fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

十二月大歌舞伎 第二部 中村屋兄弟の『爪王』、松緑の『俵星玄蕃』

歌舞伎座の十二月大歌舞伎第二部を観劇。平日の昼にも関わらず、八割方の入り。まずまずと云ったところだろうか。いよいよ歳も押し詰まってきた。今年も乏しい財力と時間の許す限り芝居を観て来た。個人的には博多座團十郎襲名公演に行けなかったのが痛恨の極みだが、時間が取れず致し方なしと云ったところ。今月の歌舞伎座は恒例となった三部制。その中の二部の感想を綴りたい。

 

幕開きは『爪王』。戸川幸夫脚本・平岩弓枝の脚色と云う、歌舞伎としては異色の組み合わせ。それもそのはずで、初演は亡き猿翁が鷹匠で出ているとは云え波乃久里子が鷹を演じているので、新派に当てた舞踊劇。再演では先代勘三郎波乃久里子の親子共演が実現したとの事。愛娘を溺愛していたと云う中村屋、目を細めながら演じていた姿が容易に想像出来る。歌舞伎化されたのは、十三年前のさよなら公演時で、歌舞伎座ではそれ以来の上演。七之助の鷹、勘九郎の狐、橋之助の庄屋、彦三郎の鷹匠と云う配役だ。

 

何と云っても中村屋兄弟のイキもぴったりの舞踊が素晴らしいの一言。勘九郎狐のキレキレの所作、七之助鷹がそれに応じて、実に美しくも儚さを漂わせた踊りを見せてくれている。僅か三十分程度の舞踊劇なのだが、この二人の所作事は本当に見事。迫真の連れ舞で、観ていると勘九郎の狐手が七之助にぶつかってしまうのではないかと心配してしまうぐらい接近するのだが、そこは舞踊の名手の二人、間合いを完全に見切っている。勘九郎が極まって七之助が海老反った時の形の美しさを、何と形容したろ良いだろう。橋之助の庄屋は特に為所はないが、彦三郎の鷹匠は悪くない。役より若さが出てしまう部分はあるものの、一度狐に敗れて戻って来た鷹を叱責する所も、鷹への思いがしっかり感じられる鷹匠。初役としては良い出来であった。

 

打ち出しは『俵星玄蕃』。去年初演されて、好評であったと聞く『荒川十太夫』に続く講談原作の新作。所謂「義士外伝」物だ。俵星玄蕃は架空の人物であるが、三波春夫先生が歌って有名にしたキャラクターだ。松緑の新作は新歌舞伎の味わいがあり、去年の『荒川十太夫』も良作であったが、今回も良い芝居になっている。配役は松緑の玄蕃、坂東亀蔵の十助実は十平次、左近の主税、橘太郎の次郎左衛門、吉之丞の三太夫、松江の伊助、権十郎の忠左衛門。

 

槍の名手である俵星玄蕃は、酒が悪くて失職中。しかし赤穂浪士が吉良少将を狙っていると云う噂があり、姻戚の上杉家から用心棒のスカウトが来る。そこに予て懇意の蕎麦屋十助と身分を偽っている赤穂浪士杉野十平次が暇乞いにやって来る。討ち入りが明日と決まり、それを隠して玄蕃と酒を酌み交わす十助。玄蕃が上杉家に雇われる事になると告げる。思わず「私とは敵になる・・・」と漏らす十助。玄蕃も蕎麦屋十助の正体が赤穂浪士と気づきつつ、それをはっきりとは云いださない。その辺りの肚の探り合いを科白劇として見せていく場がヤマだ。

 

玄蕃が吉良側につくと、その槍の実力からやっかいな事になると考えた内蔵助(この芝居には一切登場しないのだが)は、加賀前田家からだと偽りニセのスカウトを玄蕃の道場に送り込んで来る。この辺りの設定は多少安っぽいと云うか嘘臭さがありありで、改善の余地があるかもしれない。十助が帰り、酒を呑んでいた玄蕃の耳に陣太鼓の音が聞こえ、さては討ち入りと、大身槍をかいこんで駆け出していく。吉良の加勢に駆け付けて来た上杉家の武士達と、それを遮ろうとする玄蕃の大立ち回りがもう一つのクライマックス。屋体崩しも取り入れて実に派手な演出。それ迄が静かな科白劇であったので多少唐突感はあるものの、これがないと余りに地味な芝居になってしまう事を危惧したのかもしれない。

 

最後は本懐遂げた十助実は十平次と再会し、めでたしめでたしで松緑亀蔵揃っての切口上で幕となった。立ち回りの所作の鮮やかさ、力感は流石舞踊の名人松緑。玄蕃の人物造形としても、落剝してはいるが暗さはなく、今の境遇を楽しむかの様なゆとりもある。しかしその目つきは尋常ではなく、ただの飲んだくれではないと云う所を一目で感じさせてくれる所が松緑の芸だ。そして赤穂浪士と云う身分を明かせない亀蔵十助と、それを察して討ち入りがあると思うかと尋ねる玄蕃。この二人のやり取りは芝居として実に見応えがある。語り芸では出せない立体感を、歌舞伎として上手く視覚化出来ていたと思う。加えて権十郎や橘太郎といった手練れの脇が見事なアンサンブルを見せてくれており、改めて劇団の力量に感服させられた。偽りの前田家の使者が来る辺りの演出にもう一工夫加えての再演を期待したい。

 

今月は歌舞伎座に加えて、年末恒例の南座顔見世興行も観劇予定。京都での團十郎襲名、楽しみでならない。