の男と云うには、虎之介はまだ喰い足りないのだ。これは今後舞台数を踏んで練り上げて行くしかないだろう。今の時点では、例えば隼人あたりが演じた方が良かったに違いない。しかし虎之介はまだまだ若い。今後の精進に期待したい。

 

脇では勘九郎の二役は素晴らしい出来。どちらも老け役なのだが、身体をしっかり殺していて、まだまだ若い勘九郎が演じて全く違和感のない舌長姥と桃六。改めて勘九郎の技術の高さを見せつけられた思いだ。獅童の朱の盤坊は、生来の愛嬌を生かして、舞台の盛り上げ役と云った役どころをきっちり演じてこちらもまた見事。吉弥の薄はもう手の内の役。何でも出来るこの優の存在は、当節実に貴重であると思う。大和屋も含めて、各優見事なアンサンブルを見せてくれた、立派な令和版『天守物語』であったと思う。