fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

二月大歌舞伎 第二部 魁春・雀右衛門・七之助の『女車引』、鷹之資の『船弁慶』

歌舞伎座二部を観劇。平日だったが、八分くらい入っていたろうか。この二部は玄人好みの渋い役者・演目が並んでいたので松竹に頼まれた訳でもなく心配していたが、杞憂に終わった様だ。こう云う狂言立てでお客が入るのは非常に喜ばしい。そしてその出来も満足するに足るものであった。

 

幕開きは『女車引』。丸本の名作『菅原伝授手習鑑』の中の「車引」の登場人物を女に仕立てた清元舞踊。魁春の千代、雀右衛門の春、七之助の八重と云う配役。それぞれ七十代、六十代、三十代を代表する女形が揃った所作事で、僅か二十分程度の小品だが、これが実に結構な出来であった。

 

設定としては「車引」三兄弟の妻が、本家「車引」同様に揃って見せる所作事となっている。「車引」の様に科白がある訳ではなく完全な舞踊なので、踊りの所作でその人物を表現しなければならない。この三人はその意味で実に見事にその人物を表現し尽くしている。次男の嫁である魁春の千代は武士の妻(と云っても舎人なので正式な武士ではないが、「寺子屋」などで見せる松王はかなり立派な武士としての格を備えている)としての位取りがしっかりと表出されている。長男の嫁だが感じとしては千代より年下のイメージの雀右衛門の春は、兎に角兄弟の中和剤的な役割を感じさせ、世話女房の味がある。そして一番年少の七之助の八重は、まだ娘の風情を漂わせる。

 

この三人の役者の見事な舞踊を観ている間、妙な例えだが筆者は谷崎潤一郎の「細雪」を思い出していた。やや零落してはいるが名家としての格を重んじる長女の鶴子、世話焼きで姉妹をまとめようとする次女の幸子、そして奔放で現代娘的な四女の妙子。市川崑の映画ではそれぞれ岸恵子佐久間良子古手川祐子が演じていたが、この狂言に当てはめると千代が鶴子、春が幸子、八重が妙子となる。それが何か妙に筆者の中ではイメージが合致したのだ。しかし兎にも角にも三人の女形のイキもぴったりで、実に見事な舞踊となっていた。

 

打ち出しは『船弁慶』。黙阿弥作の松羽目物で、新歌舞伎十八番の中でも重要な狂言だ。しかし新歌舞伎座になってはから初めての上演だと云う。今回は亡き天王寺屋の追善として上演されている。天王寺屋と云えば云わずと知れた舞踊の名手。亡き先代京屋と組んだ『二人椀久』はフランスでも絶賛された名品中の名品。筆者の個人的な思い出としては、歌舞伎以外に大河ドラマの「勝海舟」と「獅子の時代」で、二度も西郷隆盛を演じていたのが印象深い。もう十三回忌になるのかと、歳月の流れの早さに驚くばかりだ。

 

配役は天王寺屋の愛息鷹之資が静御前と知盛の二役、扇雀義経、松江・亀鶴・宗之助・吉之丞の四天王、松緑の三保太夫、左近の浪蔵、種之助岩作、又五郎の弁慶。亡き天王寺屋の十八番であった『船弁慶』に、愛息の鷹之資が本公演では初めて挑んだ。そして出来はまず立派なものであったと云っていいだろうと思う。

 

近年とみに力をつけてきた印象のある鷹之資。舞踊としてはもう完全に出来上がっていると云ってもいいだろう。今のニンとしては静御前の方が合ってはいるが、知盛にしても実にきっちりしており、折り目正しい実に見事な所作。余計な事はせず、そして一瞬の弛緩も見せない。ただ柄の小さい鷹之資なので、知盛となるとやや小粒な感は否めない。亡き父天王寺屋も小さい人だったが、舞台では大きく見えたものだった。しかし今の鷹之資にそこ迄求めるのは酷だろう。人物表現としては静の哀しみ、知盛の怨念などを充分に表出するには至っていない。しかし今はこれでいい。きっちりと踊る事が何より大事なのだ。亡き六代目菊五郎が先々代松緑に「まずくてもいい。行儀よくやれ」と云ったと云うが、正に今回の鷹之資は行儀よい。しかもまずいどころかしっかりとした舞踊になっている。今後増々練り上げて行って欲しいものだ。

 

脇では又五郎弁慶の手強さ、扇雀義経の位取りと気品、何れもベテランらしい見事なもの。三保太夫松緑はいつも乍らの素晴らしい舞踊の力量を見せ、この重いテーマの狂言の中、一服の清涼剤的な役割を見事に果たしていた。舞踊と松羽目の二題と云う構成となった歌舞伎座第二部。いずれも実に結構な出来。極言すれば、この二部の魅力が分からなければ、歌舞伎舞踊ひいては歌舞伎の魅力は理解出来ないだろうと筆者は思う。これが歌舞伎の全てでは無論ないが、歌舞伎の一側面をきっちり見せてくれた素晴らしい公演であった。