fabufujiのブログ~独断と偏見の歌舞伎劇評~

自分で観た歌舞伎の感想を綴っています

鳳凰祭四月大歌舞伎 第一部 若手花形勢揃いの『新・陰陽師』

歌舞伎座一部の感想を綴る前に、哀しいニュースに触れなければならない。市川左團次が亡くなられた。享年八十二歳。大体男性の平均寿命位なのだろうけれど、早い。まだまだ元気な舞台姿を見せてくれるものと信じていた。このブログでも、今月初日から休演が続いているので心配だと書いたばかりだったが・・・痛恨の極みである。今月の稽古には参加していたと聞いている。ご当人にとってもさぞ無念であったろうと推察する。来月・再来月にも出演が予定されていたのに・・・突然過ぎますよ、高島屋

 

義太夫味たっぷりの科白回しと、大柄な身体を生かした押し出しの良さで、脇で無類の優だった。筆者にとっては何と云っても『仮名手本忠臣蔵』の師直役が最高だった。悪の大きさと色気、それに愛嬌もあり、正に無双の師直だった。その他にも「盛綱陣屋」の和田兵衛、「熊谷陣屋」の弥陀六、「助六」の意休、「弁天」の南郷力丸、「実盛物語」の瀬尾、「新三」の家主長兵衛・・・決して器用な役者ではなかったのにも関わらず、当たり役はそれこそ枚挙に暇がない。晩年は科白が入らず、プロンプターがついていて、ハラハラさせられたのも今となっては懐かしい思い出となってしまった。今はただ高島屋の御霊の安らかならん事を祈るのみである。謹んでご冥福をお祈り申し上げます。

 

閑話休題

 

歌舞伎座一部を観劇。若手花形勢揃いで、客席はほぼ満席状態。大向うも解禁されて実にいい雰囲気だ。ようやく、本当に歌舞伎座に歌舞伎が帰って来た感があり、感慨無量。陽気もよくなって、実に仕合せ感一杯での観劇であった。歌舞伎界に限らず色々訃報もあり喜ばしい事ばかりでは決してないが、せめて芝居を観ている間くらいは、世の憂さを忘れたいものである。

 

一部は通し狂言『新・陰陽師』一題のみ。夢枕獏原作で、今まで映画・TV・アニメ・漫画それに十年前には歌舞伎と、様々なジャンルで上演されて来た大ベストセラー。筆者個人的には、フィギュアの羽生結弦選手が、平昌五輪で金メダルを獲得した時のフリープログラムの曲が映画「陰陽師」の「SEIMEI」だった事が印象深い。今回は十年前と役者ががらりと替わり、全員が初役で大作に挑む。隼人の晴明、染五郎の博雅、右近の興世王、児太郎の桔梗の前、福之助の藤太、鷹之資の大蛇丸、青虎の源八坊、寿猿の琴吹の内侍、笑三郎の密夜、笑也の密虫、猿弥の忠平、中車の実頼、門之助の山姥、巳之助が将門と村上帝、壱太郎が滝夜叉姫と如月姫のそれぞれニ役、猿之助の道満と云う配役。正に今が時分の花の盛りにある若手花形がうち揃い、猿之助がお目付け役で付いていると云った形だ。

 

承平天慶の乱に材を取り、実在の人物安倍晴明を主役に据えた物語である。実際の将門と晴明は微妙に時代がズレているのだが、そこはまぁ歌舞伎ですからね。乱を起こした将門は敗亡するが、それを興世王が蘇らせ、時の帝朱雀帝が暗愚であるのにつけこみ、道満らと共謀してこの世を魔界に変えようと暗躍する。それを晴明と博雅が今で云うバディとなり興世王らの野望を阻止すべく活躍する展開。最後は陰謀が暴かれ、道満に扮する猿之助宙乗りでの逃亡を披露して幕となると云う狂言である。途中で「車引」や「河内山」などの科白や所作の引用があるいかにも猿之助演出らしいサービスもある。こう書くとスーパー歌舞伎の様な印象を持たれる方もおられるだろうが、作的には歌舞伎調で書かれており、葵太夫の本格的な竹本も入り、擬古典的な作品になっている。

 

隼人や染五郎などの若手花形をお目当てに観劇に来た若い人達に、大蝦蟇なども登場するケレン的な要素を取り入れながら、古典調の歌舞伎を楽しんで貰おうと云うのが演出家猿之助の狙いだろう。それだけに特に肚のいる芝居ではない。隼人と染五郎が並んだところの美しさは、それこそ絵から抜け出た様。二人とも気品があり、所作も実に洗練されている。しかしこの二人は主演と云うには出番はそれ程多くはない。狂言を通じて最も活躍するのは、巳之助と右近である。

 

巳之助の将門は、発端では民衆の為に国へ戻って力になると、如何にも若々しい志に燃えているところは好青年である。しかし舞台上の切口上にて八年の時間が過ぎた事が述べられると、登場した将門はより大きくしかもアクの強い人物となっている。その後刎頚の友であった藤太に殺された後妖術によって蘇った将門は、おどろおどろした怪物的な者として現れる。この辺りの演じ分けで、巳之助は見事な手腕を発揮している。右近の興世王もその太々しい描線と、女形を本領とする優とは思えない実に手強い科白回しで大きな悪の人物像を造形しており、目に残る出来。

 

そして出番はさほど多くはないが、猿之助の存在感はこの座組の中では一頭地抜けている。悪者ではあるのだが、この優らしい愛嬌もあり流石の道満。しかも最後は宙乗りで全てをさらってしまうところは千両役者の面目躍如で、舞台で散々熱演を披露して来た他の役者連も顔色なしと云ったところだったろう。脇では壱太郎が竹本に乗った見事な芝居を見せてくれており、この世代の女形ではやはり抜けた存在である事を改めて感じさせてくれた。中車久々の舞台姿が見れたのも嬉しかったが、役に為所がないせいもあってか、今一つ精彩がなかった。六月の吃又に期待したい。

 

上演時間三時間。色々な歌舞伎的手法を総花的に入れ込んで、若手花形が古典的な演出の中で存分に活躍する姿は壮観の一言。二部制に戻った利点を活用して通し狂言を演出した猿之助の試みは、成功したと云っていいだろう。もし今回初めて歌舞伎を観たと云う人がいるならば、今後古典に触れる際にもすんなり入れるのではないだろうか。新年度を飾るに相応しい、好企画だったと思う。

 

今月はこの後明治座を観劇予定。久々の明治座歌舞伎、楽しみである。