fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

十二月大歌舞伎 第三部 勘九郎・猿之助の「吃又」、第四部 菊之助・彦三郎の『日本振袖始』

第四部は今月早々に代役の菊之助・彦三郎で観て、大和屋バージョンも観てから感想を書くつもりでいたのだが、年末でバタバタしており、もう一度四部を観れる時間が取れそうもなかったので、三部と併せて感想を綴りたい。

 

まず第三部『傾城反魂香』より「土佐将監閑居の場」。勘九郎の又平、猿之助のおとく、團子の雅楽之助、鶴松の修理之助、梅花の北の方、市蔵の将監と云う配役。当然の事ながら先日書いた南座の「吃又」とは全ての配役が異なっている。結論から云うと良かったのだが、南座成駒家バージョンが凄すぎて、霞んでしまった印象だ。

 

南座より10分程短く刈り込んでおり、虎狩り百姓の花道の出はなく、幕が開くと百姓達は既に舞台にいる。修理之助に続いて将監の出。この市蔵の将監が実に立派。義太夫味もしっかりあり、これぞ本役と思わせる。南座の寿治郎よりニンだろう。その意味で筆者が従来イメージしていた将監像の王道を行くものだ。しかし今まで観た事がなかった「寿治郎将監」にすっかり魅了されてしまった筆者としては、それ以上と云う事にはならない。しかし科白廻しも見事な義太夫狂言のそれになっており、実はこの幕で一番良かったのはこの市蔵の将監だ。

 

修理之助が虎をかき消す場では、スモークを焚く演出。これには多少驚かされた。続いて又平夫婦の出になる。猿之助が夫を気遣う仕草をさり気なく見せて、いい女房ぶり。昨年高麗屋相手に勤めていた役。その時も名人高麗屋に位負けしない立派な健闘ぶりだったが、今回は年代が近い勘九郎相手で、より釣り合いが取れている。「吃りとしゃべり」の例の長科白は南座扇雀より突っ込んだ云い回しで、夫をサポートすると云うより、リードすると云う心持ちが濃い。

 

勘九郎の又平は、亡き三津五郎に教わったと云う。確かに人物造形としてはかつて観た三津五郎に近く、自らのハンデをじっと辛抱して耐えていると云った印象。南座鴈治郎に比べより内省的な又平だ。吃りの科白も三津五郎同様、大分聞き取りやすい科白廻し。この勘九郎・市蔵での「吃又」を観ると、筆者が南座で感じた思惑のすれ違いによるドラマと云う構造は薄れる。角の多い人物像だった鴈治郎に比べ、勘九郎は好青年の又平なので、師に反抗的に食って掛かると云った風にはならない。市蔵の将監もかなり手強い作りなので、筆者が元々この狂言に感じていた印象通りの「吃又」である。勿論だからつまらないと云う訳ではなく、これはこれで立派な「吃又」であったと思う。

 

将監に苗字・印可を許されて喜び、おとくの鼓に合わせて大頭の舞を舞う所などは、この優の天性の愛嬌が発揮されて、実に微笑ましい場になっている。何度も云う様だが、南座を観ていなければ、かなり満足度の高い「吃又」であったと思う。勿論勘九郎猿之助、市蔵には何の落ち度もない(苦笑)。

 

続いて第四部、『日本振袖始』。近松作の時代物浄瑠璃を、六代目歌右衛門義太夫舞踊に直したもの。大和屋の休演により、菊之助の岩長姫実は八岐大蛇、彦三郎の素戔嗚尊、梅枝の稲田姫と云う配役。普通代役と云うのは同じ座組の中から出すのがセオリーだが、三人しか出演者のいない狂言。急遽予定になかった彦三郎を呼び寄せる形になった。当然初役。しかしこれが実に見事な素戔嗚尊だった。

 

元々声が素晴らしい優だが、その朗々とした科白廻しは素戔嗚尊に相応しい立派なもの。立ち回りも踊りが体にある人なので、実にきっぱりしていてとても代役とは思えない。いや代役なればこその熱演だったのかもしれない。急な変更だったとは云え、相手が劇団で馴染みの菊之助・梅枝だった云う事も大きいのだろう。まぁ馴染みのない役者に代演は頼まないだろうが。

 

菊之助の岩長姫実は八岐大蛇も素晴らしい。元々兼ねる役者の菊之助。姫での美しさ、大蛇の古怪な恐ろしさ、その両方を見事に演じ分けている。大和屋バージョンを観れれば比較も出来たのだが、真女形の大和屋だと姫はともかく、大蛇のこのおどろおどろした所はここまで出せなかったのではないかと思う。まぁ観ていないので断定は出来ないけれど。しかし比較はせずとも、流石菊之助と云う出来だった。

 

梅枝の稲田姫も、その古風な役者顔が神話を元にしたこの狂言に似つかわしく、その美しさが贄になる哀れさを一入感じさせるいい稲田姫。総じて梅枝以外の二人が代役だったとは思えない、実に見事な『日本振袖始』だった。

 

今年も本当に押し詰まってきた。後は国立の第一部を観たら芝居納め。その感想は観劇後、また改めて綴りたい。